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インタビュー/本文を読む

桜木紫乃『情熱』
波風立てずに生きる器用さを、ちょっと残念だなと感じる大人に読んでほしい

[インタビュー]

波風立てずに生きる器用さを、
ちょっと残念だなと感じる大人に読んでほしい

「きょうのパーティーで、ビューティ・ペアの『かけめぐる青春』を振付つきで歌うんですよ」と、軽やかにステップを踏んで見せてくれた桜木紫乃さん。インタビューさせていただいたのは、桜木さんの六十歳の誕生日を祝う会が行われる日でした。
最新刊『情熱』は、五十代の最後を飾る、集大成的な短編集でもあるそうです。早期退職して札幌にUターンしてきたカメラマンの男性が、仕事の現場で高校時代の恋人と四十年ぶりに再会することから始まる「かく」、還暦を過ぎた音楽ディレクターが、寄る年波を感じながらも仕事への愛着や感傷と向き合う「スターダスト」、北海道在住の男性作家が博多での講演会ついでに、ローカルテレビ局の仕事で知り合った同い年の大学教授の女性に、彼女の故郷を案内してもらうことになって……という表題作など、六つの短編が収められています。登場人物の多くは還暦前後で、彼ら彼女らが過去を振り返り、これからを見つめていく作品が揃っています。
コンスタントに作品を発表してきた桜木さんですが、小説としては、これが三十冊めの本になるとのこと。シンプルだからこそ意味深な『情熱』の意味も気になります。仕事に対する現在の思いや、短編を書く面白さをうかがっていきます。

聞き手・構成=三浦天紗子/撮影=chihiro.

大人の情熱と分別の物語

── 『情熱』を面白く拝読しました。読者は、〈情熱〉というタイトルの字面から、おそらく何かに熱中している人や熱い思いを持つ人の物語を想像して手に取るだろうと思います。私も、読む前はそんな印象がありました。ですが、読み終わってみると、激情や熱血といったパワフルな熱ではなく、もう少し抑えた、ちろちろと燃える熾火のようなイメージが浮かびました。

 それはおっしゃる通りというか、ナイスです(笑)。収録作を書いた時期とも関係があるのかな。どれも、五十代の最後の三年間に書いた短編なんですね。実は、五十歳からの十年間、ずっと気にし続けていた言葉があるんです。

── 五十代の間、ずっと心の片隅にあった言葉ですか。なんだかすごい。

 五十歳の誕生日に、花村萬月さんからバースデーメッセージをいただいたんです。花村さんとのやりとりはいまだにmixi(ミクシィ)なんですよ、いいでしょう。何が書かれていたかというと、「桜木、誕生日おめでとう。女のもの書きは五十代にいいものを残すから。あと、おまえには本物の中庸があるから。自分の資質に心を配って書いていきなさい」。〈本物の中庸〉も〈自分の資質に心を配って〉もよくわからないまま、けれど「五十代のうちに何か残さなきゃ」と、そればかり考えていましたね。

── 本物の中庸がある。それが桜木さんの作家としての資質だ、というメッセージはすごい祝福ではありますが……。

 いやもう呪いかもしれない。記憶力の悪い私が空で言えるんだから、その言葉によほど囚われていたのだと思います。いいものを残したかどうかは自分ではわからないけれど、十年、精いっぱい走ってきました。作品一本一本、自分に課した負荷をちゃんとクリアしているかどうかをいつも気にしていました。自分との約束だから、これは破るわけにいかない。破れない。そのあたりは、担当してくれている編集者のほうがわかってくれているかもしれないですね。いつも全力で書くけれど、私のメーターは百までだから、踏み込んで百が出ていれば、いっぱいいっぱい。でもときどき編集者のひと言で、百二十の力が出ることがあるんです。そういうときは本当にうれしい。自分の力だけで書いているんじゃないなあと思えた十年でもあったかな。

── そして十年かけてたどり着いたのが、本書で描いた、突っ走るだけではない〈情熱〉の形なんですね。

 読み返しているうちに気づいたんですね。ああこれは、情熱と分別ふんべつの話だったなと。情熱に分別を寄り添わせることができる芸当は大人になってしまった証しでもある。分別で蓋をしているわけではなくて、けれど波風立てずにバランスを保ちながら生きることもできる年代なのだということで、それは単純に「いい、悪い」と判断できないけれど、その器用さをちょっと残念だなと感じるような人に読んでほしい。そんな気がします。

五十代だからこそ書けた初老の諦念

── 思ったんですけれど、今回の短編集では、桜木紫乃印ともいえる駄目な感じの男の人が少ないですよね。どちらかというといい男ばかり。

 本当に? ちょっと筆が上がったのかな。

── たとえば、「ひも」という一編は、美容室の店長をしている江里子えりこと、〈体でお返しできないヒモ〉朗人あきひとの無二の関係性が描かれます。何が起きるかは言えないのですが、全体としてすごく心温まるストーリーになっていました。

 あれは、大竹まことさんからヒントをいただいてできたお話なんですよね。大竹さんと話をしていると必ず小説の種をもらって帰ってこられるのです。私の『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』という長編も、大竹さんの「大竹まこと ゴールデンラジオ!」に呼んでもらったときに彼がふわっと口にしたのがその言葉で、「大竹さん、それタイトルになりますね!」と、もらったのがきっかけです。「ひも」は、別のときのラジオ終わりでケーキをごちそうになったときですね。「次は何を書いたらいいかな」と聞いてみたら、「うん、そうだな。老人の恋だな。ヒモとかいいんじゃないか」と言われて。老人でヒモか、ならば名前は〈ロージン〉にしようとか、ヒモと暮らしている女性が脱ぎ捨てたでっかいパンツにショーツライナーがついているのを彼に注意されるみたいな生活のあれこれが浮かんできました。ヒモの仕事とは何だろうと突き詰めていったら、すべてを受け止めることだなと。必ずしも本当のことを言わなくてもいいんですよ。本当のことなんて言わなくてもよくなるのが大人なんだなって。……いま私、いいこと言ったね。

── 四番めの「グレーでいいじゃない」でも、男性が魅力的に書かれていました。

 あれは、『家族じまい』に出てきたコンビに再登場してもらいました。アルトサックス奏者の紀和きわという三十五歳の女性と、ジャズピアニストのトニー漆原うるしばら。まさかトニーに死なれると思っていなかったですけれど。

── トニー漆原は逆縁で、九十歳になる母親が息子の葬送のためにピアノで「G線上のアリア」を弾いているという場面から始まるのが印象的でした。クラシック至上主義だったピアニストの母親に反発したトニーは風来坊的なところはもちろんあるんですが、でも彼の過去が見えてくるとなんかいい人だなと……。

 芯のようなものがありますよね。を知っている男を書けるようになったんだとしたら、すごいうれしいな。私、男性視点で書いても女性視点で書いても、「いつも男が情けなくてだらしない」って言われていたんですよね。それが、読んだ人に不快感を与えず、「いるいる」「あるある」と思ってもらえて、なおかつ何かちょっと胸のあたりをきゅっとさせられているのだとしたら。そういうのがたぶん〝短編のへそ〟だと思うんだけど、悪い男だとかしょうもない男だというだけではない、どこかできちっと自分を持ってる。男性だけではなくて女性のことも、そんな中年というか初老の諦念のようなものを書けているとしたら、年取ってよかったなと思います。どれも三十代では書けなかった。間違いなく四十代でも書けなかった話だと思います。

── 少し話は飛びますが、桜木さんのお父様がモデルだという『人生劇場』も拝読して、主人公の猛夫たけおに対してあまり否定的な気持ちは湧かなかったんですよね。確かに山師的な男の人の一代記なわけですけれど、最後には「こういう生き方もあっていいんじゃないか」と肯定できました。

 北海道の男って寄る辺がないんですよ。家柄だの、誰それの末裔だのとかないから。身軽っちゃ身軽で、自分しか荷物がなくて、自分を抱えて走れればよしなんだけれども、その自分がいちばん重たいことにあるとき気づいたりするんです。それで何とかしなければと山師のようになっていく。そういう人、山のように見ましたよ。うちの父親のことも『人生劇場』で書いてみてつくづく思ったのが、こうやって男たちはみんな自分を駄目にしていくんだなと。でも、駄目にしている割には幸せそうなんですね。はたから見てどうしようもないような人が意外と幸福だったりするのだな、幸福感と幸福は違うのだな、ということを父親に学びました。

── 幸福感と幸福は違う。なるほど。

 その刹那の幸福感の連続でいいんだなって。

肩の力を抜いて小説と見つめ合えるようになった

── この本では、いくつかの作品に、桜木さんに関連するトピックが顔を覗かせています。「らっきょうとクロッカス」の芙美ふみは裁判所職員で、一般職の女性としては出世街道を歩いていたのに、突然はしごを外されるという不遇からの再生ストーリーですが、桜木さんも作家になる前に裁判所にお勤めでしたよね。

 はい。この話は夫に裁判所の人事なんかを取材しました。

── 他に、ご趣味のアルトサックスのことや、「兎に角」に、メインキャラではなくてふたりを引き合わせるきっかけになった作家が出てきますが、ああいう蓄熱下着のタイアップ広告に、桜木さんも出てらっしゃったことがありましたよね。

「情熱」で語り手になる作家が、北海道ばかり書いていると言われたくなくて九州に出向く、というのもちょっと私です。何気ないことでも短編の種として使えるようになりましたよ(笑)。これとこれを組み合わせて火打ち石みたいにかちかちっとやったら、そこに火をおこせるみたいになってきた。ただ、目の前で火がつくと長編になってしまうので、短編では少し体から離して火熾しする感じ。……うまく伝わっていますか。ありがたいのは、三十代で短編をがっちりたたき込む新人賞をもらったことですね。短編は寸止めが大事と教わってきたんです。その匙加減がうまくなりたいと思っていた。この短編集だとどれも三十枚から四十枚ぐらいですが、枚数を決めると無駄なこと書けないんですよ。フィギュアスケートのジャンプで言えば、三十枚の短編は一回転、『家族じまい』のときは一章八十枚に挑戦したのですが、これは二回転半。実際に自分でやってみてつかんだ感覚なのでうまく説明できないんですけれど、枚数で着地するまでの回転数が変わるんですよ。

── それは長く書かれてきた桜木さんだからこその発見ですね。面白いです。

 そう言えば、担当編集者に言われて気づいたんですけれど、六編のうち、いちばん古いのが二〇二三年のお正月に文芸誌に掲載した二編なんですね。「すばる」と「小説新潮」。その二誌に載った、二三年、二四年、二五年の新年号掲載作を集めたんです。新年号の執筆陣に呼ばれることは大変光栄なことなので、担当編集に恥をかかせてはいけない、喜んでほしいといった気持ちはあるものの、「年末進行で一本ください」と特にテーマも指定されずに依頼された短編ばかりなので、わりと力を抜いて自由に書くことができました。
 ある時期までは「もう少し男女を接近させてください」や「官能とミステリーの要素を入れてください」という注文に応えていたのが、いまはそのときどきの自分が書きたかったものを素直に書いている感じがします。

── ところで、桜木さんご自身は、情熱という言葉を考えたとき、若いころとニュアンスが違うなとか、意味が変わってきたかなとか、何かありますか。

 そうですね、若いときの情熱が斜面を一気に駆け上がるようなものだとしたら、いまの情熱はすごいフラットな場所を同じ速度で淡々と歩いていく感じ。五年くらい前からかな。『砂上』のラストに書いたようなイメージで、リズムを均等に刻んできれいに、動物的な足跡をつけていけたらと思っています。ずっと、「もっとうまくならなきゃ」「こんなことを言わせたままにしておかないぞ」と、もっともっとの飢餓感というか、いつも渇いていた気がします。私は単行本デビューした時点でもう四十二だからスタートから出遅れているわけで、欲はないほうだと思っていたんですが、いただいた賞に恥じないようにという思いも少しはあったんでしょう。とはいえ一生懸命、小説だけ書いていられたし、私は編集者の熱に引きずられるという書き手でもあったと思います。でもいまはそういうなにくそ精神からはさすがに一回りして、楽になったかな。賞の圧からも解放されて、肩の力も抜けて、いまは小説と、向き合うというよりは日常として見つめ合っている感じですね。向き合うとなるとそこに熱が生じるんですけれど、見つめ合うくらいならあまり熱を生まずにすむ。〈情熱〉とタイトルにはつけたけれど、「これ熱ないじゃん、だって大人だもんね」みたいな。いて言うなら、あれだ、蓄熱ですね(笑)。

桜木紫乃

さくらぎ・しの●作家。
1965年北海道生まれ。同郷の作家・原田康子の『挽歌』を読んだことがきっかけで文学に興味を抱く。高校卒業後、裁判所勤務、専業主婦を経て、2002年「雪虫」でオール讀物新人賞を受賞。07年、受賞作を収録した『氷平線』で単行本デビュー。著書に『ラブレス』(島清恋愛文学賞)『ホテルローヤル』(直木賞)『家族じまい』(中央公論文芸賞)『ヒロイン』『彼女たち』『人生劇場』等多数。

『情熱』

桜木紫乃 著

7月4日発売・単行本

定価1,815円(税込)

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