[インタビュー]
読む順番によってストーリーががらりと変わってしまうようなものを作れないかと考えたんです
読む順番で結末が変わる。
そんなことがありえるでしょうか?
道尾秀介さんの最新作『I』は、二編の小説のうち、どちらを先に読むかで登場人物の生死が変わり、ハッピーエンドとバッドエンドのどちらになるかが変わってくる小説です。
六つの物語をどの順番で読むかで読後感が変わることで話題になった『
集英社文庫の『光媒の花』『鏡の花』『N』で、一冊ごとに驚きのある小説を発表し、『いけない』シリーズ、『きこえる』などで読者に新しい小説体験を与えてきた道尾さん。最新作は、小説のさらなる可能性を開く野心作です。前代未聞の作品を生み出した道尾さんにお話をうかがいました。
聞き手・構成=タカザワケンジ/撮影=chihiro.

誰もが無理だと言った挑戦
── 『N』は刊行と同時に話題になり、文庫化でさらに読者を増やしています。『N』に続く作品がこの『I』。一足先に拝読しましたが、期待を上回るすばらしい作品でした。どんなところから着想されたんでしょうか。
ありがたいことに『N』はとても評判がよくて、今まで小説を買ったことがないという人も買ってくれました。なるほど、こうやって読書人口は増えていくんだなという実感があったので、もう一つ別のやり方で本自体に大きな仕掛けをしたいと思いました。
『N』の場合は読む順番によって世界の色が変わる、読後感が大きく変わるというコンセプトでした。今度は読む順番によって本当にストーリーががらりと変わってしまうようなものを作れないかと考えたんです。でもこれ、誰に話しても無理だと言われたんですよ(笑)。
── それは、誰が聞かれてもそう答えます(笑)。
どうにか方法はないものかと考えに考えて、核になる二つの物語が浮かびました。そうか、これとこれの組み合わせだったら読む順番によってまったく結末が変わるし、主人公たちが生き残るか死ぬかが決まる、と。
── 核となるアイデアを思いついた瞬間に、物語も決まったんですか。
そうですね。岡本太郎さんは太陽の塔を作るときに、まず小さいものを作って、次にもう少し大きいものを作って、と段階的に大きくしていって最終的にあの大きな塔を仕上げたといいます。僕も同じようにまず凝縮したプロットを作って、それに肉付けしていくというやり方をしました。最初のプロットの時点で短編小説ぐらいの長さがありました。
── 小さいものから大きくしていったというのは建築的な方法ですね。
そうですね。今回、岡本太郎さんがなぜそのやり方をしたかがよく分かりました。なるほど、最初から全体像が見えてないと怖いんだなと。
── こういう書き方で小説を書かれたのは初めてですか。
そうです。いつも大枠のプロットは決めますが、登場人物が動き出すと絶対にプロット通りには行かないんですよ。今回は動き出してもらっては困るので、登場人物たちを育てていく感じでしたね。一か所でも
「あなたの選択」が生死を分ける
── 本を手に取った時点でまず驚きがありますね。『N』もそうでしたが、二編の小説の上下が逆に印刷されています。
二編とも普通に印刷製本されていると、ほとんどの人は最初の一編から読んでしまうと思うんですよ。それを止めるために、ひっくり返った章が先に入っているという配置にしました。
── 本を開くと、二つの意味深長なエピグラフのあとに、著者からのメッセージとこの本の読み方が書いてあります。
あなたの選択によって主人公を含め多くの人が死ぬか生き残るかが決まります、と。
── ルールを分かった上で、二編の小説、「ペトリコール」と「ゲオスミン」のどちらから読むかを読者が決める。これは難しい選択です。私も悩みました(笑)。先ほど核となるアイデアが生まれたときに物語も一緒に決まったということでしたが、キャラクターもすぐに決まったんですか。
そうです。タイトルもその時点で決まっていました。『N』の系列なので、上下をひっくり返しても同じ形になるアルファベットにしようと決めていて、それで『I』。I amの「I」ですね、自分とは何か、私とは何かというテーマを込めた作品になると思ったので、タイトルと登場人物は同時に決まりました。
── 二編のうちの一編の主人公、
実は小説を書いていて、主人公が生まれたときから現在まで書くってなかなかないんですよ。頭の中で設定はありますけど。今回、週刊誌のルポ形式で彼女が生まれたときから今までの人生を書くことになったので、そのおかげで思い入れが強くなりましたね。最初から彼女が3Dで僕の中に現れてくれて、振る舞いとか思考の癖がすごく書きやすかったです。
── 小峰夕歌を主人公にした恋愛を含む青春の一編と、
『I』では「私とは何か」ということを追求したかったんです。日本の私小説は英語でI-novelと言いますが、そもそも一人称の小説が持つ特殊性ってあると思うんです。彼や彼女が見聞きしているものや考えていることだけが文章化されて、それ以外は書かれていないっていう。たとえば映画で一人称に近いカメラワークを採用しても、画面に映るすべてのものをその主人公が見ているわけじゃない。画面の端を飛んでいる鳥に主人公は気づいていないかもしれないし、視聴者と主人公のあいだに、どうしても情報の齟齬が出てくる。でも小説の一人称ならその齟齬をなくすことができるので、いったい何が作中の「私」をつくり上げているのかを理解できるんです。
── 二編はリンクしていて登場人物も重複していて、舞台となるのが
主人公たちが町の中を移動するじゃないですか。夕方のうちにここからここまで歩けるということはこのぐらいの規模感なんだなとか、だんだん書きながら町の姿が見えてくるんですよ。あれがとてもいいですね。
── 読者も物語の町を歩いているような感じがすると思います。
スティーヴン・キングみたいに、町といえばキャッスルロック、みたいな一つの町を舞台にするのも面白いんですけど、僕はその都度、新しい町をゼロから作りたいんです。
── 町を作るという発想も、面白い構造の小説を作ることと重なる部分があるかもしれないですね。『N』『I』と来て、まだこういうアイデアは出てきそうですか。
今のところはまだ結末が変わる以上にインパクトのあるものは思いつきません。思いついたらやりますけどね(笑)。
── ふとこういうことができないかなって思ったりするんですか。
そうですね。こういうことができないかなというよりも、ないものに気づくことが多いですね。「そういえば、こういうのないな」って。それが建築物だったら僕には作れないですが、文章なら一人で作れる。こつこつ、こつこつ、その日から作り始めることになります。
どちらから読む人が多いのかが楽しみ
── この小説は考察系小説でもあると思います。読み終えた人同士でどう読んだかを話し合うと面白そうです。作者としては、どこまで説明して、どこまで書かないかに迷われませんでしたか。
『I』に限らずいつも迷いますね。僕が読者だったら、作者に全部説明されるほど鼻につくことはないんですよ。僕は読書は能動的なものだと思っています。能動的に楽しむためには、登場人物の感情や思考を全部文章で説明したら面白くなくなるんですよ。
例えば「大きな怒りに駆られた」と書くよりも、「拳を握り締め過ぎて、関節が白く浮いていた」と書いたほうがその怒りの大きさが想像できますよね。読者が能動的に考えてくれればくれるほど、物語が読者の脳内でしっかり立ち上がってくれます。結末に関しても一緒で、書き過ぎないようにしています。
── 読者が能動的に読むという意味では、解釈の幅が生まれてもいいですよね。道尾さんの中に整合性がとれた「正解」があるとしても。
僕の中にはありますけど、もちろん読み方は読者の自由です。この二つの物語を同じ順番で読んだ人が十人いたとして、その人たちが「このラストシーンの翌日の新聞記事を書いてみてください」って言われたら、十人が十人同じではなく、少しずつ違うところがあると思うんですよ。
── なるほど。それはすごく分かりやすいたとえですね。
それが小説の面白さですよね。ただ、僕はXをやっていて、連載の時点でDMで感想を送ってくれる人がいるんですが、その人は見事に全部伏線を拾ってくれて。僕が考えていたことが読者に伝わっているんだと、単行本出版に向けて自信がつきました。
── 特にキーになってくるのが本の扉にも描かれている赤い傘で、悩ましい存在です。私も赤い傘が出てくるシーンを何度も確かめたりしました。
そうなんですよね。そこも文章だけを手がかりに読んでいく小説の面白さですね。こうであってほしいという願望が文章の解釈に微妙に影響を与えてしまう。
僕は、韓国映画の『シークレット・サンシャイン』のように、主人公たちと同じか、それ以上に観客が祈りたくなる作品が好きなんです。自分でもそういうものを作りたいと思っていて、解釈の幅があるオープンエンドの作品だからこそ、そこに読者の祈りが重なってくれると思います。こうなってほしい、こうなってくれって。ただ、『I』に関しては読む順番によっては、その祈りは通じないかもしれないのですが。
── 物語の結末がどのようなものであっても、祈ったことには意味があると思います。心が動いたということですから。
そうですよね。『I』の結末はハッピーエンドとバッドエンドに分けられるんですけど、はっきりとそう言い切れない部分も残っていると思うんです。ですから、読者の方には、くれぐれもこの順番で読んで失敗したとは思ってほしくないですね。
どっちから読む人が多いのかな。それがすごく楽しみですね。
── アンケートをとりたいぐらいですね。
そうですね。今回、読む順番が五分五分ぐらいになってもらうのが理想なんですよ。そこで大事なのが一行目。どちらから読み始めるかに影響を与えるので。
「『焼死体って、ファイティングポーズをとってるんですよ』」が「ゲオスミン」で、「まさかキスに味があるとは思わなかった」が「ペトリコール」。どちらも一行目を読んだら続きが読みたくなる文章を最初の行に持ってきました。一行目にこんなに気遣ったのは初めてかもしれないです。
── 想像させますよね。どっちから読もうか、ますます迷いそう。この『I』というタイトルも、ひっくり返しても「I」ですけど、向かい合っている二つの世界を区切っているようにも見えます。二話で世界を作っているという意味でもすごくぴったりなタイトルです。ほかにもいろいろな解釈ができそうです。
読者それぞれの解釈があるといいですね。『N』だけでなく、写真を使った『いけない』シリーズや、音をからめた『きこえる』でもやってきた体験型ミステリーの最先端なので、きっと読書好きの人だけじゃなくて、いろんな人が手に取ってくれると思います。
── 最後に読者に向けて一言お願いします。
間違いなく初めての体験を提供しています。ぜひこの本を手に取ってみてください。

道尾秀介
みちお・しゅうすけ●作家。
1975年生まれ東京都出身。2004年『背の眼』でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞しデビュー。07年『シャドウ』で本格ミステリ大賞、09年『カラスの親指』で日本推理作家協会賞、10年『龍神の雨』で大藪春彦賞、同年『光媒の花』で山本周五郎賞、11年『月と蟹』で直木賞を受賞。その他の著書に『向日葵の咲かない夏』『鏡の花』『いけない』『N』『きこえる』など多数。





