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今月のエッセイ/本文を読む

白岩 玄『プリテンド・ファーザー』(集英社文庫)刊行に寄せて
父として小説を書く

[今月のエッセイ]

父として小説を書く

 こういう言い方をすると、あるいは反感を買うかもしれないが、父親というのは母親とは違うものだ。育児や子育てに対する意識が女性に比べてどうしても低い傾向にあるからなのか、男性は子どもが生まれてからゆっくりと父親になっていくことが多い。
 僕が初めて子どもを持ったときも、まさにそういう感じだった。姉が里帰り出産をした際に、沐浴やおむつ交換や寝かしつけの手伝いをしていたので、育児のノウハウはそれなりに身についていた方だと思うが、父親の自覚という部分では、正直あまり褒められたものではなかった。妻が育休中で、自分が仕事をしているのをいいことに、育児の大半を妻に任せてしまっていたし、夜中の授乳なんかも一切起きようとしなかった。しかもタチが悪いことに、自分はそれでちゃんと育児をしていると思っていたのだ。
 実際、在宅で仕事をしていたから、手が空いているときはなんでもやった。妻が出かけているあいだ赤ん坊の世話をすることも少なくなかった。でも、授乳や夜泣きで満足に睡眠時間が取れない妻を、そんなには気遣っていなかったし、「育児はあなたがメインでやる仕事でしょう?」という考えを疑いもなく持ってしまっていた。何より、そういう思考回路をしている相手と一緒に子育てをしていくしんどさに、思いを向けることができていなかったと思う。僕は世の中で散々批判されている父親たちと同じように、父親の自覚がまったく足りていない男性の一人だったのだ。
 そんな体たらくだった自分が、『プリテンド・ファーザー』という父親を主人公にした作品を書こうと思ったのは、他の小説の中で何気なく書いた「いい父親のフリをしている」という言葉がきっかけだった。そのときにはすでに二人目が生まれ、四歳と一歳の子どもの父親になっていた僕は、復職した妻と家事育児を分担してやっていたにもかかわらず、自分が父親であることにまだ完全には馴染めていなかった。だからその言葉を目にしたとき、自覚していなかった己の心の内を言い当てられたようで、どきっとしてしまったのだ。おまえはそれらしく子どもの面倒をみているだけで、実際にはまだ父親になれていないのではないか? 所詮は上辺だけのイクメンで、子育てに深くはコミットしていないのでは? そうささやく自分の声に、一度真剣に向き合わなければならない気がして、境遇の違うシングルファーザー二人を主人公にした小説を書くことにした。
 結果としてそれは、父親としての自分自身に様々な形でメスを入れることになった。たとえば、男女差別や男性が優位な社会構造に対して、父親としてどう向き合うのか。そもそも妻がいなくなったら、一人で子どもを育てていくだけの覚悟があるのか。そういったことを、物語を通してひとつひとつ考えていく必要があったからだ。
 率直に言って、その作業はなかなかにきついものだった。説得力のある小説を書くためには欠かせないことだが、自分が見ないようにしてきたものだからこそ、メンタルにも来る。何度も投げ出しそうになりながらも、なんとか書き上げることができたのは、辛抱強く付き合ってくれた女性編集者たちの助けが大きかったと思う。彼女たちはいつもきっぱりとした言葉で、僕の頭の後ろにある男性としての傲慢さを指摘してくれた。特に作中に出てくる主人公の後輩女性の、男性社会の不公平さやいびつさを的確に批判する物言いは、彼女たちのアドバイスなしには到底書けなかっただろう。
 そうして、間違った認識をひとつひとつあらためていくたびに、自分の中の何かがほんの少しずつアップデートされていくような感じがした。表向きには多様性を認めながらも、心のどこかで女性なしには子育ては成り立たないと思っていた自分の偏見にも気づいたし、そうした考え方そのものが、世の中の男性社会を作っている大きな原因であることも自覚することができた。登場人物をはるか高みから書けていないのは、作家として情けないことなのかもしれないが、僕は主人公である二人の父親と一緒に悩み、進むべき道を模索しながら何度も物語を書き直した。
 あれから四年が経ち、上の子は八歳、下の子は五歳になった。今、多少なりとも妻や子どもたちから信頼を得ることができているのだとすれば、それは当時の自分が父親である自分に向き合おうとしたからだと思っている。父親としての自分の意識の低さや傲慢さに気づかなければ、僕はおそらく、妻との関係も今よりうまくいっていなかっただろうし、子どもたちと深く関わる楽しさを見つけられてもいなかっただろう。
 そういう意味でも、この小説は僕にとって思い入れの深い作品ではある。父として、夫として、家族と強く結びつくための道を示してくれた作品だからだ。

白岩 玄

しらいわ・げん●作家。
1983年京都府生まれ。2004年『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、デビュー。同作はドラマ化もされベストセラーに。著書に『空に唄う』『未婚30』『ヒーロー!』『世界のすべてのさよなら』『たてがみを捨てたライオンたち』『ミルクとコロナ』(共著)がある。

『プリテンド・ファーザー』

白岩 玄 著

集英社文庫・発売中

定価946円(税込)

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