[今月のエッセイ]
「普通」の家庭に侵入する“異物”
(虫が苦手な方はご注意ください)
もう五年ぐらい前になるだろうか。
半袖の季節だった。少し庭木の手入れをしたとき、袖口のあたりがちくちくすることに気づいた。野草の実が入り込んだような感触だ。なんだろうと思って袖を少しめくりあげてみると、小さな、しかしいかにも毒々しい毛虫がうごめいていた。
あわてて振り払い、水で流し、市販の「虫刺され用」の
呼吸器系の異常の自覚はなかったので「アナフィラキシーショック」とまでは呼べないのかもしれないが、あれほどひどい
で、このたび文庫化された『不審者』の話である。
穏やかに、平和に暮らしている一家に、ある日突然“異物”が侵入してきたら。そしてそれが、家から追い出すことができない相手だったら――。
この物語は、まずそんな発想からスタートした。
わたしは作品を書く前に、おおまかにいくつかのことを決める(逆にいえば、あまり細部までは決めない)。
まずは、数十字程度で表現できる「テーマ」だ。たとえば、既刊の『悪寒』では「殺したいほど憎んでいた上司を、自分の妻が自宅で殺した。しかもその二人が不倫関係だったと知ったら?」という着想から始まった。
そして今回の『不審者』では、右にあげたように「ごく普通の家庭に“異物”が侵入した」をテーマにしようと決めた。
出発点が決まったら、次は全体の骨格だ。
わたしの作品の構成は、結果的に大きく二つに分かれる。ひとつは、物語冒頭に強烈な事件が起き、主人公たちが真相を究明していく型。もうひとつは、何が起きているのか、あるいはこの先何が起きるのかが不透明なまま、ただ不穏な話が進んでゆく。
『不審者』のテーマなら後者が合っていると思った。ただこの構成の場合には「ショッキングな事件」で引っ張ることができない。読者を飽きさせない展開が必要になる。変なやつに家から出ていってもらいたいが、それができない。そして、明らかになったはずのそいつの正体もまだ
もうひとつ大事にしていることが「問いかけ」だ。
どの作品でも、読者に向かって必ず問いかけをすることにしている。ほぼ全作品に通底しているのは、「こんなとき、あなたならどうしますか?」という提起だ。もちろん今作の基本テーマもそこにある。さらに、作品ごとに独自の問いかけも設けるようにしている。
この世に「普通の人」なんているだろうか?
わたしは以前から「普通」という表現に疑問を持っていた。じつはすでに、この文章の中にも「ごく普通の家庭」という表現を使っている。それほど「普通」に使われている「普通」とはいったい何だろう?
例えば年収だとか住んでいる家の延べ床面積だとか、そういった数字で表せる分野は「平均的」あるいは「中央値」というものが算出できるだろう。しかし「普通」の定義や基準はどこにあるのか。「普通の人」や「普通の家庭」なんてあるのだろうか。
一見「普通」なのかもしれないが、その人、その家族ごとに、
不謹慎を覚悟で不穏なたとえを出せば、スーパーの売り場で「あら奥さん、今夜は霜降り和牛のすきやきですか?」「ええ、たまには少し贅沢しようかと思って」という会話の“少し贅沢なすきやき”が、じつは一家心中前の最後の晩餐かもしれない。涼しげな顔をして歩いている人も、二週間前は生死の境をさまよっていたかもしれない。陳腐な表現を借りれば、人の数だけドラマはある。
一見「普通」のようで、じつは「少し普通ではない」家族の歪みをじわじわとあぶり出すためには、派手な事件や事故からではなく、ごく些細な、今日明日にも我が身に降りかかってきそうな展開にしてみたかった。つまり“異物”の侵入だ。その象徴のひとつとして、冒頭のチャドクガも登場する。
あるとき気づいたら、あなたの腕に変な虫がへばりついていたら? そしてそいつを振り払うことができなかったら?
そんな「一見普通の家族」に起きる「少し普通ではない」物語を楽しんでいただけたら幸いです。
伊岡 瞬
いおか・しゅん●作家。
1960年東京都生まれ。2005年『いつか、虹の向こうへ』(「約束」を改題)で第25回横溝正史ミステリ大賞とテレビ東京賞をW受賞しデビュー。著書に『代償』『乙霧村の七人』『ひとりぼっちのあいつ』『痣』『悪寒』『本性』『冷たい檻』『不審者』『仮面』等多数。