[特集インタビュー]
主人公は私の中にずっと棲んでいた少年です
認知症老人のひとり語りで、その数奇な人生を描き切った衝撃作、永井みみさんの『ミシンと金魚』(第四十五回すばる文学賞受賞)は、多くの読者の感動を呼んで、昨年二月に刊行された単行本は十刷を超えた。その永井さんの待望の受賞後第一作『ジョニ黒』(「すばる」二〇二三年六月号掲載)が刊行される。
一九七五年の横浜を舞台に、九歳の少年アキラが体験した濃密なひと夏を描いた本作には、物語のそこかしこに懐かしい昭和の匂いや描写が溢れている。親友のモリシゲ、男に依存的な母親マチ子、ヒモの
聞き手・構成=宮内千和子/撮影=山口真由子
私の中にはずっと九歳の少年が棲んでいた
―― 『ミシンと金魚』という、あれだけの話題作を書かれた後の作品構想にはプレッシャーもあったと思いますが、まずはこの作品が生まれた背景をお聞かせください。
『ミシンと金魚』は、本当に多くの方に読んでいただいたし、書店員の方々にも心のこもったポップをたくさん書いていただいて、ありがたいなと心から感謝しています。
この『ジョニ黒』に関しては、受賞後に構想を練ったものではなく、じつはずっと昔から「いつか書いてみたい物語」として、私の中にあったものです。私は十三歳まで横浜で暮らしていまして、この小説の主人公の少年が見ているものは、九歳の私が同時代に見聞きしたことがそのまま反映されています。七〇年代ってまだ戦後が残っていて、今とは全く匂いも手触りも違いますよね。私が子ども時代に生きたこの空気を小説にしてみたいとずっと思っていたんです。
―― そうだったんですか。物語に出てくる下町の空気、鎌倉街道の排気ガスの
ええ、当時の横浜の黄金町エリアって、黒澤監督の映画「天国と地獄」でいえば、地獄のほうの下層の下町で、そういうところで私は育っているんです。まだ私娼窟とかあって、ごみごみして汚いし、
ところが、十三歳の中学校一年の終わりに、横浜から成田(千葉県)のほうに転校したんですよ。そこで、自分の中で横浜がパンとカットアウトされたみたいに終わってしまった。そこを境に、横浜の街の空気や匂い、騒音とかが、まるごと真空パックになって私の中に封印されて、そのまんま更新されないでいるという感じです。
―― だから昭和の匂いや描写が、生の感じで響いてくるんですね。タイトルの『ジョニ黒』もまさに昭和の代名詞です。
ジョニ黒には思い出があるんです。私が小学校五年のときに父親とけんかをして家出をして、叔母の家に二泊したとき、お酒がいっぱいある家で、帰りに叔父さんから、お土産にお父さんに好きなお酒を持っていきなと言われまして。それで私がジョニ黒(ジョニーウォーカーのブラックラベル)を選んだ。そうしたら、叔父も叔母も慌てちゃって、(ラベルが)赤いほうがきれいでしょとか言うんです(笑)。でも、私は父親にジョニ黒はいい酒だと聞いていたので、絶対ジョニ黒じゃなきゃ嫌だと言って、叔母たちは泣く泣く折れた。家に帰ったら、父親が、私の家出を心配するでもなく、おお、ジョニ黒だ、でかしたなと言ったんですよ。
―― 当時のジョニ黒には威力がありましたね。でも、作品中の少年もそうですが、小学五年生くらいって、本当に恐れ知らずで自由ですね。
じつは、主人公のアキラとモリシゲも、私の中にずっと存在し続けてきたキャラクターなんです。私が年齢を重ねても、彼らは九歳のままでずっと私の中にいて動いているというか……。自分の現実と、彼らの現実が時空を超えて共存している感じ。例えば、自分が現実ですごくつらいことがあったとき、彼らは今どうしているのかなと覗くと、二人でキャッチボールをして遊んでいる。夕方になってだんだんボールが見えなくなっても、やめどきをつかめないで遊んでいる。そして本当にボールが見えなくなって、お腹もすいて、どちらからともなく、帰るか、帰るべ、帰るべと言って帰っていく。そんな光景を見て私もほっと心が緩む。そんなふうに彼らを、自分の逃避場所としても使っていた気もします。
みんなが少しずつ父親を担う男たちの物語
―― アキラの日常風景の中に、父親が突然海で生死不明になるという事件が差し込まれます。この作品は男たちの物語であると同時に、少年の父親探しのようにも読めました。
そうですね。前作の『ミシンと金魚』は、母と娘を書きました。母親というのは絶対的なもので、子の父親が誰だろうと女性は産んだ瞬間から母親になるわけです。でも、父親というのはもう少し社会的なもので、頭で納得して父親になっていくというイメージがある。つまり、その意味で社会的に誰もが父親的な存在になれる感じがあるんですね。
―― この物語には父親的な存在がたくさん出てきますね。
そうです。母親のヒモの日出男だけでなく、町会長さんも町内の父親だし、模型屋のおじさんも遊んでくれる父親、アキラたちが時々差し入れをするホームレスのクロも、どこかしら父親的な部分がある。アキラと交信できる犬のヤマトもお父さんです(笑)。あと、隣に住んでいる口うるさい祖母の“ばあちゃん”も、じつは父親的な役割を担っている。本当の父親は海ではぐれてしまったんですが、アキラはそうやって父親的なものに外側から見守られているんですね。
―― みんなが少しずつ父親役を引き受けている。ホームレスのクロちゃんが真っ黒な手で十円玉を出して、黙ってアキラにカールを買ってくれるシーンが印象的です。
横浜の人間関係って、ちょっと独特だなと思うんです。なんか距離感が遠いんですよ。だけど、ベタベタしてないのに、優しい。それは横浜を中一の終わりで離れたことで分かった人間関係の距離です。小説に書いたように、遠いんだけど、そこはかとない優しさをふわふわっと与えてもらっていたんだなという幸せな記憶が残っています。それは多分外国から来る人が多い、港町独特の人間観だと思うんですが。
少年が勝手に走り出した瞬間
「あ、生まれた!」と思った
―― アキラがふらっと出ていってしまった日出男を探しに
そう、冒険なんです。この夏休みの冒険で、アキラはすごく成長したかなとは思います。探偵のように自分で描いた似顔絵を持って、知らない店や知らない家に入って聞いて回る。バスに乗って一人でどこかへ行くというだけでも、子どもにとっては大変な冒険だし、知らない人に声をかけて聞いてみるのも、勇気が要ることですからね。
あのシーンは、最後はアキラの一日を描こうという漠然としたものがあっただけなんですが、アキラががばっと起きたところを書き始めたら、止まらなくなってしまった。勝手にアキラが起きて支度を整えて、変装のために野球帽の裏メッシュを出して目を覆っている姿が見えたんですね。私は、その姿を追っかけていくだけ。アキラは小学校四年生なので動くスピードがすごく速くて、私はちょっと待ってよーと焦りながらついていくのに精いっぱいで(笑)。
―― アキラの「ギャロップ」走りという表現が出てきますね。跳んでいくような感じなんですか。
子どもの頃スキップとギャロップというステップがあって、ギャロップは横に足をパンパンとやりながら跳んでいく感じ。それでどんどん勝手に動き出して走っていって、ばーっと地下鉄に乗って行ってしまった。私のスピードと彼のスピードが明らかに違う。そのとき、感じたんです。何十年も私の中にずっと生きてて、彼は外に出たかったんだろうなと。
私も死にたいぐらいつらいと思ったとき、でも自分が死んだら、アキラたちは誰にも知られることなく道連れになってしまう。とにかくアキラを産み落としたいという、その一念で生きていた部分もあるので、彼が勝手に飛び出していったときは、やったー、生まれたんだ、外の世界に出たぞーと、感動的な解放感がありました。
―― じゃあ本当に作品を生み出したという感じですね。
そう、産んだという感覚。だから今はほっとして、腑抜けのようになっているんです。自分の使命を果たしたかなと。「ひゃっほー!」って地下鉄の出入り口から飛び出してくるシーンは、私が本当に書いているのかなと思うくらい、彼が主導権を握っていて、私は外側から、ああ、うれしいんだなと見ている感じでした。
――『ミシンと金魚』のときも、新型コロナで死にそうになってから、主人公のカケイさんに引っ張られて書かせてもらったとおっしゃっていました。
そうですね、自分が弱っていると、余計な自我が削がれて、カケイさんだけに任せようとゆだねられた。アキラも同じだと思います。
絶望が深いほど向こう側の世界を見たくなる
―― 最後のシーンもアキラが見せてくれたのでしょうか。ネタバレになるので詳しくは言えませんが、切ない中に、どこか幸せな予感を感じる印象的なラストシーンです。
まだ戦後の匂いが残る、汚くて怪しげな下町で育った私の子ども時代は、毎日が刺激的で楽しく、幸せな時間だったと思う。だからこの小説も幸せな予感を残して終わりたかった。純文系の小説では、こういう終わり方は、軽く見られがちです。絶望の中で重厚に終わるほうが純文的な価値が上がるという感じは分かるんですよ。
でもね、本当の絶望を知ると、手探りであっても、その突破口を見つけたいという思いが強くなるんです。どうしても向こう側の世界を見たくなる。絶望って身を沈めていけば思うように転がっていけるんですよ。どこまでも下のほうに落ちていける。そこから浮かび上がるのは本当に難しいから。だけどどちらが重いかといえば、私は絶望に身を寄せるより、浮かび上がろうとするほうが重いと思うんです。だから、私は自分の作品で、絶望ぶりたくない。
―― 絶望には寄りかかれますからね。
そうなんです。私自身にも、絶望をあえて振り切ることを余儀なくされたことがありました。じつは夫が去年の十月に亡くなったんです。本当の無というか、不在の存在の重さを実感しました。そのときに、私は仕事もあるので必死に普通に暮らそうとしていたら、友達が、そんなに頑張らずもっと悲しみに浸りなよと言うんです。私が浮かび上がろうとしても、頭を押さえつけるように沈め沈めと言う。それを聞いて、いや、絶望は心の中にあるけれど、そこに浸るのではなく、今ある力を振り絞って日常を生きていくほうが大切だぞと思った。みんなそういう時期があるじゃないですか。その辺を歩いている方も、今とんでもないどん底にいるかもしれない。普通の表情で歩いていらしても、その方の抱えている絶望がどれほどのものかは計り知れないと思うので。
―― そうでしたか。悲しみを一日一日できることに振り向けるって強いですね。私はもう書けないとなっても誰も責めない状況の中で……。
しようがないよねってみんなに優しくしてもらえますからね。この小説は、夫が生きていたときに書き上げたのですが、その段階では、アキラの父親の死をはっきりとはさせてなかったんです。夫が読むという前提で書いていたから。
夫が亡くなってから、アキラが、お父さんにさようならと言うシーンを書きました。そこを書いたときに、三時間ぐらい泣きまして。でも、それはこの物語にとっても私にとっても必要なシーンだったと思う。アキラと同じように、さよならを言わなきゃと思うのに、やっぱりどこかにいると思って探してしまう。でもアキラが振り切ってくれたので、私も振り切れたんだと思います。
今度は自分と等身大の私小説に挑戦したい
―― 精神的にきつかったと思いますが、それを作品への力としてやり遂げたのはすごいことですね。次の作品への構想はありますか。
はい、今回は本当にきつかったですが、長年抱えてきたテーマを生み出せたという喜びもあります。前作の『ミシンと金魚』は、人生の最後の老境、今回は人生の始まりの幼少期を書いたもので、この二作は対極にあるように見えても、端っこと端っこではあるので、街を形成している人たちのメインのところではない。そういう意味では共通していますよね。
次のテーマを考えたときに、今までは自我とか自意識とかそういった部分はあまり書いてないなと思って、今度は、自分と等身大の物語を書こうかなと思っています。作家になりたいと思ってから、なるまでに二十年ぐらい結構な時間があったので、そこを這いあがってきたクライマーの話として(笑)。つまり、私小説ですね。
―― 私小説では、また永井さんの新しい世界が展開しそうですね。楽しみにしています。
いや、こうして作家としてデビューできたからこそ書ける話で、それがなければ誰にも読んでもらえないし、書く必要もない話です。でも、書くからには、ちゃんと読んでもらえるものを書きたいと思っています。
永井みみ
ながい・みみ●作家。
1965年神奈川県生まれ。2021年に第45回すばる文学賞を受賞した『ミシンと金魚』でデビュー。22年、同作は第44回野間文芸新人賞の候補に選出された。