[本を読む]
AIの真性にノーを突きつける
最近、AIで文豪や哲学者を「再現」し、対話をする、というイベントが花盛りだ。時空を超え、現代に降臨したAIニーチェやAI釈迦が、現代社会の課題にどう向き合うのかに関心をもつ人が少なくないのだろう。「人間の研究者が『人工知能カント』に向かっていろいろ質問をして、その答えを分析することがカント研究者の仕事になる」と断言する哲学者もいるほどだ。
だが、そこにはある重要な視点が欠落している。AIカントの真性を誰がどう担保するか、という問題だ。AIカントが、カントの再現なのか、それとも「なんちゃって」に過ぎないのか、公平に判断する手段や方法がないのだ。カント本人は墓から蘇って「それは私ではない!」と抗議することはできない。
本書は、社会学者の著者が、約四十五年の研究者生活で書いてきたテクスト、著書や論文、事典の項目説明、エッセイやインタビュー記録、活字にならなかった研究ノート類などを提供し、機械学習させ、「AI吉見」を誕生させたいきさつから始まる。それらは、ニーチェが残したテクスト量を圧倒的に凌駕したことだろう。機械学習の精度はデータ量によってほぼ決まるので、「AI吉見」の精度は、「AIニーチェ」や「AI釈迦」よりずっと本人らしくなったはずだ。
本書では、「AI吉見」と本人という二人の「吉見俊哉」の対話の記録とともに「AI吉見」の真性について本人がどのような判断を下したかが
一方で、AI吉見と本人の区別がつく社会学を専攻する学生はそう多くないかもしれない。「むしろAI吉見のほうがわかりやすくていい」という感想さえあるかもしれない。そういう時代に、大学という場所で、学生にどんな教育をすべきか。本書の終章では、それについてもいくつかの提案がなされている。

新井紀子
あらい・のりこ●数学者





