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最果さいはてタヒ『きみを愛ちゃん』
めちゃくちゃ好きなキャラクターに対する私のパッションを書きました

[巻頭インタビュー]

めちゃくちゃ好きなキャラクターに対する私のパッションを書きました

私たちはなぜ「キャラクター」に惹かれるのでしょうか。
最果タヒさんの最新刊『きみを愛ちゃん』は、漫画やアニメ、小説などさまざまな作品のキャラクターたちについて、強い思いを込めて考察したエッセイ集です。
主人公以外の登場人物の視点で作品を読み直したり、主人公の隠された側面に光を当てるなど、キャラクターの魅力を深掘りすることはもちろん、作品の新たな楽しみ方が見つかります。
最果さんがキャラクターについて書こうと思った理由、書いていて考えたことなど、執筆の舞台裏をお聞きしました。

聞き手・構成=タカザワケンジ

キャラクターに対してだからできる踏み込み方

── キャラクターたちへの愛あふれるエッセイを楽しく拝読しました。これまでも好きなものを新たな語り口で書いた『「好き」の因数分解』や、宝塚への溢れる愛を綴った『ファンになる。きみへの愛にリボンをつける。』といった熱量の高いエッセイをお書きになっていますが、今回なぜキャラクターへの「愛」を書こうと思われたのでしょうか?

『ファンになる。きみへの愛にリボンをつける。』にも書いたように、数年前から宝塚にハマるようになって、好きな役者さんが演じる役にのめり込んで観ることが増えました。役に気持ちを重ね、思い入れを強く強くして作品にぼーんとぶつかる。そんな鑑賞の仕方をするようになったんです。
 それまでは作品と対峙して、自分の心がどう動いたかをエッセイで書いていたんですが、その登場人物を愛して、公平でも冷静でもない、情熱でぶつかっていく見方をしたほうが面白いのかもしれないと気づいたんです。
 宝塚の舞台だけではなく、漫画や小説のキャラクターの中にも、のめり込んで書けるものがあるかもしれない。そう思って連載を始めました。

── 全部で32のキャラクターを取り上げていますね。『エリザベート』(宝塚雪組一九九六年版)のルキーニもいますし、『呪術廻戦』の禪院ぜんいん真希まきや『宝石の国』のルチルのようなわりと最近のキャラから、『動物のお医者さん』の菱沼聖子のようなちょっと懐かしいキャラ、それから『銀河鉄道の夜』のジョバンニや『星の王子さま』の星の王子さまも登場して、かなり幅広いですね。どうやって選んだのでしょうか。

 最初の頃は、読者として読んでて「面白いなあ」と思っていたキャラクターを選び、深掘りして書いていくというやり方でした。
 でも、連載を続けていると尽きてきて、だんだんと昔読んだ漫画のキャラクターが出てきました。たとえば急に『ガラスの仮面』の姫川亜弓を思い出して「亜弓さんのこと、私、めっちゃ好きやんか!」となって、久しぶりに読み返して書きました。この人について書こうと思いついて、しばらく読まずにいた作品を読み返してみたら、考えていたキャラクターではなく、別のキャラクターのほうが今は好きだと気づいたこともありました。そのキャラクターのことを思うと心が熱くなって、気がついたら書き切っていた、そんな感じのことが多かったですね。
「このキャラクターが好き」って思うと、その人物の目線で世界が見えてきます。そうするとそのキャラクターにとって都合の悪い人物は敵に見えて「いやいや、そういうことちゃうねん」と言いたくなったりしました。

── 登場人物の中に「潜ってみる」ような感覚で物語を読み直す感じでしょうか。

 キャラクターが発する言葉や経験する一瞬を追っていくことで、その人の人生の断片を拾い集め、一本の糸を通して、丁寧に紡いでいくような感じでした。
 これはキャラクターだからこそできることだと思います。生身の人にそんなことをしたら失礼ですし、できません。しかし、キャラクターは作者によって開示されている部分があり、開示されていない部分は読み手の想像に任されているわけです。ですから、開示されているものを丁寧に扱いながら、自分の感性でぐいぐいと掘り下げていくことが許されています。
『きみを愛ちゃん』はキャラクターの解説ではなく、そのキャラクターに対する私のパッションの話なんです。本当にそのキャラクターがそう思っているかはわからないけれど、「私はこの人がめちゃくちゃ好きだから、こういう人だと思っています」みたいなエッセイになっていると思います。

子供の頃にはわからなかったキャラクターがわかるように

── 『ガラスの仮面』の姫川亜弓、『のだめカンタービレ』の千秋真一を取り上げてますね。それぞれの才能についての考察が印象に残りました。

 千秋先輩の原稿は、私にとっても印象深いです。もともと『のだめカンタービレ』が好きだったので、最初はのだめちゃんについて書こうと思ったんです。でも、あらためて漫画を読み直して「いや、違う、今の私が好きなのは千秋先輩だ!」と気づきました。
 才能についてですが、物語において天才って描きやすいと思うんです。キャラが立つから。天才というスペックをつけて特別視するわけですよね。
 でも、現実の天才は結果論じゃないですか。こんなすごい結果を残したからこの人は天才だったんだ、という結果ありきです。
 一方で、物語の中の天才は、結果が出る前から設定として天才だということが読者にわかっているので、才能と世界の関係性を現実よりもリアルに感じられるんです。成功したり、誰かに勝つことで証明される才能だけでなく、結果が出る前の、もがいて、世界にぶつかるとてもやわな才能の話を目撃することができる。千秋はまさにそんな感じですし、亜弓さんも才能を持つ人が生き抜く姿そのものだと読んでいて思いました。この二つの作品は「物語だから描けるリアルな才能の話」なんだなと思います。

── 『新世紀エヴァンゲリオン』の葛城かつらぎミサトのように、最果さん自身の受け取り方が時とともに変わっていったキャラクターについても書かれていますね。

 私が初めて『エヴァ』を観た時はまだ小学生で、主人公のいかりシンジより年下でした。アスカやレイのような同年代に近い人物に目が行き、その横にいる不気味な存在として大人たちがいて、まだマシなほうの大人がミサトさんという立ち位置。マシとはいえ、得体の知れない、まるで視界の端にしかいないような存在でした。
 ところが、大人になって『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』を観た時に、急にミサトさんが視界の真ん中に入って来て、彼女の言っていることがわかるようになりました。そのことにびっくりして、作品の見え方が変わったんです。
 子供の頃に読んでいた作品を改めて読むと、「あの頃、自分は何を読んでいたんだろう」と思うほど理解していなかったことに気づきます。理解していなくても楽しんでいたのですが、それは作品の世界に飛び込んで、世界そのものを体験するようなことだったのだと思います。シンジも『エヴァ』で何が起きているかわかっていなかったように、私も何が起きているかわからなかった。でも「何かすごいことになっている」ということだけは感じていて、それで十分に面白かったですし、それもまた特別な体験でした。
 大人になったことで、作品を俯瞰で見て、それぞれの人物の価値観や、人間の業や欲が衝突しているドラマを味わうというスタンスに変化したんだと思います。登場人物の心を理解したり考えたりすることも作品の楽しさだと気づいたのは、多分大人になってからですね。

── 子供の頃に楽しんでいた作品を、大人になってもう一度読む楽しさは、そのあたりにもありそうですね。ほかに『らんま1/2』のシャンプーの愛に関する考察も印象的でした。
『らんま』は、私が生まれて初めて読んだ漫画なんです。小学校に入る前くらいに、図書館にあったものを読んだのが最初の漫画体験でした。だから思い入れが強い作品です。

 でも、最初期に読んだ時はシャンプーはあまり好ましい存在ではありませんでした。主人公の乱馬らんま許婚いいなずけのあかねちゃんのライバルキャラなので「邪魔だな」としか思っていませんでした。でもその印象が、歳を重ねるごとにだんだん変わっていったんです。
 シャンプーは乱馬のことが好きなんですが、あかねちゃんがいるから片思いです。ムースっていう幼馴染のキャラクターがいてシャンプーのことが好きなんですが、シャンプーはムースに対しては冷たい。でも、決して見捨てたりはしないんです。そしてムースは、それを「脈がある」とか思わないんです。シャンプーはただ友人としてムースを心配していて、そしてその優しさをムースは素直に受け止めて。とても素朴な、相手を信頼した関係だと思います。その距離感がすごいなと思いました。そのことに気づけたのがすごく嬉しくて、大人になった今も大切に思える作品です。

キャラクターの視点に立つと物語が違って見える

── 先ほど「キャラクターだからこそできること」という言葉がありましたが、最果さんはこの本の「はじめに」で、キャラクターだからこそ、「生身ではありえない高熱と残酷さを纏う」と書いていますね。

 生身の人の人生や価値観について勝手に土足で踏み込んで考えるのは失礼ですし、暴力的なことかもしれません。でも、同時に、誰でも同じように色々考えて苦しんで生きているはずなのに、それを見せてもらうことがないのって、なんだかさみしいです。キャラクターに対して踏み込んで考えることで、人生の業や生きる意味、挫折、屈辱、執着といったものを知り、自分の感性で理解していく時、心から面白いと感じられます。それは、自分が生きている人生と同じ解像度で他者の人生を見られる、ということでもあります。
 そうやってこの世界に多様な人生があると想像することで、自分の人生の大変さに対しても、俯瞰で見て面白がる視点を得ることができます。他人が荒波を乗り越えているのを見て「うわ、頑張ってるな」と思いながら、自分が荒波を乗り越えるイメージをする。自分の主観では恐怖でしかなかったことが、人生のワンシーンとして捉えられ、いかにそこを生きるか、みたいな視点になってくるのです。それはすごく勇気も湧くし、そして生きることが面白く感じられます。

── キャラクター単体ではなく、そのキャラクターが周囲の人々とどう関わっているかという視点でも考察されているのが興味深いですね。

 私は普段の生活でも、一人で考えていることは自分の思考のごく一部でしかないと思っています。むしろ、他の人に対してどう思うか、何を感じるか、どう関わっていくか、という部分に自分の無意識が出てくるような気がします。
 物語の面白いところは、一人の人間の考えが述べられているだけでなく、誰かと関わることでその人自身が表れてくるところです。日常の中で誰かの人生を深く見つめたり、他者に対する対応やそこから滲み出るその人自身を見つめることは難しいですが、物語では一人の人に注目し、ずっと追うことができるから、それができます。そうやってキャラクターを知っていく時間が私はとても楽しいです。

── 最果さんは一人のキャラクターに注目して物語を読むことを続けてこられたのですね。そうした中でご自身のキャラクター観に変化はありましたか。

 人をものすごく好きだと思えたり、この人の味方をしたい、と強く思うのは、ある意味で乱暴なことかもしれません。例えばクラスの誰かを「この子だけを応援する」と言ったら色々な問題が起きそうだし、相手にとって迷惑かもしれない。でも、物語の中で「この子を応援したい」と思うのは問題ないんです。本気でそう思っていい。読み手側の自由です。
 キャラクターに対して、完璧ではない、あまり好ましくない部分も含めて「この人物のこの選択を絶対に擁護してあげなきゃ」という前提で見る。その人の視点に立つことによって、自分から一生懸命その人の価値観を追いかけて寄り添ってあげる。その時、想像上のキャラクターであるにもかかわらず、親の愛や友達の愛に似たものが強く出てくる。それがすごく面白いなと思います。
 その「愛」は、完璧なキャラクターにただ憧れるという素朴なものではなく、もっとずるずるした、腐れ縁のような関係になっていくのかもしれない。
 連載されている漫画などでは、キャラクターを好きになってから話が進んでいくと、自分が思っていたのとは違う言動をするのを見て、その人物が嫌いになることもあると思います。でも、そこで嫌いにならずに、一生懸命理解しようとするのも私は好きです。そうすることで、そのキャラクターと私の間にある関わりが、重く、ドロドロしたものになっていく。その人が素敵だから好き、というだけでなく、「その人のことを知ってしまったから好き」になるんです。
 そのキャラクターのことを深く考えることで愛情が深まっていく。そうなってくると、ファンというより、人と人としての愛、許しの愛のようなものになっていく。そんなふうに作品を知り、一人のキャラクターに入れ込んでいく楽しさは、物語だからこそ可能な、独特のものですね。

── 取り上げている人物の中で、さくらももこと太宰治だけは実在の人物ですが、二人とも、読者にキャラクターとして受け入れられてきた部分があったんだろうなと納得しました。私たちは、作品の中に登場するキャラクターを愛する一方で、その作者もキャラクター化したくなってしまうんですよね。

 距離が遠いからでしょうね。私がキャラクターに対して踏み込めるのも、絶対に会うことがないし、一方的に愛しているからなんですよね。さくらももこさんも太宰治も私にとっては遠い存在だから、多少は踏み込んで書いてもいいのかなと思ったりします。愛があるという前提で。
 なにより二人とも「キャラクター」として見られることにとても意識的で、その手のひらの上で想像を膨らまさせてもらっている、という感じもします。

── 『きみを愛ちゃん』を読むと、いろんな創作物を見る時にキャラクターの視点で考えたくなりますね。

 それこそ私は『のだめカンタービレ』を千秋先輩の視点で見て、改めてこの作品が大好きになりました。物語は人生の交差点のようなところがありますが、だからこそそこにある人生の数だけ、物語は枝分かれしていて、それらを一つずつ楽しむことが読者にはできるのだと思います。『きみを愛ちゃん』は、そういう私の体験を文章で表現できたらいいなと思って書いた作品です。

最果タヒ

さいはて・たひ●詩人。
1986年生まれ。2006年に第44回現代詩手帖賞、07年に『グッドモーニング』で第13回中原中也賞、15年に『死んでしまう系のぼくらに』で第33回現代詩花椿賞、24年に『恋と誤解された夕焼け』で第32回萩原朔太郎賞を受賞。最新刊に小説『恋の収穫期』、エッセイ『ファンになる。きみへの愛にリボンをつける。』等。

『きみを愛ちゃん』

最果タヒ 著

8月26日発売・単行本

定価1,870円(税込)

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