[インタビュー]
代役が本物になっちゃった─。50代の脇役女優が、舞台開幕直前に倒れた主演アイドルの代役を務めたことからスターになっていく顚末と、それを取り巻く人間模様を描いた松井玲奈さんの新刊『カット・イン/カット・アウト』。
舞台に関わるさまざまな人々が胸の内に秘めた葛藤と、交錯する人間関係。アイドルグループで活躍し、のちに俳優として表現の場を舞台や映像に、さらに文筆活動に広げた松井さんだからこそ描けたリアルな物語は、「小説すばる」連載中から大きな反響を呼んだ。
自分はなぜここにいるのか。そもそも、自分とは何者なのか?
作中、登場人物たちが反芻する問いを、書きながら自身にも投げかけ続けたという松井さんに、創作の〝舞台裏〟を尋ねた。
聞き手・構成=大谷道子/撮影=髙木健史(SIGNO)
スタイリスト=井阪 恵(dynamic)/ヘア&メイク=MISU(SANJU)
知られざる、この人の物語を書きたい。
俳優として見聞きした体験をベースに
―― デビュー作『カモフラージュ』、続く『累々』と、繊細な恋愛小説からホラーテイストの不思議な作品まで、さまざまな手法で人の心の深層を描いてきた松井さん。新刊『カット・イン/カット・アウト』は芸能界に身を置く人々を中心に描いた、バックステージものの連作短編集です。ご自身も長く身を置いている世界のことをいつかお書きになるのではと期待していましたが、この物語の構想はどんなところから始まったのですか。
バックステージもの、というジャンルがあるんですね。実は前の作品を発表した後に書き始めていた小説が1本あったのですが、それが行き詰まってしまい、編集の方から「気分転換に、何か短いものを書いてみませんか?」と提案されたんです。そのとき、以前からこの人の話を書いてみたいと思っていたアイデアがあったのを思い出し、今だ! と書き始めたら、案外、スルスルと書けて……という感じの始まりだったと思います。
―― 「この人」とは、全6話の連作の幕開きの一編「私は誰のために」の主人公・マル子のことですね。普段は舞台のバイプレーヤーとして脇を固める52歳のベテラン。人気劇団・劇団
少し年配の舞台女優を主人公にしたいということはずっと前から思っていて、そこからどう物語を動かすかと考えたときに、誰かの代役をすることでその人の人生が動いていく、そんな展開を思いつきました。彼女の境遇が変わることによって周囲の人の人生もまた動き始める、そんなストーリーを書けたらと。
実際、私も舞台や映像の現場に行くと、そこには自分が何をするべきか、自分に何が求められているかをしっかり理解しているベテランの先輩俳優の方々がいて、ミッションを遂行するように丁寧なお仕事をされているのを見ます。私や、私よりも若い年代の俳優たちは、何か爪痕を残そうと意気込み、ときどき空回りしたりもするんですが、先輩たちにもきっとそんな時代があって、それを経て自分のステージを把握し、今のように落ち着いていられるのだろうなと……。そんな方々の人生が変わっていく物語はきっとおもしろいだろうし、書けばきっと発見があるんじゃないかと感じました。
―― マル子にはモデルが存在するということですが、他にも実体験が生かされた箇所があるのでしょうか。
はい。小説を書いているときは、稽古場や劇場にいてもどこか頭の片隅に小説のことがあるので、共演者の話したエピソードの断片がアンテナに引っ掛かり「この状況は作品に使えるかもしれない」「詳しく聞いておこう」と思うことが多く……。なので、自分自身の体験ではありませんが、現場で見聞きした話が今回の作品の中にはけっこう盛り込まれています。
また、ドラマや映画では1本の作品やひとつの役で、ある俳優の人気や注目がドンと「跳ねる」ことがよく起こりますが、舞台ではそれがなかなか起こりにくいんですよね。映像と比べてクローズドな空間ということもあるのですが、そこには本当にすばらしい俳優の方たちがたくさんいるので、もっともっとスポットが当たってほしいということも、書きながらずっと思っていました。
闘う人がいれば、その姿を見守る人も。
誰もが、本当はひとりじゃない
―― 役との年齢差を乗り越えて代役を見事に演じ、脚光を浴びるマル子。その対比となるのが、降板した「ももちゃん」こと中野ももの存在です。子役からキャリアを積み、アイドルグループ「スピンズ」の一員となったももは、演じることに自身の存在意義を見出そうと舞台に挑みますが、演出家からの厳しいダメ出しとプレッシャーに追い詰められることに。作者と作品は別物なのですが、アイドル活動を経て俳優として、ひとりの表現者として脱皮しようともがく彼女の姿に、つい松井さんを重ねてしまいました。ご自身でも、書いていて身につまされる部分があったのではないでしょうか。
そうですね。私自身のことではないとしても、壁にぶつかった経験があるのは同じなので……。舞台でも映像でも、今、現場に行くと、そこには私より年下の俳優たちがたくさんいて、頑張っているけれども思うようにできなくて悔しくて塞ぎ込んでいる様子はよく目にします。
ももちゃんはこの先仕事を続けていくにはどうしたらいいかと考え、今、目の前にあるアイドルというカードを選択した人。ある意味、自分自身が商品だと自覚する潔さを持っている子です。そんな彼女が芸能界でどう戦おうとしているのか、そのプライドや格好よさも表現できたらいいなという思いで書いていました。
―― この二人を軸にしつつ、物語はさらに別の立場の人物を取り込みながら進んでいきます。第2話「僕はなんのために」に登場する〈僕〉は、いわゆる〝もも推し〞の大学生。彼女を目当てに取ったチケットで劇団潮祭の舞台を観に行き、代役のマル子の芝居に感銘を受けて彼の人生も動き始めます。舞台の上から外へ視点がずらされることで、目の前の世界がより立体的になる感覚を味わいました。
ありがとうございます。最初はマル子さんの話の続きを書くか、ももちゃんの物語にするかと考えたのですが、ふと、この舞台を観に来た人が何を思ったのかというのもおもしろいんじゃないかと。ちょうどコロナ禍の頃、劇場に行ったものの、推しがその日は出演できなくなり、劇場前で肩を落とすお客さんたち、といった状況がよく見られたので、その人たちがどんな気持ちで応援していたのか、その気持ちにも焦点を当ててみたくなりました。それはある意味、自分が応援される側でもあるからだと思います。
「会えて幸せ」「うれしい」と満たされる気持ちにはなるものの、応援って、よく考えたら物質的な見返りは何もないんですよね。なのに応援してしまう、それはいったいなぜなんだろう? と深掘りしたくなって……。この一編を書いてみて、自分としてはとてもしっくりくる部分がありました。
―― 第4話「あなたのために」は、映像の仕事も入り始めて多忙になったマル子についたマネージャー、
この人にもモデルがいるんですが……(背後にいる女性をチラリと見て)本人がいる前で言うのは恥ずかしいんですが、私のマネージャーさんなんです(笑)。マル子さんをしっかり支えてくれる人が側にいたらいいだろうなと思ったとき、身近にいる彼女を頭に置いて描き始めたら、どんどん先が書けて。亜華覇くんの名前が派手なのは、以前のマネージャーさんの名前がやはり派手で覚えやすかったから(笑)。そういう意味では、亜華覇くんは私が今までに出会ってきたマネージャーさんたちの集合体なのかもしれません。
マル子さんは自分はひとりぼっちだと思っていますが、実は側には亜華覇くんがいるし、舞台の仲間たちが応援してくれている。ももちゃんにも、遠くで見ている〈僕〉、
書くことは、自分の本心に向き合い、
それを伝える大切な方法
── そして第5話「オーバーラン」、最終話「カット・イン/カット・アウト」では、すべての登場人物が再登場し、彼、彼女らの物語が織り上げられていきます。途中、かなり緊迫する場面もありますね。
私はいつも頭の中で映像を展開させながら小説を書いているんですが、第6話で起こる事件のような出来事はまったく思ってもみなかったことで、書き上げるまでにすごく時間がかかったのを覚えています。雑誌連載という形で書いたのは今回がはじめてで、回数も一応決まっていたため、「待って、まだもっと書かなきゃいけないことがある気がする!」「これ、本当に終わりますか?」という焦りも、はじめて体験しました(笑)。
── そして、マル子ともも、ふたりにとってその運命に一旦区切りをつけるときが訪れます。とくに、マル子が第1話の代役騒動からずっと持ち続けていた、自分はももの代わりに過ぎないという、一種の負い目にも似た感情にどう決着をつけるかが、大きなポイントになりました。
俳優として役を演じることにも通じるんですが、誰かの代わりになるって、決して簡単なことではないと思うんです。でも、マル子さんは、自分が評価されることになったのは、ももちゃんがつくり上げてきたものがあったからだという思いが拭えずにいる。そんなふうに、自分は本当は陰の存在なのにと自己暗示をかけ、生きることに自信が持てず不安定になっている人はけっこう多いんじゃないかと思います。
自分自身も漠然とそんな不安を抱くときがあるので、物語の中でそれに向き合いながら、登場人物たちが自分の存在価値や、今ここにいる意味をわかって次の一歩を踏み出せるようになったらいいなと……。気持ちのいい終わり方にするというのも、今回の目標でしたね。これまでダークな終わり方をする作品ばかり書いてきたので。
── 松井さんご自身は、俳優のお仕事も執筆も順調な現在。それでも、マル子やももが感じるような迷いや不安を感じることがあるのでしょうか?
もちろん。いつも迷ってます。小説を書いているときも「本当にこれで大丈夫かな?」と。思ったところにたどり着けるかどうか、そして、ひとりよがりにならず意図がちゃんと読む人に届くのかどうか、そんな不安は常に感じていて。 でも、心配ばかりしていても何もいいことはないので、だめならだめでそれは勉強として次に活かしていこう、必ず改善はできるはず! と割り切りながら……でも実際は、原稿を編集さんにお渡しして、返ってきた感想を読んで「よかった~、伝わってた!」と、ひとりパソコンの前で泣いたりしています(笑)。
── 物語が最終局面に向かう過程でも、重ねられるのは「自分とは何か」「本当にいるべき場所とは」という問いかけ。今作を束ねるテーマともいえる自問自答は、松井さんがこれまで発表したどの作品にも通じているように感じます。
そうですね。私は、人の思い、その本音の裏側を書くのが好きなんだなと、あらためて思いました。こうして立っているけれども、実はこんなふうに感じているとか、本当はこんな不安を抱えているとか……そういう、表には見えていない裏側を突き詰めていたいんだなと。
前に、あるミュージシャンの方に「君はもっと自分の思っていることをストレートに言ったほうがいいんだよ」と言われたことがあったんです。「でも松井玲奈としてそれを言うと、角が立つだろうし」と返したら、その方から「あなたには文章や小説がある。本当の自分を表現する方法があるのに、もったいないじゃないか」と言われて、さらにハッとしました。そうだ、私は自分のことをわかってほしいと思うのと同時に、こんなふうに考えて生きている人がいるんだよということを人に伝えたくて、書くことに向き合っているんだと。私はそういう人間だし、これからもそうあるべきなんだろうなと思っています。
松井玲奈
まつい・れな●俳優、作家。
1991年7月27日生まれ。愛知県豊橋市出身。2019年『カモフラージュ』で作家デビュー。その他の小説に『累々』、エッセイに『ひみつのたべもの』『私だけの水槽』がある。今作『カット・イン/カット・アウト』が、3作目の小説となる。