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北上次郎が読む藤岡陽子『きのうのオレンジ』
死を描きつつ、前向きなひびきが伝わってくる長編

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意思の力

 本作の主人公、東京で一人暮らす三十三歳の遼賀りようががんになった知らせを受けて、あわてて上京した母の燈子とうこが、長男である遼賀のことを思うくだりがある。
 周りの人から賞賛を受けるような目立った能力はなかったが、友達とのトラブルは一度もなかった。そのことを遼賀が子供の頃にもっと褒めてやればよかった、と燈子は思う。
「身の回りをきちんと整えられる几帳面さを。約束の時間に遅れない真面目さを。噓をつかない誠実さを。物事の好き嫌いをむやみに口にしない慎重さを。自分の意見をあえて口にしない優しさを。母親の自分がきちんと口に出して認めてやればよかった」
 その遼賀の美点を、高校の同級生、矢田泉やだいずみはこう言い換える。テレビのリモコンの5のところに付いている小さな突起みたいだと。その突起は、目の不自由な人でもその場所が5だとわかれば操作できるように作られたユニバーサルデザインだが、遼賀はそういうふうに困ったときに助けてくれる存在だと。
 学園祭の飾りつけをただ一人手伝ってくれた遼賀のことを、矢田はいまでも覚えているし、見た目と学歴から何度も面接で落とされた自分を雇ってくれた恩を、高那裕也たかなゆうやは忘れていない。山で遭難した十五歳のとき、靴を譲ってくれて凍傷になった遼賀に対し、弟の恭平きようへいはいまでも感謝を忘れていない。
 だから、彼らは集まってくる。癌になった遼賀のもとへ。それは彼らが善人だからという理由ではない。自然に結びつくわけではない。彼らが自らの意思で、遼賀の友であることを選んだのだ。遼賀の家族が、ある事情を秘めてそうであるように、それは意思の力だ。
 自分はこういう人間でありたいと、それぞれが強く思うことで願いは成就する、ということだ。そうすれば何かが見えてくる、という真実を、藤岡陽子はこの長編で鮮やかに描いている。「死」を描いているというのに、ひたすら前向きなひびきが伝わってくることこそ、この長編の美点なのである。

北上次郎

きたがみ・じろう●文芸評論家

『きのうのオレンジ』

藤岡陽子 著

10月26日発売・単行本

本体1,600円+税

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