[インタビュー]
「わしのこと以外、書くことなんてないやろ」
圧倒的な暴力と不条理の果てにみえる世界
今、注目の劇作家・演出家であるピンク地底人3号さんの初めての小説『カンザキさん』が、二〇二六年一月七日に刊行される。超絶ブラック企業の配送会社に就職した「僕」が、優しい先輩ミドリカワさんと、悪魔のような先輩カンザキさんと出会ったことから始まるこの物語は、第四十七回野間文芸新人賞を受賞した。現代ならパワハラ認定間違いなし、あまりの悲惨さに笑いすらにじみ出る本作と、著者の不思議な魅力に迫る。
聞き手・構成=文芸編集部/撮影=山口真由子

初めての小説
──『カンザキさん』がピンク地底人3号さんにとって、初めての小説だったんですね。それで野間文芸新人賞に選ばれたわけですが、報せをきいた時は、どんなお気持ちでしたか?
本当にビックリしました。野間文芸新人賞は津島佑子さんや村上春樹さんはじめ
候補になった時、電話がかかってきて「お受けいただけますか?」と言われて、「著作権は集英社さんじゃないかな、集英社さんにもきいてもらわんと」と言ったら「違いますよ、大丈夫ですよ」と教えてもらいました。
──著作権は、著者がお持ちです(笑)。
選んでくださったということは、読んで推してくださった方が複数いらっしゃったということですから本当に有難いことです。
──これまで、一回も小説を書いたことがなかったのですか?
戯曲は二十年近く、劇評はそれなりに書いていましたが、小説を書き上げたのは正真正銘、初めてです。
──主人公は、大学卒業後、引きこもりを経て、家電量販店の下請けの配送会社で働くことになった青年です。離職者続出、いつでも求人中のその会社で、ペアとして働く先輩として出会ったのが、誰にでも優しい人格者のミドリカワさんと、「殺すぞぼけ」と人を罵り暴力をふるう悪魔のようなカンザキさんでした。カンザキさんと組まされた主人公が、カッター片手の彼に、トラックの荷台の上へ引きずり込まれる光景が冒頭で描かれます。凄まじい光景ですが、ご自身の劇団「ももちの世界」でも『カンザキ』という作品を上演なさっていますね。
舞台が運送会社なのは同じですが、今回の小説とは中身が全然違う、別物です。戯曲は完全にフィクションで、小説の方はかなり私小説寄りになっています。というのも初めて書くなら、やはり私小説だろうと思っていたので。二十代の頃に実際に働いていた運送会社のことを思い出しながら書きました。
──きつい現場であっただろうことは、『カンザキさん』を読むとわかりますが、どれぐらいお勤めになったんですか?
半年ぐらいで辞めました。カンザキさんのような人が本当にいて、当時はマジで殺されると思って働いていました(笑)。スタンリー・キューブリック監督の「フルメタル・ジャケット」というヴェトナム戦争を背景にした映画があって、その中にハートマンという鬼軍曹が出てくるのですが、まさにあんな感じの人でした。働いている最中はあまりの理不尽さに本当にトラックから飛び出したいと思っていたのですが、会社を辞めて、あの頃と時間的な距離ができてから思い出してみると、酷すぎて笑っちゃうんです。やっぱり恐怖と笑いは紙一重なんですね。ほとんどコントといってもいい。
だから小説の中で、あの感じを出したくて『カンザキさん』を書いたんですが、「しんどかった」とか「露悪的」みたいな感想も多くて驚きました。小説って戯曲に比べて隙間が少ないから、あまり誤読とかはされないんだろうなと漠然と思っていましたが、普通に誤読されている。やっぱり小説も読む人によって全然捉え方が変わるんだなあと。作者としては笑いながら読んでくれてええのにとは思いますけど、なかなか上手くいきませんね。
──主人公が幼い頃、キリスト教の教会にいる場面が描かれてもいます。
僕自身、クリスチャンではないのですが、色々あってここ五年ほどプロテスタント教会に通っています。また脚本家として、海外のものを観るにしろ読むにしろ、キリスト教のことがわからないと半分も内容を理解できないという実感もありまして、勉強したかったのも通う理由の一つです。
──もしかしてカンザキさんは「神」のメタファーなんでしょうか。
はい。本作は神との対話を試み、拒否され、翻弄される人間の話でもあります。明確に「ヨブ記」を意識していますね。
小説と戯曲の違い
──演劇人としてもお忙しい中、小説を書かれたきっかけを教えてください。昔から純文学がお好きだったんですか?
大学時代から、文芸誌はよく読んでいました。千円程度でいろんな作家の作品が読めてお得でしたし、図書館にもあったから、借りて読んだりもしていましたね。特に新人賞の選評を読むのが好きでした。中村文則さんや田中慎弥さんのデビュー作も文芸誌で読んでいます。「すばる文学賞」を受賞された、
──ほかにどんな作家がお好きでしたか?
色川
「小説」の書き方ではなく、「文章」の書き方、あるいは「文章」への態度は花村萬月先生から学びました。大袈裟なだけの比喩を使ってはいけない、自らを淫するような文章を書いてはいけないとか。戯曲を書くうえで、ずっと守ってきたことです。他はジャンルは問わず、目につく作家を手あたり次第という感じかもしれません。今回の作品は書き終わってみて、町田康さんに似てると言われるかなと思ったりもしましたが、意外に言われませんね。
小説を書いたきっかけは、ある文芸誌の編集部からエッセイの依頼がきて、自由に書いていいですと言われたことでした。それまではエッセイすら書いたことがなかったんですが、折角だからちょっとだけ噓混ぜて書いたろうと思いまして(笑)。そうしたら担当の編集の方が、いいエッセイですねって言ってくれて「小説が書きたくなったら、私に言ってくださいね」と。きっと誰にでも言うんでしょうけど。
──誰にでもというわけではないと思いますが(笑)。かなり本を読まれている方だというのが、一読してわかるエッセイだったからではないでしょうか。
普通、本当に小説家になりたい人は新人賞に応募するしかないでしょう。編集者と知り合う機会がないから。でも、僕は演劇をやっていたからこそ、そういうご縁ができた。ここは社交辞令でも乗っとこうと思いまして。それでも〆切を決めないと書けないから、ちょうど仕事のスケジュールが二ヶ月あいていた期間があったので、そのタイミングで書き上げました。
──題材は最初から決まっていたんですか?
そういうわけではなかったのですが、今まで働いてきたバイトの中で一番配送会社が強烈だったので書くならこれだろうと。
──小説を書いてみて、戯曲との一番の違いはどういうところでしたか?
やっぱり地の文の書き方が一番違いましたね。戯曲でいうト書きです。ト書きなら「A、去る」と書けばいいんですが、小説の地の文は、そうはいかない。いつ、どうやって、どのように「去る」のか、場合によっては「去る」という言葉を使わずにそれを表現しなければならない。どんどん細分化していって、どの情報を取捨選択するのか、それが小説家の方によって全然違うんだろうな、そこを意識して書くんだろうなというのが、ぼんやりとわかってきました。
それから戯曲を書いてきたことで、物語の始め方と終わらせ方のコツは摑んでいたかもしれません。でも、演劇と違って、小説は必ずしも起承転結で終わらせなくてもいいところが、いいですね。
──逆に同じところはありましたか?
ディテールが命なのは、どちらも同じなのではないでしょうか。
演劇は演者さんだったり、舞台装置や予算やらで、どうしてもいろんな制約があります。それがいいところでもあるんですが、やっぱり小説は自分一人でできるのがいいですね。書きたい話がいっぱいあります。納棺師の仕事もしていたので、その話も書きたいです。小説にコンバートしたい戯曲もあれば、戯曲では決して表現できない小説も書きたい。これからは、中編なら年間二作は書いていくつもりです。それで四年ぐらいたったら、行き詰まるというか、スランプが来る気がします。
韓国演劇界の熱気
──劇作家協会新人戯曲賞を受賞した「鎖骨に天使が眠っている」は韓国でも二〇二三年に上演され、大変な人気だったときいています。
そうなんです、僕もビックリしました。「イカゲーム シーズン1」の準主役だったパク・ヘスさんが出演していた国立劇場の演目の売り上げを抜いたとかで、さすがにあちらでも驚かれたそうです。韓国ではランキングが常時発表されるので、抜いた時はものすごく盛り上がりました。それにドラマや映画だけでなく、舞台演劇の人気もすごくて、アイドルとかじゃない、普通に演技派の俳優さんのファンもたくさんいるんですね。「鎖骨に天使が眠っている」の脚本も、あちらの大手出版社から刊行されることになって、刊行記念のトークイベントとサイン会のために、先日、渡韓しました。二時間ほど喋って、それから希望される方にサインをしたのですが、お客様の熱量がすごかったです。
──韓国では、脚本が普通に出版社から刊行されるんですね。
僕も戯曲を同人誌的に制作・販売してはいますが、日本では商業出版社から戯曲が書籍として刊行されることは、滅多にないです。
韓国版の演出家の方は、仕事がいっぱい増えたみたいで「3号先生、私はあなたのおかげで今、スターになりました」って(笑)。「鎖骨に〜」は既に二〇二四年に再演されていて、二六年には再再演されることも決まっています。
韓国では人気があると、一ヶ月二ヶ月とロングランになるのが羨ましいです。口コミでどんどんお客さんが増えるんですよ。日本だと劇場の予約がずーっと先まで埋まっていて、小劇場は一週間上演できたらいい方ですから。
韓国の景気自体は今、あまり良くないかもしれませんが、エンタテインメントや芸術を世界に売っていこうという熱量は確実に日本より高いです。
社会情勢は個人につながる
──ご自分で観客として必ず行く劇団はありますか? また、影響を受けたりしますか?
ないですね。そもそも演劇というフォーマットにはほとんど影響を受けないんです。それよりは音楽からの影響が大きいです。syrup16ɡ、ART-SCHOOL、エレファントカシマシ、どん底だった僕の二十代をずっと支えてくれた三大バンドです。海外であればThe Smiths。実は『カンザキさん』に一瞬、 The Smithsを意識した表現を忍ばせています。あとナンバーガールも。そんな感じで若い頃は、大好きなバンドの曲からインスピレーションを受けて、オリジナルの物語を作っていくということをしきりにやっていました。他ジャンルのものを僕の脳みそを挟んで別ジャンルに置き換えると、新しい発想や作品が生まれるんです。
──3号さんは、震災や移民といった、社会情勢や社会問題を扱う戯曲も多く書かれていますね。
社会情勢を描くのは、僕にとっては自然なことなんです。なぜなら社会は必ず個人とつながります。個人を書いたら、社会とつながらざるをえない。社会を構成しているのは、一人一人の個人ですから。
そして基本的には、演劇も小説も、世界を相対化することなので、世界を、社会を書かないと個人は書けないというのが僕の考えです。
ただ、戯曲やったら社会情勢を入れ込むさじ加減がわかるんですけど、小説だとそうはいかない。相当リサーチしないと、厳しいかなというのが何となく見えてきたところです。やったことがないから、まだそこは手探りですが、いつかは『カンザキさん』のような「狭い」小説ではなく、外に「拡がる」ような小説も書きたいですね。

ピンク地底人3号
ぴんくちていじんさんごう●劇作家、演出家、作家。1982年京都府生まれ。同志社大学文学部文化学科美学芸術学専攻卒業。地上侵略を目論む怪人。2019年「鎖骨に天使が眠っている」で第24回劇作家協会新人戯曲賞受賞。2022年「華指1832」で第66回岸田國士戯曲賞最終候補。2025年初小説「カンザキさん」で第47回野間文芸新人賞受賞。





