[本を読む]
喪失が芸術へ変わる時
二十代で漫画が大ヒット、四十代で声楽を学び、ソプラノ歌手として活動する著者が、これまでの人生を表わすのに選んだのは短歌。歌人・池田理代子の第一歌集である。
短歌とエッセイで11のテーマを綴った本書は、徴兵された父のエピソードから始まり、母へと続く。
「母を語ることは、まさに自分を語ることだ」とあるように、著者は母と二人三脚で歩んできた。母が娘の人生に過剰に侵食したとしても、最終的に赦していく。愛憎半ばするのが、親子の宿命なのかもしれない。
特にわたしが気になったのは、女性としての喪失感をしたためた歌だ。
〈作品は男ものこす 我はただ 女に生まれた
自らを〈子を容れる器〉と表わした歌もあり、子を
エッセイと交互に紹介される短歌はおそらく現実世界では決して明かせなかった声なのだろう。
迫りくる「老い」「死」についてこんな歌がある。
〈美しき老いなどないと知っていて あほらしく語るインタビュアーに〉
若いこと、美しいことに重きをおくような風潮に対し、表向きはうなずきつつも否定する。ただ「老い」に従ってあきらめるのではなく、自らの人生に正直に対峙する。「初恋」と「最後の恋」の章はそんな著者のまっすぐな思いがあふれる。
好きな人から愛されるわけがない、その一点は初恋も最後の恋も同じ。特に恋愛に関してはどんなに齢を重ねても人は達観などしない。気付けば恋に落ち、劣等感に
〈悠然と二十五年を遅れ来て 我を愛すとなど君のいう〉
幸せな結末のようにみえるが、「老い」が迫る事実は変わらない。それもまた歌になる。喪失は、紙の上で昇華する。
中江有里
なかえ・ゆり●女優、作家