[対談]
人と人はわかりあえなくても、おしゃべりできるし、受け入れてもらえる
幼いころから空気を読むのが上手く社交的。いつも相談される側だったというライターの青山ゆみこさん。ところが50歳手前で心と体がぽきんと折れ、話すこと、聞くことがそれまでのようにできなくなります。仕事どころか生活さえままならない日々のなかで、言葉を取り戻すための第一歩として始めたのが、漫画家・細川貂々さんとの会話でした。そして二人の「おしゃべり」がきっかけとなって生まれたのが、間もなく刊行される『相談するってむずかしい』です。
ベストセラー『ツレがうつになりまして。』などの作品で知られる細川貂々さんは、当初、青山さんのことを〝住む世界が違う人〟と感じていたそうです。でも、おしゃべりを始めると親近感がわき、互いに新たな発見があり、気づいたら二人は同じようなこと──話す・聞くための居心地のいい場所づくり──をしていました。「話す」ことと「聞く」ことで人はどう変わるのか。新刊の刊行を記念して、お二人の対談をお届けします。
構成=砂田明子/撮影=chihiro.
青山 一緒に本をつくる前は、私たち、それほど親しくなかったんですよね。
貂々 はい。初めてお会いしたのは10年前、二人ともお世話になっている宗教学者の
青山 そう。私の本のカバーや挿画を描いていただいたこともありましたが、編集者を通じて仕事をしていたので、関わりがなかったんですよね。唐突に私がメールしたのが2021年の4月でした。
貂々 朝、早朝でした。
青山 え! そうでした?
貂々 朝早い人だな、と思ったのでよく覚えています(笑)。突然メールが来たので怖い、と思って。なぜ私に? どうしよう? って警戒しました。
青山 当然ですよね……。
貂々 メールを読んだら、オープンダイアローグをやりませんか、とか、いつか本を出しませんか、とか書いてあったので、「おお、仕事か」と思って、ぜひやりましょうとすぐにお返事したんです。
「しんどい」と言えば、「ああ、しんどいんですね」とシンプルに受け止めてくれる人
青山 それほど面識はなかったんですけど、私は貂々さんのファンだったんです。夫の調子が悪くなったときに『ツレがうつになりまして。』に助けられたり、自分が心身の調子を崩したときに、精神科医の水島広子先生と貂々さんの共著「それでいい。」シリーズに励まされたり。そうやって貂々さんの本に救われていたころに『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』(水谷緑=まんが、斎藤環=解説)を読んだんですね。数年前から見聞きするようになっていた「オープンダイアローグ」はフィンランドの精神医療の現場で生まれた「対話の手法」ですが、この本を読んですごく理解でき、自分もやってみたいと思ったんです。心が弱り切っているいまの私を助けてくれる手法なんじゃないかと。でもやるには相手が必要になる。人間関係が閉じていた時期だったのでどうしようと思ったときに、ふと頭に浮かんだのが貂々さん。
貂々 そこで私が出てきたんですね。
青山 そうなの。貂々さんはご自身の本に、自分はものすごくネガティブだし、空気を読んだり、人の気持ちを先回りすることはしない、むしろできない、と書かれていますよね。そういう人なら、私の発した言葉をそのまま受け止めてくれるんじゃないかと思ったんです。というのは弱っていたとき、気を遣って励ましてくれる友達もたくさんいたんですよ。ありがたい一方で、「大丈夫」とか「すぐに元気になるよ」などと言われると、焦ったり落ち込むこともありました。「しんどいです」と言えば、「ああ、しんどいんですね」とシンプルに受け止めてくれそうな貂々さんとなら、安心してしゃべれるんじゃないかと思ったんです。
貂々 最初はメールとZoomでしたよね。そのあと直接会うようにもなって。
青山 私が悩みをぐちぐちと打ち明けるところから始まりました。人と会うのが怖くて、人と関わるのが難しいんだけど、みんなどうやってるんだろう……といった相談を、最初のメールから書いていたと思います。リアルにお会いするようになってからも、今日みたいに貂々さんは、「ふんふん」と、淡々と私の話を聞いてくれて。
貂々 人と人はわかりあえませんよ、とメールに書いたのをよく覚えています。
青山 衝撃でした! 人は人とわかりあえるし、わかりあうための努力をして生きている、そうやって地球は回っていると思っていたので、いきなり根底から覆された感じで……。でも同時に、それだったら楽だなとも。貂々さんとはわかりあえなくてもいい、それでもコミュニケーションとれるし、受け入れてもらえるというのも新鮮だったんです。
貂々 私は青山さんの話を聞いて、そういうことで悩むんだ、と勉強させてもらっています。人が何を悩んでいるかわかっていないので、学ばせてもらっているというか。
青山 でも、私も貂々さんが悩んでいることを、いまだにわからないですよ。
貂々 いいんですよ、それで。
大きなことより、小さなことのほうが相談しにくい
青山 そうやって貂々さんの言葉はいつもシンプルでさっぱりしているので、人間関係や家族関係にもやもやしてばかりいる私にはとてもありがたかったんです。一方で、なんでこんなに達観していられるんだろうとも思っていました。でも、発達障害について書かれた貂々さんの本を読んだり、おしゃべりを重ねていくうちに、シンプルな言葉として表れる前には、貂々さんの中にもいろんな思いや迷い、困りごとがあることがわかってきました。
貂々 そうですね、私なりにいろいろ考えていますね。
青山 貂々さん、昔は人に相談できなかったと私たちの新刊にも書かれていますけど、私といろんな話をしているうちに、日常のささいな違和感を話してくれるようになりましたよね。
貂々 人とのやりとりが不安なので、これでよかったんですか? というのをゆみこさんに聞くようにしています。
青山 友達とお茶をしていて飲み物がなくなったら、そのあとの時間、何をすればいいかわからない、と相談されたときはびっくりしました。考えたことがなかったので。私は飲み物がなくなっても、何をするわけでもなく、その時間をその場の人たちと共有していればいいと思っていたんですが、貂々さんみたいに思う人もいるんだな、と気づかされて。
貂々 最近は、お茶やお菓子がなくなったら「帰ります」と言って帰るようにしています。
青山 解決してよかった(笑)。こういうこと一つとっても、「当たり前」って人によって違うわけですが、日常の小さなことって、案外、人に相談しないですよね。転職とか、結婚といった人生の大きな出来事は相談しやすいのに、「お茶がなくなったら帰っていいか?」は意外と相談しにくい。でも、そうした日常の小さなわだかまりを減らしていくと、生活が少し快適になりますね。日々溜まっていく日常のキャッシュみたいなものが消えていくことを、貂々さんと話すようになってすごく感じています。
二人が主催する「話す」「聞く」の会は、なくていい場所。
── おしゃべりの大切さを知っているお二人は、それぞれ「話す」「聞く」の場を主催されています。青山さんはご自身の著書『元気じゃないけど、悪くない』の読書会(のようなもの)をきっかけに生まれた「ゲンナイ会」を、貂々さんは当事者研究をベースにした「生きるのヘタ会?」や、発達障害に興味のある人が集まる「
貂々 私は複数やっているので、会によって少しずつ趣旨や参加者が違うのですが、ポイントを挙げるなら、一つは、アドバイス禁止です。それから「私」を主語にしてしゃべってもらう。誰かが言ってたとか、テレビで言ってたとかは、なしです。
青山 いまの〝アドバイスなし〟に加えて、「ゲンナイ会」は人の体験や話を否定しないようにしています。
貂々 否定しないも大きいですね。それは違うんじゃない、とつい言ってしまう人はいますからね。それから、しゃべったことをその場に置いていく、持ち帰らないことも大事です。その場限りだから安心してしゃべれるんだと思います。
青山 そうですね。貂々さんの会のなかでいちばん長いのは、「生きるのヘタ会?」ですか?
貂々 そうですね。もうすぐ6年です。
青山 私も参加したことがありますが、参加されている人たちは、みなさん、顔見知りとまではいかなくても、前にも会ってるんだな、という雰囲気が感じられるときはあったんです。でも、個人的な話にはあまり立ち入らないというか、関係性を深める感じにはならないですよね。
貂々 はい。仲良くなる場ではないので。一度、参加者の人から、仲良しになりたいからLINE交換していいですかと言われたことがあるんです。それはダメですと言いました。仲良くなりたいなら、ほかの場所に行ってくださいと。ここは自分のもやもやを吐き出す場なので、それ以外の目的だったらほかへ行ってくださいと思っています。
青山 その点も、ほかの場とは違う点かもしれませんね。「孤立しないで誰かとつながりましょう」を目的とする場なら、LINE交換をむしろ勧めるだろうし、お盆やお正月に集まったりしますよね。人との距離を縮めていく関係性は悪いことではないし、いまの時代、むしろよいとされているけれど、しんどいときもある。50年も生きていると、日常はそうした関係で埋め尽くされていますしね。だからこそ、その場限りの「ヘタ会」などに行くと、気持ちが楽になるんだと思います。日常からいったん切り離されるからこそ、普段は言えないようなことが言えるし聞けるんだろうと。
貂々 そうなんですよね。人と人が仲良くなり過ぎると必ずややこしくなります。そのややこしさから逃れたくてここに来てるんだから、わざわざややこしい方向へ自分から向かわなくてもいいんじゃないの? というのが私の考えです。
青山 ほかに普段の人間関係と違う点といえば、普通は継続性はいいことだとされますよね。いい仕事をしたら、次も声がかかるとか。でも「ゲンナイ会」は、これまで来ていた人が来なくなっても、否定的な方向では捉えないんですよ。つまらなかったのかなとは思わない。
貂々 私もそうです。来たい人だけ、来たいときに来る場所なので。なので「来月も来ます!」と言われるとそれはちょっと違うなと思います。そのとき来たければ来てくださいって。
青山 でも私はね、そう言われたら、主催者としてちょっと嬉しいんです。やっぱり貂々さんほど割り切れてない。貂々さんは、会の趣旨はそうじゃないよね、というのをはっきりされてますよね。
貂々 はい。私がやっている会は、できればなくていい場所だと思ってるんです。でもたくさんの人が来てくれるので、みなさん、しゃべれなくて困ってるんだな、じゃあここで吐き出していってくださいって思うんですけど、ここにしがみつくのはよくないとも思っています。周囲に話したり聞いたりする相手を見つけるとか、自分のなかで整理がつけられるようになって、来なくなったらいいなって思っています。以前、1年くらい参加しつづけて、何もしゃべらない人がいたんです。人の話をじっと聞いているだけで。その人があるとき、自分の意見を言ったんですね。そうしたら来なくなりました。きっと吹っ切れて、来なくてよくなったんだと思います。
青山 でもきっと、その方の問題が解決したとか、画期的に何かが変わったとかではないんでしょうね。
貂々 そうだと思います。
青山 「ヘタ会」も「ゲンナイ会」も、人としゃべりたいけどできないとか、人と同じようにできないとか、困りごとや悩みや不安といった〝何か〟を抱えている人が集まる場ですよね。そうした何かを否定されず、ジャッジもされず、聞いてもらえる。つまり「ある」ことは認められる。そうやって人に受け入れられると、自分自身を受け入れられるようになっていくのかなと思います。そうなると、会には来なくなるのかなと。
貂々 そう思いますね。人のことだからわからないですけどね。
青山 はい、ほんとうにそうですね。
アドバイスより、聞かせてくれてありがとう
青山 貂々さんは「ヘタ会」をやるようになって、少しは生きるのがヘタじゃなくなりましたか? むちゃくちゃヘタから、ちょっとヘタくらいになったとか?
貂々 いや、少しはヘタじゃなくなった、と思った時点でダメなんです。ヘタだって思っていると大丈夫。
青山 そうか、そうか。自覚していることが大事。
貂々 はい、そうです(笑)。もちろん自分が変化したところはあって、たとえば自分をあまり責めなくなりました。これは「凸凹会」が関係してると思います。自分に似た人がこんなにいたんだということがわかって、これでいいんだな、と思えるようになったんです。
青山 「凸凹会」は発達障害をテーマにした会ですね。「ヘタ会」では、貂々さんは進行役だからあまり自分のことをしゃべらないけど、「凸凹会」では、進行役兼、発達障害の当事者としても参加しているから、よくしゃべって面白いと参加者の人に言われるんですよね。
貂々 はい、言われました。「凸凹会」はみなさん、自分の素直な気持ちをしゃべるんです。たとえば「私、忘れ物が多いんですよ」と誰かが言うと、「そういう人が、周りの人の気分を悪くさせるんですよ!」と、ほかの誰かが言うとか。
青山 けんかにはならないんですか?
貂々 大丈夫です。
青山 なんで?
貂々 笑っちゃうからかな。時々言い過ぎる人もいるんですけど、でもそこは言っていい場なので大丈夫。
── けんかにならないのは、関係性のない場だからかもしれませんね。
青山 ああ、そうか。
貂々 そうですね。そしてお互い絶対わかりあえないから、しょうがないか、みたいな感じですね。
青山 「わかりあえない」境地に私はまだ辿り着けてないんだな……。まだまだ修業中の身ですが、会を始めたり、貂々さんとおしゃべりするようになって私が感じているのは、「聞く」ことの難しさであり、大切さです。長年ライターをやってきたので、私はインタビューのときはちゃんと聞くんです。仕事のときは聞けるんだけど、普段、友達としゃべったり、家族としゃべるときは、ぜんぜん聞けてなかったなあと。人の話を遮ってでも自分がしゃべる、ということをやってきた(笑)。でも「ゲンナイ会」で黙って話を聞いていると、話している人は安心するのか、どんどん話してくれるんです。深い話やこれまで出なかったような話が出てきて、聞くほうもさらに聞き入って、さらに話して……という経験を通じて、「聞く」トレーニングをさせてもらっています。
貂々 ゆみこさんの話を聞いて、私にとってもトレーニングになっていると思いました。というのは、息子の話を聞けるようになったので。息子がしゃべりだすと、「でも、それはさあ」とか「それはこうなんじゃない」って返してしまっていたんでけど、それをやめてひたすら聞くようにしたら、息子はずっとしゃべってます。やっぱり聞くのは大事です。
青山 私にとって聞くのが難しいのは、やっぱり何か言いたくなっちゃうんですよ。似たような経験をしていたらアドバイスしたくなるし、正しいかわからないけど私はこう思うよ、って伝えたくなる。アドバイスという名の否定や、的外れな意見になってるかもしれないとわかっているんですが……。貂々さんは私にアドバイスしたくなることはないですか?
貂々 ないです。
青山 私はあるんですよ、たまに。
貂々 そうだったんですね!
青山 性分なんでしょうね。とはいえ最近は何か言いたくなる以上に、「話してくれてありがとう」と思うようになりました。自分もそうですが、話す側は、重い話を聞かせてしまってすみません、ごめんなさい、ってなりがちですよね。そんなときに、聞かせてくれてありがとうが返ってくると安心するし、そうした反応は、アドバイス以上に私にとってありがたいことだと実感しています。
貂々 そうですね。話すのは勇気がいるんですよね。だから、勇気を出して話してくれてありがとうと私も思います。今日もありがとうございます。
青山 こちらこそ、まだまだ修業の身ですが、これからもよろしくお願いします。
細川貂々
ほそかわ・てんてん●漫画家・イラストレーター。
1969年埼玉県生まれ、現在は兵庫県宝塚市在住。パートナーのうつ病を描いた『ツレがうつになりまして。』はベストセラーとなりドラマ化・映画化された。他の著書に精神科医の水島広子氏との共著「それでいい。」シリーズ、『がっこうのてんこちゃん はじめてばかりでどうしよう!の巻』(産経児童出版文化賞ニッポン放送賞)『こころってなんだろう』など。
青山ゆみこ
あおやま・ゆみこ●フリーランスの編集者・ライター。
1971年神戸市生まれ。神戸松蔭大学非常勤講師。市井の人から、芸人や研究者、作家など幅広い層の1000人超の言葉に耳を傾けてきた。著書に『人生最後のご馳走』『ほんのちょっと当事者』『あんぱん ジャムパン クリームパン 女三人モヤモヤ日記』(共著)『元気じゃないけど、悪くない』など。