[受賞記念エッセイ]
もう一人の耕一郎
逢崎 遊
「正しき地図の裏側より」は父親との何気ない会話がきっかけで誕生した。寡黙な父はあまり自分のことを語らない。そんな父が珍しく、若い頃に日本各地を転々としながら様々な仕事をしていたとこぼしたことがあった。夢を追うというよりも出稼ぎに近く、それなりに苦労もしたらしい。話を聞いた時はふぅん、程度に思っており、自身の創作に絡める気は全く無かった。
時は流れて数ヶ月後。昔書いた推理小説を基に、新人賞に応募するための作品を書こうと構想を練り直していた。その途中で、謎を紐解いていく展開よりも、やむを得ず真っ当な人生から逸脱してしまった犯人側の青年の旅路を書く方が、今の自分には魅力的に書ける気がした。そこで思い出したのが父親の存在だった。続いて頭に浮かんだのは、汗水垂らしながら働く多くの労働者と、活気を感じる九〇年代の街並み。物や情報に溢れた令和じゃダメだった。バブルが弾け、崩れていく時代の常識に人々が戸惑っていた平成初期が良い。その中に主人公の耕一郎を歩かせると、物語は一気に加速した。展開は次々と浮かび、書き上げるのに時間は掛からなかった。
作品が完成して一番嬉しかったのは、表現したい物語を自分の文章で書き切れたことだ。借りてきた言葉ではなく、文章の全てに実感を乗せられた気がした。だから「最終選考に残りました」という連絡を受けた瞬間に、自信は確信へと変化した。
受賞が決まり、真っ先に故郷の家族へ連絡をした。父は活字が苦手な人だが、小説を書き続けている我が子のことは信じてくれていたようだ。めでたく作家になった息子を称えながらも、最後には「一作で終わるなよ」と念を押された。まったくもって父親らしい。だから「分かってる」と、私は緩んだ兜の緒をこっそり締める。
受賞して間も無く、二十五歳になった。これからも逢崎遊にしか書けない言葉で、より良い作品を紡げるよう努めたい。
撮影=藤澤由加
逢崎 遊
あいざき・ゆう●1998年沖縄県生まれ