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不均衡な力関係はグロテスク
「ニューヨーカー」掲載時に、#MeTooを反映した作品と大反響を呼んだ表題作「キャット・パーソン」を含む十二の短編はどれも、人類が隠し持っている、他者への加虐性をめぐるファンタジーである。澄ました顔で自らの正しさを疑わずに生きている現代人である我々は、一皮剝むくと、みんな〈怪物〉なのだ。そんな不都合な真実を、作者は炙(あぶ)り出す。忘れているかもしれないから、もう一度思い出させてあげる、とでも言わんばかりに。
作者の現代的なユーモアのセンスにも好感が持てる。たとえば、「キズ」の主人公の女性が、呪文によって出現した謎の男と対峙するため地下室に向かう際に、盾になるような服を着ようとして、革ジャンを選ぶところなど、声に出して笑ってしまった。〈怪物〉を誕生させた彼女は、彼をツールとして利用し自分の願望を叶えていくが、その姿は利用される相手からしてみれば〈怪物〉でしかない。
「嚙みつき魔」の主人公である女性は、加害者になりかねない自らの性癖を自制しきれなかった時、思わぬ加勢を得て、被害者の立場を勝ち取る。社会が家父長制であるがゆえ不均衡になりがちなのが男女間の力関係だが、この一編では、二人が同時に加害者であり被害者であるという、ツイストが効いている。
そして、その不均衡な力関係が短い恋愛の形をとって語られる「キャット・パーソン」は、好意のある者同士でも、男性からの加害の可能性を常に警戒している女性側と、女性に拒否されることが自分への加害であると考える男性側の心理戦があまりに身に覚えのあるリアルさだ。ラストの一行は、女性からすると「あるある」の極致としか言えないだろう。全短編に共通しているが、不均衡な力関係はグロテスクな物語を生み出してしまうのだ。
なかでも、王位を継ぐのは男性だと決まっているせいで結婚せざるを得なかった王女の物語「鏡とバケツと古い大腿骨」がいかに滑稽でグロテスクな展開を見せるか、我々は直視しなくてはならない。
松田青子
まつだ・あおこ●作家