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受賞記念エッセイ/本文を読む

第38回柴田錬三郎賞
松井今朝子「机上で完成しない文芸」
受賞作『一場いちじょうの夢と消え』(文藝春秋刊)

[受賞記念エッセイ]

机上で完成しない文芸
松井今朝子

 映画『国宝』の大ヒットで歌舞伎が再び脚光を浴びるようになったのは慶ばしい限りです。過去にも常にこうした時ならぬブームが支持を蘇らせて、歌舞伎は長寿を保って来ました。
 わたしが歌舞伎にハマったのは小学校の高学年で、今から60年以上も昔の話。中学になると京都から独りで新幹線に乗って、東京の歌舞伎座へ向かうドハマリようでした。病膏肓やまいこうこうで大学も演劇科を専攻。就職は歌舞伎興行を一手に商う松竹株式会社。退社後も情報誌の記者になるなどして歌舞伎にまつわり続け、30代でとうとう舞台の現場にまで立ち合うようになりました。
『国宝』の名シーンとなる近松門左衛門ちかまつもんざえもんの「曽根崎心中」を歌舞伎で初演したのは、ちょっと意外かもしれませんが第二次大戦後、ちょうどわたしが生まれた昭和28年のことです。当時弱冠21歳でおはつを演じた中村なかむら扇雀せんじゃく、後に四世坂田さかた藤十郎とうじゅうろうを名乗る歌舞伎俳優は、その役で一世を風靡ふうびし、生涯に一四〇〇回以上も演じています。そのため近松を大恩人と仰ぎ、自ら近松作品のプロデュース公演を手がけていました。縁あってわたしはその「近松座」の舞台現場に携わったのです。
 歌舞伎の稽古場風景は映画やTVでもよく紹介されますが、役者がリハーサルしている間の裏方の働きまでは余り撮られないので、実際に見聞して驚いたことが沢山ありました。みんなが符丁すなわち業界の特殊用語を使うため部外者には話がチンプンカンプンなのに、わたしがそこで最初にやらされたのは演出助手、映画なら新人助監督、TVならADのような現場の雑用係です。
 いくら大学で演劇を専攻したといっても現場で役立つ知識は皆無だったにもかかわらず、舞台装置家や大道具方と打ち合わせをし、小道具を発注して、役者から衣裳やかつらの相談を受け、照明や音響のプランを聞くといった毎日は途方に暮れました。大勢の裏方とその場では何とか話を合わせ、もちろんネット情報などない時代ですから帰りに書店で購入した専門書を読み、翌日の現場に臨むといった正にドロナワ式。泳げない人間がいきなり沖の海上に放り出されたような感じでした。
 稽古が深夜に及んで、自分を除いたスタッフ、キャスト全員が男性ばかりだというのをふと意識してしまう瞬間もあって、当時はふだんからニュートラルに徹し、なるべく女性の気配を消すように努めていました。歌舞伎に限らず舞台現場で働く女性スタッフはまだ少数派でしたので、いずれも同様の心構えだったのではないでしょうか。
 その現場にミソジニーっぽい男性が皆無だったのは幸いでしたが、代わりに女性だから大目に見るといった雰囲気もなかったような気がします。稽古場で苛立った役者から封建時代さながらに大声で怒鳴りつけられたのも一度ならずでしたし、劇場中を駆けずり回って脂汗を流した覚えもあります。
 脂汗を流したというのは決して比喩でなく、実際にふだんの汗とは違った脂臭い汗が全身から噴きだし、履いている靴の中で足が滑るようになったほどで、文字通り「あぶらをこってり搾られた」感じでした。
 短期間のそうした経験を経て、わたしはそこで上演台本を執筆するようになりました。
 ちなみに歌舞伎は大昔からある台本を使って、役者が伝承された型通りに上演するように思い込んでいる人も時々あるのには驚かされますが、劇場の規模や設備、上演形式、時間、システム等々まったく異なる現代に、昔通りの再現は不可能なため、古典作品でも上演台本はそのつど書かれるのが常態で、『国宝』の「曽根崎心中」はおおむね昭和28年に書かれた台本を使っているのです。
 ところで近松作品をなるべく原作通りに上演するのが「近松座」の趣旨で、台本も趣旨に則って書いたとはいえ、近松が人形浄瑠璃に書いた作品は人間が上演できるように書き替える必要が勿論ありましたし、彼が歌舞伎に書いた作品は筋書きが残る程度だから、ストーリーと主たるセリフの一部を拝借して新作するも同然でした。
 新作するといっても机上で完成させる小説とは全然違います。台本だとたとえば一時間半上演したあと二十分の休憩を取って、全体を三時間でまとめてほしいといった注文が来ますし、出演者の意向でセリフを多少変えなくてはならないケースもあります。地方公演がある場合は移動時間の関係で、そのつどカットせざるを得ないシーンやセリフが出てきました。また出演者によってもセリフを劇場の大きさや設備の違いで書き直さなくてはならない場合もあるし、出演者の動きにBGMが足りなくなって、BGMに使う下座唄げざうたの歌詞を舞台稽古で書き足すこともありました。
 ある日プロデューサーから稽古直前に上演時間の関係で台本カットを要請された際、これで絶対に大丈夫だと請け合って無事時間通り収まった時は、ああ、わたしもやっとプロになれたという自信がついたのでした。
 おかげさまで第38回柴田錬三郎賞を受賞した『一場の夢と消え』は近松門左衛門の生涯を描いた時代小説ですが、それを書くに当たって脳裏に蘇ったのは、もう四十年も以前にさかのぼる右のような「近松座」での体験でした。
 近松は同時代に「作者の氏神」と称えられ、近代の文学者から「日本のシェイクスピア」とされた劇作家ですが、ただ偉大な文学者として物語るのが躊躇ためらわれたのは、彼が机上で完成させる文芸の世界に閉じこもっていた人ではなかったからです。
 同時代の井原西鶴いはらさいかくも優れた文章を書くだけでなく、一昼夜に俳諧を二万句以上も詠むパフォーマンスで名を挙げた人とはいえ、近松が直面した舞台現場での妥協や折衝のようなものとはおよそ無縁だったでしょう。
 近松が「作者の氏神」とされたのは、自分の筆だけで生活費を稼ぎだした最初の人という意味合いもあったのかもしれません。それでいて筆任せにはできないさまざま現実が前に立ちはだかって、彼をひどく悩ませたことでしょう。それらを想像する際に、自己体験から類推するのはさすがに畏れ多いと思われましたが、今日に残された彼に関する文献を読む上での参考にしたのは否めません。
 近松の凄味は、舞台現場における幾多の妥協の産物であったかもしれない彼の文章が、封建時代を生きる庶民の呻吟しんぎんや苦悩、歓喜や悲嘆を実に生々なまなましく伝えてくれるところでしょう。歌舞伎と人形浄瑠璃の勃興期に携わった作者ならではのストレートな文章が、こちらにズンズン攻め寄せて心を大きく揺さぶるのです。
『一場の夢と消え』で、わたしは近松の作品を改めてしっかり読み直すチャンスを持てたのが有り難く、今回の受賞でまたその時の感動が蘇ったことに厚く感謝せざるを得ません。


撮影=大橋 愛

松井今朝子

まつい・けさこ●作家。
1953年京都府生まれ。97年『東洲しゃらくさし』でデビュー。同年「仲蔵狂乱」で時代小説大賞、2007年『吉原手引草』で直木三十五賞、19年『芙蓉の干城(たて)』で渡辺淳一文学賞を受賞。他の著書に『非道、行ずべからず』『家、家にあらず』『道絶えずば、また』『壺中の回廊』『愚者の階梯』『師父の遺言』『西南の嵐 銀座開化おもかげ草紙』『料理通異聞』『円朝の女』『老いの入舞い 麴町常楽庵 月並の記』『縁は異なもの 麴町常楽庵 月並の記』『江戸の夢びらき』などがある。

『愚者の階梯』

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