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今月のエッセイ/本文を読む

集英社文庫『心淋うらさびがわ』の刊行に寄せて
絶対不変の法則

[今月のエッセイ]

絶対不変の法則

「『心淋うらさびがわ』文庫化にあたってエッセイを」と頼まれて、はたと困った。直木賞をいただいたおかげで、本作についてはいくつも寄稿して、すでにネタ切れである。
 ただ、ネタが尽きたからこそ、本作の主題について改めて考えた。
 もとよりエンタメ作家を自負しているだけに、まず物語と人物造形ありきで、執筆中は主題なぞあまり意識していない。ごくたまに、こういうことを描きたい訴えたいと、主題が先に来る場合もあるのだが、往々にして主張が強いと面白さが半減する。
 作家の言いたいことは、執筆しながら時々こぼれてくる―― 私の場合はその程度が、いちばん良いように思う。
 なので本作についても、さほど深く考えず、主題については後付けの感も否めないが、いて言えば、ひとつだけある。
 よどんだ川のほとりで、それぞれの物思いに囚われながら、その日暮らしを営むさまざまな人々。おしなべて貧乏で、学や才に恵まれず、時代の潮流に乗ることもできず、この場所に流れ着いた者たちだが、私は決して、可哀想な人たちを描きたかったわけではない。
 むしろ、生における絶対不変の法則を、物語にしたかった。
 金持ちも貧乏人も、身分も立場も性別も年齢も一切問わず、また人間だけでなく生物すべてが持ち合わせている。
 それは、「懸命に生きる」ということだ。
 懸命に生きるというその一点だけは、普遍であり共通であり平等でもある。
 経済的に行き詰まったり、何らかの理由で働けない人に、怠け者だとか努力が足りないとか、見当違いの発言をする人がいる。頑張りが足りないから、いまの状況に陥っているのだと非難するが、むしろ逆だと考えている。
 懸命に頑張って、頑張りすぎた結果、働けなくなった。あるいは人一倍真面目で、楽をしようとするずるさが欠けていたからこそ、ぽっきりと折れてしまった。そういう人が、多いのではなかろうか。
 そもそも効率化も時短も、もとを正せば、怠け者の発想である。手間をかけるのが面倒だから簡略化したい、仕事はできるだけ早くパパっと済ませて、遊びに時間を費やしたい――。ちなみに私は会社員だった頃、この効率化作業を非常に得意としていた。
 私のような根っからの怠け者気質や、上司の前でだけ頑張る要領の良さや、あるいはお客にだけ愛想をふりまく外面の良さなどは、大方の人が備えている、いわば狡猾な部分だ。
 その狡さをもたない、あるいは良しとしない。もしくは真面目であるが故に、休むことも立ち止まることもできず、遂には自分を追い詰めて動けなくなった――。真面目な完璧主義者や、他人の気持ちに敏感な優しい人こそ、社会的に埋もれてしまう印象がある。
 逆に社会的な成功者は、案外いい加減で、恥知らずと言えるほどふてぶてしく、他人の気持ちなどにいちいち頓着しない。ここに挙げた悪口すら、彼らは褒め言葉と受けとってくれるだろう。
 成功を手にした者と、いまは不遇にある者。その努力や頑張りを量ることができたら、おそらくその重さは変わらない。結果の伴わない努力は、無駄なのだろうか? 一度人生のレールから外れてしまうと、再起はできないのだろうか? 社会の役に立てない者は、価値がないのだろうか?
 そうではないと言ってほしくて、この物語を書いたように思う。
 病気や事故や些細な不運で、坂道を転がるように人生が暗転する。そんな状況に陥ることは、私を含めて誰にも起こり得るからだ。たとえ劇的に変わらなくとも、人は必ず老いる。誰かの手を借りなければ、生活を営むことすら難しくなる状況が必ず来る。
 そのときになって、ただ邪魔者あつかいをされたら、誰だって悲しい。
 ひとりひとりに感情があり、かけがえのない日常がある。食べて眠って、笑ったり文句を言ったり喧嘩をしたり。趣味や楽しみを見つけたり、思いがけない出会いがあったり。
 誰もが懸命に生きているからこそ、そのひとつひとつが、とても愛おしい。
 読者にそう感じてもらえたら、作者としては何よりも嬉しい。

西條奈加

さいじょう・なか●作家。
1964年北海道生まれ。2005年『金春屋ゴメス』で第17回日本ファンタジーノベル大賞の大賞を受賞しデビュー。著書に『涅槃の雪』(中山義秀文学賞)『まるまるの毬』(吉川英治文学新人賞)『ごんたくれ』『無暁の鈴』『九十九藤』『心淋し川』(直木賞)『とりどりみどり』等多数。

心淋うらさびがわ

西條奈加 著

集英社文庫・発売中

定価 704円(税込)

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