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琴峰ことみ『月を見に行こうよ』を中島京子さんが読む

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トランプ政権誕生前夜の危うさ

 李琴峰さんは、2023年の夏から秋にかけて、アメリカのアイオワ大学が主催するインターナショナル・ライティング・プログラム(IWP)に参加した。この長い歴史を持つ作家の滞在型プログラムについては、これまでにも柴崎友香さんの『公園へ行かないか? 火曜日に』、滝口悠生ゆうしょうさんの『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』といった作品に書かれている。
 本書は李さんの体験記だが、ご本人は「小説」と定義している。作品内には入れ子のようにフィクションが差しはさまれるからか。あるいは、小説とは「行きて帰りし物語」なので、彼の地への旅を書いたこの作品は小説、ということになるのかもしれない。十週間ほどを自分の母語ではない言語と異文化に囲まれ、その間、世界中から集められた物書きたちと過ごすのは、なかなか体験しない「非日常」への旅である。
 李さんは「赤い大地に囲まれる青い湖」(保守色を強めるアイオワ州で例外的にリベラルな大学町)で、のびのびと滞在期間を過ごした。「保守派」との闘いもあるとはいえ、アイオワの元気なLGBTQ+コミュニティのリポートは、著者の真骨頂だろう。
 とはいえ、ウクライナで戦争が続き、ハマスのテロをきっかけにイスラエルのパレスチナ爆撃が始まる中、様々な国からアイオワに来ている作家たちにも緊張はある。そして「道端で」「顔を殴りつけられる」というとんでもない形で、李さん自身が、コロナ禍以来のアジア人ヘイトに直面するエピソードは衝撃的だ。
 本書には、トランプ政権誕生前夜のアメリカの危うさが描きこまれている。「ワンピースで帰ろう」という軽やかな章タイトルに込められたブラック・ユーモアに慄然とする。
 大統領の方針で、今年、IWPは政府による助成を打ち切られた。「青い湖」も、干上がりつつある。いま行こうと思っても、李さんの見たアイオワはもう、そこにはない。
 そうした意味でも、本書は李さんだけが目にした、一回こっきりの「非日常」の記録である。

中島京子

なかじま・きょうこ●小説家

『月を見に行こうよ』

李琴峰 著

8月26日発売・単行本

定価2,200円(税込)

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