[本を読む]
家族史のなかに息づく戦争の記憶
海軍でありながら陸で戦うことを強いられた
著者は中国新聞の客員編集委員だ。膨大な資料を読み解き、当事者や遺族を探し出し、それぞれの声に耳を傾けていく取材力と粘りが光る。きっかけは、父親の遺品から見つかった戦艦大和の生還者からの手紙だった。父は、本土決戦に備えて呉の山中に立て籠もった陸戦隊「二十三大隊」に所属し、地雷や爆雷を抱えて戦車に突っ込む「肉迫攻撃」と呼ばれる訓練にいそしんでいたという。大和の生還者など「乗るフネを失った水兵たち」が集められた秘密の部隊であり、その存在は長らく世に知られてこなかった。
印象的なのは、彼らが「戦う術を持たない兵士」たちであった事実だ。二十三大隊の水兵には、銃の撃ち方も手旗信号の意味も知らない者がいた。暁部隊でも、知識も技術も未熟な十五歳から二十歳の若者が駆り集められた。「一夜漬けのような訓練でどう戦えというのか」と嘆く家族の声が胸に迫る。
本書は一人称の「僕」で語られる。記者として培った冷静な筆致と共に、著者自身の熱量のこもった問いがにじむ。そのまなざしは、取材対象の遺族たちの思いを単純に「反戦」「反核」といった言葉に回収せず、父祖の足跡をたどることを通した「人が生きるよりどころ」を探す軌跡として描かれている。
戦後80年が過ぎようとしている。本書が示すのは、大文字の戦争ではなく、家族に刻まれた「私たちの戦争」である。祖父や父、あるいは祖母や母―それぞれの家族史のなかに確かに息づく戦争の記憶を見つめ直すことの重みを教えてくれる。
河合香織
かわい・かおり●ノンフィクション作家





