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日本人のアイデンティティを巡る文化論
本書は日本文化の海外進出の可能性を、過去の事例から考えた一冊です。これが、すこぶる面白い。どうして面白いのか。
本書の一つの特徴は守備範囲の広さにあります。ポップミュージックを一つの軸としつつ、文学、映画、舞台芸術の海外進出についても広く言及していく。音楽ならYMO、YOASOBI、新しい学校のリーダーズなど。文学は大江健三郎や村上春樹、映画は濱口竜介や是枝裕和、舞台芸術ならチェルフィッチュなどなど、あらゆる登場人物が一堂に会します。それぞれの作家は別の状況をもって海外に向かっているし、目線の先が北米かヨーロッパかでも異なる。なにより、自らの日本人性をどう扱うかで大きな違いが出る。XGや池田亮司のように日本人性を消していく、著者の言い方では「ガイジン」になる選択肢が一つ。もう一つは、暗黒舞踏やYMOのように、誤解も含めて「ニッポン人」っぽさを強調する選択肢。二つの極を明示することで、全く別の作家達が、ジャンルと時代を超えて繫がる。そのダイナミズムが、本書の面白さです。
実を言えば、本書は「日本文化の海外進出の可能性」そのものを探った本ではありません。海外進出をするとき、日本人のアイデンティティはどうなるのか。それが本当の主題です。だから、K‒POPとJ‒POPの比較から始まる本書は、テクノロジーと禅という紋切り型の日本を示しつつ、ノーベル文学賞講演における川端と大江の対比に多くのページを割きます。実際に海外に出たとき、日本人の作家は「日本」をどのように示すべきなのか。やがてその設問は、コンビニやホットペッパーなど日本ローカルの風景を演劇化し、翻訳上演を前提で日本語の戯曲を書くチェルフィッチュの試みに、ある帰結を見いだします。事例の並列と見せかけて、ひと繫ぎの展開を持った物語として読めることが、本書のもう一つの面白さです。それは、排外主義との抗戦という別の物語も暗に含んでいるが故の、面白さなのです。
伏見 瞬
ふしみ・しゅん● 批評家





