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重松伸司『海のアルメニア商人 アジア離散交易の歴史』(集英社新書)
を宮下遼さんが読む
分散し、生存するアジアのアルメニア人たちの実態史

[本を読む]

分散し、生存する
アジアのアルメニア人たちの実態史

 中東を中心にユーラシアを股にかけた交易民であるアルメニア人の足跡は、アルメニアにおいてはもちろんイラン史、トルコ史、ロシア史などにおいても高い関心をもって追われてきた。イスラーム世界を対象とする諸研究では、今日的な表現を借りれば多民族の共生社会の実態を窺おうという関心から制度史、社会経済史研究が、ロシア史においては十九世紀以降の民族主義思想の形成過程や独立運動の展開を解明しようとする政治史研究が、それぞれ行われている。そして、いずれの領域においてもアルメニア人虐殺(一九一五–二二年)の記憶は、大なり小なりに研究者の関心形成に影響を与えてきた。ひるがえって本書は、虐殺を起点とする言説から慎重に距離を置き、彼らが「いかに生き抜こうとし、生き抜いてきたか」という問いを発しながら近代の「アジアへの離散と交易」の様態を明らかにしていく。
 本書は八章から成り、1章から3章では交易民としてのアルメニア人の歴史的展開が概説される。イラン西部を拠点にユーラシア内陸の巡回交易に従事した彼らは、やがてインドへ進出し、十七世紀には小規模な商会単位でイギリスと交易協約を結び東南アジア、中国、そして日本へと通商路を広げる。本書の白眉はくびをなすのは4章以降であり、アジアに進出したアルメニア人家族、商会の事績が豊富なフィールド調査の成果とともに詳述される。そうしたマイクロヒストリーの積み重ねの果てに、彼らが組織分化による商会拡大を図らず、あくまで家族単位の協力関係を保持した点に着目した著者が、アジアのアルメニア人交易者の成功を、ときに宗教や職業に囚われぬ融通無碍ゆうずうむげぶりを発揮しながら「分散し生存する」という知恵の賜物たまものとして描出していく過程は圧巻であり、それが本書の冒頭で掲げられる「いかに生き抜こうとし、生き抜いてきたか」という問いと響き合う見事な整合性には、感じ入らずにいられない。インド史の碩学せきがくによる名著である。

宮下 遼

みやした・りょう●トルコ文学者、大阪大学准教授

『海のアルメニア商人 アジア離散交易の歴史』

重松伸司 著

発売中・集英社新書

定価 1,155円(税込)

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