青春と読書 本の数だけ、人生がある。 ─集英社の読書情報誌青春と読書 本の数だけ、人生がある。 ─集英社の読書情報誌

定期購読のお申し込みは こちら
年間12冊1,000円(税・送料込み)Webで簡単申し込み

ご希望の方に見本誌を1冊お届けします
※最新刊の見本は在庫がなくなり次第終了となります。ご了承ください。

今月のエッセイ/本文を読む

植松三十里みどり『維新の虎 島津久光』(集英社文庫)
今、求められるリーダー島津久光

[今月のエッセイ]

今、求められるリーダー島津久光

 何年か前に鹿児島を訪れ、ある記念館で島津久光ひさみつの写真を見た。幕末の名君として名高い島津斉彬なりあきらの弟だ。ただし、それまで久光の肖像は、油絵しか見たことがなかったので、「え? 写真、あったの?」と驚いた。まして油絵とは、あまりに印象が違った。
 島津久光として、よく紹介される油絵は、間延びした面長で、鼻の下が妙に長い。どう見ても賢そうではない。だが写真の方は、きりっと締まった輪郭で、どことなく仔犬のようだと思った。下方からのアングルで撮られていて、辺りを睥睨へいげいするように目を細めている。だから仔犬といっても、可愛いわけではないが、油絵よりも、ずっといい。
 久光の母親は、お由羅ゆらの方という美人の側室だし、久光自身は漢学や国学に優れた秀才だった。あの油絵は、そんなイメージからは、だいぶ外れる。
 調べてみたところ、油絵は久光が亡くなった二年後に描かれており、画家が、どういう絵を描こうと勝手ではある。でも写真があるにもかかわらず、それとはかけ離れた絵が、もっぱら使われたのには、恣意的なものを感じないわけにはいかない。
 その背後には、島津斉彬との不仲説がある。斉彬と久光の兄弟は、藩主の座をめぐって対立したという。でも久光本人が次期藩主を目指した気配はなく、家臣たちの対立に巻き込まれた形だった。
 実際の兄弟仲は良好で、勝海舟が鹿児島を訪れた際に、斉彬は久光のことを「秀才の弟」として自慢げに紹介している。
 もうひとつ、西郷との不仲説もある。西郷は生涯に二度、南の島に送られた。しかし最初に奄美大島に追いやったのは久光ではない。当時、重鎮だった家老だ。
 二度目は、確かに久光が厳罰に処した。でも、ちょっと幕末史に詳しい人なら「あのときは西郷どんに非があった」と認める。
 斉彬は安政五年に亡くなっており、久光は亡き兄の遺志を継いで、千人の薩摩藩士を率い、一糸乱れずに京都や江戸まで進軍して、幕府に大改革を求めるつもりだった。
 だが西郷は千人の軍勢を、自分が牛耳ろうとしていた。過激派の志士に向かって「一緒に戦って死のう」などと煽り立て、京都で騒乱を起こすつもりだったのだ。
 そうと気づいた久光は、西郷を捕縛させ、沖永おきのえ良部らぶ島での入牢を厳命した。もし、あのまま放っておいたら、西郷は一志士として命を落としていただろう。江戸無血開城もなかったかもしれない。流刑は一年半に及び、西郷はつらい思いをしたが、自分を見つめ直すには必要な時期だった。
 刑を許されてからは、久光と、若き家老の小松帯刀たてわき、下級武士から久光が抜擢した大久保利通としみち、そして西郷の四人体制で、幕末の混乱期を突き進んだ。
 薩英戦争では嵐の中、イギリス艦隊と互角に勝負した。それは偶然ではない。当時の船乗りは天候予測ができた。まして鹿児島は台風の通り道だ。その時期まで対英交渉を引き延ばして、勝負に挑んだのは疑いない。悪天候では薩摩の砲台場より、軍艦の方が、波で揺れる分、不利になるからだ。
 その後も久光は京都に出たが、家臣に任せるべきときには、みずから国許くにもとに引いた。彼らの手に余るからと求められれば、何度でも中央に出ていって後ろ盾になった。
 幕末薩摩の名君は、斉彬よりも、むしろ久光かもしれない。斉彬はペリー来航の五年後に、早々に亡くなっている。十五年に及んだ幕末の後半十年間、薩摩藩を率いたのは、まぎれもなく久光だ。幕末の四賢侯と呼ばれたのも、斉彬ではなく久光だった。
 久光は晩年になってから、かつて西郷に「じごろ」呼ばわりされたことを、側近に話した。「じごろ」とは田舎者のことだ。人は「そんな些細なことを、後々まで恨むとは、久光は執念深い」と見なす。
 でも小松にも西郷にも大久保にも先立たれ、ひとり残された久光は、思い出話のネタとして側近に語ったのだろう。本当に恨んでいたら、もっと前から口にしていたはずだ。
 今、求められるリーダーは、リーダーを育てられるリーダーだという。大久保利通と西郷隆盛は久光の下だからこそ、優れたリーダーになれたといっても過言ではない。
 織田信長はパワハラで命を落とした。秀吉は部下を鼓舞する才に長けていたが、今の感覚ではブラックに近い。こんなことを書いて、信長や秀吉ファンに𠮟られるのは覚悟の上だ。西郷どんファンからも、冷たい視線を向けられるかもしれない。それでも、あえて書くのは、島津久光の評価が不当に低く、それを正したいからだ。
 この短文を読んだだけでは、久光が名君だとは納得できないだろう。だからこそ読んでほしい。『維新の虎 島津久光』を。そうすれば、なぜ久光が「虎」なのかも、理解していただけることと思う。

植松三十里

うえまつ・みどり●作家。静岡県出身。2003年『桑港にて』で歴史文学賞受賞。09年『群青 日本海軍の礎を築いた男』で新田次郎文学賞、『彫残二人』で中山義秀文学賞を受賞。著書に『徳川最後の将軍 慶喜の本心』『イザベラ・バードと侍ボーイ』『侍たちの沃野 大久保利通最後の夢』『つないだ手 沢田美喜物語』等多数。

『維新の虎 島津久光』

植松三十里 著

集英社文庫・発売中

定価990円(税込)

購入する

TOPページへ戻る