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意思の力
本作の主人公、東京で一人暮らす三十三歳の
周りの人から賞賛を受けるような目立った能力はなかったが、友達とのトラブルは一度もなかった。そのことを遼賀が子供の頃にもっと褒めてやればよかった、と燈子は思う。
「身の回りをきちんと整えられる几帳面さを。約束の時間に遅れない真面目さを。噓をつかない誠実さを。物事の好き嫌いをむやみに口にしない慎重さを。自分の意見をあえて口にしない優しさを。母親の自分がきちんと口に出して認めてやればよかった」
その遼賀の美点を、高校の同級生、
学園祭の飾りつけをただ一人手伝ってくれた遼賀のことを、矢田はいまでも覚えているし、見た目と学歴から何度も面接で落とされた自分を雇ってくれた恩を、
だから、彼らは集まってくる。癌になった遼賀のもとへ。それは彼らが善人だからという理由ではない。自然に結びつくわけではない。彼らが自らの意思で、遼賀の友であることを選んだのだ。遼賀の家族が、ある事情を秘めてそうであるように、それは意思の力だ。
自分はこういう人間でありたいと、それぞれが強く思うことで願いは成就する、ということだ。そうすれば何かが見えてくる、という真実を、藤岡陽子はこの長編で鮮やかに描いている。「死」を描いているというのに、ひたすら前向きなひびきが伝わってくることこそ、この長編の美点なのである。
北上次郎
きたがみ・じろう●文芸評論家