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今月のエッセイ/本文を読む

本城雅人『医療Gメン氷見亜佐子 暗夜病棟』(集英社文庫)刊行に寄せて
氷見亜佐子、誕生秘話

[今月のエッセイ]

氷見亜佐子、誕生秘話

 私の著作に『四十過ぎたら出世が仕事』がある。これは私が会社員だった30代後半、尊敬する先輩に言われた言葉だが、なにも出世争いに精を出せと言われたわけではない。1人が1つの仕事をしていたら生産率は「1」のまま。中堅社員は組織のリーダーとなり、5人、10人を動かせ、という意味だ。
 残念ながら私はたいした出世もせず、40代で小説家に転身したのだが、50が近づくと、元プロ野球選手で国会議員でもあった江本孟紀氏からこう言われた。
「50歳になって1番の宝物は、いい医師と巡り合えることだよ」
 胃癌による胃の全摘を経験している江本さんは、78歳の今もテレビ出演、YouTube発信、週に3~4日はゴルフをするなど元気いっぱいだ。自分の健康を過信していた私は、江本氏の勧めで、近所の消化器系内科で、胃癌、大腸癌検診を受け始めた。
 そんな折、ある出版社から「医療小説を書いてみませんか」とオファーを受けた。私は「無理です」と一度は断った。
 男なら多いと思うが、私は血が大の苦手なのである。余談になるが先日、ある大学で講義をした時に聴講生に尋ねた。予防接種や血液検査で針を刺される瞬間を見られるか、目を背けるか。女性は全員「見ます」、一方男性は全員「見られません」。私も絶対に見ない。中学校での解剖の授業でも理科室の一番後ろにいた。そんな臆病者には、医師がどっちの手でメスを、どっちの手で鉗子かんしを持って臓器を切っていくかなど、想像するのも難しい。
 とはいえ、オファーをもらった以上は取材くらいしてみるかと、まずは癌検診をお願いした近所の医師に相談した。1人で外来患者をこなし、診察の合間に1日5~8人の胃癌、大腸癌検診を行う熱血漢のその先生は、元医大の准教授でもあり、「肝移植をやっている後輩を紹介するよ」と言ってくれた。その後輩医師が女性の外科医を連れてきてくれた(その女性医師が、元外科医の氷見亜佐子のアイデアに大いに繫がったのだが)。
 さらにここでも江本さんが助けてくれた。野党議員だったため、医師会等とは無関係なのだが、ゴルフやバンドの仲間(江本さんはギターもうまい)の医師、元総理の随行医、小児外科医、リウマチの権威と呼ばれる名医を紹介してくれた。たくさんの医師の話を聞いたことで、真摯に医療と向き合い、日本と海外では死生観が違う、そのためどうすれば日本の臓器移植が増えるか、そういった医療の問題点を本気で考える医師を主人公にした『黙約のメス』は無事刊行できたのだった。
 一方で取材中に様々な弊害も耳にした。日本は健康保険が充実している、国から補助金が出る。そうした制度を悪用する企業、医師、そして政治家がいると……。
 そのような話を聞くと、今度は正義とは反対側の立場で医療の闇を浮き彫りにしたくなるのが私の悪い癖でもある。
 まずは不正を調査する立場の人が厚生労働省にいるのかどうか知ることから始めた。幸いにも私の前職が記者だったため、厚労省担当記者を通じて厚労省の方と知り合えた。Gメンというと麻薬捜査官が真っ先に思い浮かぶが、医療面にも同様の部署があるという。大半は保険点数の検査だが、大臣から承認を受けた特定機能病院等において「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という憲法25条、または医療法25条に基づき、病院に立ち入り検査に入ることがあるとか。その部署の半分は医師免許を持つ医師(医系技官)が占める。医療に携わった専門家でなければその医療行為が必要か不要かを見極められないからだ。
 そうした取材をもとに、元外科医の『医療Gメン氷見亜佐子 ペイシェントの刻印』は誕生したのだった。
 大学病院での権力争いが嫌になって臨床医を離れることにした亜佐子は、師匠の医師からの「臨床で助ける命は目の前の患者だけ、一生かかっても千人くらい。だけど政策で助けられる命は何十万、何百万もある」という言葉に感銘を受け、厚労省に転職する。だが1年で、自分がすべきは、不正を見つけ、病院を患者が安心して治療を受けられる場所に戻すことだと、医療Gメンに異動を申し出る。
 臨床医の頃から「猪突猛進の氷見亜佐子」と呼ばれるほど、亜佐子は気になった時は、不利な状況も顧みずに突き進む性格だ。現実世界では医療過誤があっても、警察に相談したところで大概は民事だからと断られる、裁判を起こすにしても専門家相手に素人は太刀打ちできず、8割は敗れる。そんな時、亜佐子のような正義感の強い医療Gメンがいれば、人はどれだけ心強いか。
 取材の過程で、病院は人々が安心して暮らせる町のシンボルでなくてはならないと話した医師がいた。日本の病院が本当に安心のシンボルでいられるよう、できる限り、このシリーズを書き続けたいと思っている。

本城雅人

ほんじょう・まさと●作家。
1965年神奈川県生まれ。2009年『ノーバディノウズ』で第16回松本清張賞候補となりデビュー。翌年同作で第1回サムライジャパン野球文学賞大賞受賞。著書に『ミッドナイト・ジャーナル』(吉川英治文学新人賞)「二係捜査」シリーズ、『医療Gメン氷見亜佐子 ペイシェントの刻印』『対決の記者』等がある。

『医療Gメン氷見亜佐子 暗夜病棟』

本城雅人 著

集英社文庫・8月21日発売・定価858円(税込)

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