[今月のエッセイ]
ハコを抜け出して、
野っ原に戻ろう
前二冊は、都市を通じて一種の二〇世紀批判をやりたいという考えがベースにあった。一九世紀以前のムラを否定し、破壊し、超高層というオオバコに人々を押し込めた二〇世紀という時代、そのシステムを批判したいという思いが、僕らを街歩き、ムラ歩きに駆り立て、筆を走らせた。
しかし、今回は、批判するもののスケール、正確にいえば時間のスケールが、知らず知らずのうちに拡大しているのを感じた。前二冊では、敵は二〇世紀であり、その世紀の政治、経済システムを象徴するコンクリートという素材であった。コンクリートの建築のもとをたどると、一七五五年リスボン大地震による、ムラ的都市リスボンの崩壊と、ヨーロッパの近代へのめざめにつきあたる。タイムフレームとしては、ここ二五〇年が、対象であった。
しかし、今回コロナ禍で話題になったのは、一四世紀のペストの大流行であり、さらにその大もとを考えていくと、農業の出現にまで
リスボン以降の都市の流れは、汚くてごちゃごちゃした街路を捨てて、清潔なオオバコに逃げ込めば、人は救われるという考えに導かれていた。コンクリートで作った強く清潔なオオバコが最も安全で最も効率がよいとされ、そのオオバコの極致が超高層ビルだった。そこに定時に通うために、鉄道・バスといった別のオオバコに閉じ込められるのが、二〇世紀のコンクリートの人生であった。オオバコは空間の管理装置であると同時に、時間の管理装置でもあった。自分の時間、自分勝手なリズムで生きることは効率的でないとされて、われわれはオオバコの中を流れる時間に
この状況にどう対応すればいいかのヒントになればという思いで、いくつかのエピソードをこの本にのせた。オオバコを批判する前に、自分でオオバコを抜け出すという生き方である。逆にいえば、批判している時間的余裕などはすでになく、オオバコ的空間から一刻も早く飛び出して、風通しのよい野っ原に戻ろうという提案が、この本の骨子である。全員が生死の境にいる当事者なのであるから、僕も批評家然として偉そうにコンクリート批判をするのはやめることにした。
清野さんから、三冊目の本の企画がスタートした時、隈さんは前二冊では批評家だったけれど、もはや当事者なんですからと釘をさされた。今思うと、これは僕に対しての警句というより、社会の全員に対するメッセージであり、予言のように聞こえる。一刻でも早く、ハコを抜け出して、野っ原を歩き出さなければいけない。
僕はクライアントからの依頼を待たないことにした。オオバコのシステムはなにしろ図体が大きくて、政治、経済、文化すべてが連動している運命共同体だから、簡単には方向転換ができない。子供達も学校システムという現代の典型的なオオバコの中で教育され、洗脳されているので、そう簡単にそこから抜け出すことはできないだろう。建築を発注してくるクライアント ── たとえば行政やデベロッパー ── は、この運命共同体の中心メンバーなので、彼らにすばやい方向転換を期待しても無理なのである。
方向転換は人に頼らず、身銭を切って自分でやるしかない。それがコロナ禍の、最大の教訓である。その教訓を生かしてみんなで歩き始めれば、今回の悲劇は、歴史の大きな折り返し点となるであろう。中世を終焉させたペストからオオバコへと向かう流れの折り返し点どころではなく、小麦を一万年前に畑に植えた時以来の長い長い歴史を折り返すことも、ひょっとしたら可能かもしれない。
隈研吾
くま・けんご
1954年神奈川県生まれ。建築家。東京大学特別教授。79年東京大学建築学科大学院修了。90年隈研吾建築都市設計事務所設立。べネディクタス賞、村野藤吾賞など内外で受賞多数。著書に『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論TOKYO』『点・線・面』『ひとの住処』等多数。