[受賞記念エッセイ]
第34回 柴田錬三郎賞受賞記念エッセイ 受賞作『正欲』(新潮社刊)
ものを書く人間としての強度
今から十二年前の十一月、人生初の帝国ホテルに私は相当浮足立っていた。忘れもしない、第二十二回小説すばる新人賞の授賞式の日である。
集英社出版四賞というものについては何かしら説明を受けていたはずで、柴田錬三郎賞がどういう特色のものかということも、きっと聞いていた。ただ、当時の私は大勢の人の前でスピーチをすることへの緊張感で頭がいっぱいで、各賞の受賞者全員が壇上に横並びになることに対してそこまで意味を見出していなかった。出版社のパーティー、授賞式、スピーチ……二十歳そこそこの私にとって、全ての要素があまりに刺激的だった。
その年の柴田錬三郎賞の受賞者は、篠田節子さんと村山由佳さんだった。
壇上で自分がどんな振る舞いをしたかはよく覚えていないが、いざ同じ舞台に並んでみたとき、お二人がものすごく遠い場所に立っているように感じられたことは今でも鮮明に覚えている。物理的には数十センチほどしか離れていなかったはずなのに、お二人は遥か彼方にいるようだった。お二人がその場所に立つまでに通過してきた時空が、そのまま壁となって存在しているかのようだった。とにかく、全く別の場所からやってきて、全く別の場所へ還っていく人間のように見えたのだ。
今回受賞の連絡をいただいたとき、まず湧き上がってきたのはその記憶だった。そして、あの場所に自分が立つのだと思うと、喜びのすぐあとに恐怖のようなものがやってきたというのが正直な心境である。まだまだ立つべきでない場所に立ってしまうのでは、という気持ちを今でもずっと拭い去れずにいるし、拭い去るべきでないような気もしている。そんな気持ちを抱ける環境にいられることそれ自体に、巨大な喜びと感謝を抱いている。
今回の受賞にまたとない喜びを感じている理由が、もうひとつある。
三年ほど前、『死にがいを求めて生きているの』という作品を執筆したとき、物語の出口として、人間を生かすものは何なのか、という問いが浮かび上がってきた。そのとき私は、この問いを入口とした小説を今後どこかで書くんだろうな、という確信めいた予感を抱いた。そのうえで着手したのが『正欲』だった。
人間を生かすものは何なのか。目の前に生きることと死ぬことが並んでいるとき、生きることを選ぶきっかけになり得るものは何なのか。それを、やはりずっとテーマにしたかった“性欲”を切り口に書くと決めたとき、物語の全体像が勝手に決まってくれたような感覚があった。
そんなことは小説を書き始めてから初めてのことだったので、とても動揺したことを覚えている。ただ、今ならわかる。それはつまり、この物語は実はずっと自分の中で生成され続けていて、そこから私は目を逸らし続けていただけなのだ。
書いていいことなのか、自信が持てなかったから。
これって、書いていいことなのだろうか――執筆中にそんな疑問が脳内を飛び交うようになったのは、ここ数年のことだ。こういう表現は小説の中であっても使うべきではないのではないか。この登場人物の思考を書いているのだからこの表現でいいはずだ、でもこれを書いた私自身はどう思われるのだろうか。この数年、何かを表現するためというよりは、自分を守る、または自分を良く見せるための言葉が小説に割って入るようになっていた。特に『正欲』を書き始めた二〇二〇年の春、世間は新型コロナウイルスによる初期の混乱の真っ只中にあり、誰もが未知の状況に不安を抱いていた。そうなると、脳内を
この数年、ものを書く人間としての強度のようなものが、あまりにも低下していると感じることが多かった。内容に関すること以外で筆に迷いが生じる自分に、ずっと辟易していた。だからこそ、今回の受賞の喜びは大きい。これで不惑を手に入れられるという意味ではなく、惑いの中を進み続けるための強力なエンジンを授かった、そんな感覚なのである。
『正欲』は結果的に、これまで書いてきた作品の中で最も前向きなものになったと思っている。そしてそれは、私にとっての“前”が社会にとっての“前”だとは限らないという当たり前の事実を、改めて認識できたという意味でもある。
人間を生かすものは何なのか。目の前に生きることと死ぬことが並んでいるとき、生きることを選ぶきっかけになり得るものは何なのか。このテーマは今も私の心の中に棲み続けているし、今後、別のアプローチでも書いてみたい。そのときも筆は迷うだろうが、そのたび、今回の受賞に背中を押されるのだと思う。この幸運を本当に有り難く思う。
最後になりますが、脱稿まで粘り強く待ち続けてくださった新潮社の北村暁子さんを始めとする関係者の方々に感謝を伝えたいです、本当にありがとうございました。