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『大久保佳代子のほどほどな毎日』
[第10回]無邪気になれない、はしゃげない“ひねくれ佳代子”の卒業計画

[連載]

[第10回]無邪気になれない、はしゃげない“ひねくれ佳代子”の卒業計画

 最近の“テンションあがった出来事”といえば、いとうあさこさんと一緒に沖縄で見たサザンオールスターズのライブです。いやもう、これが本当に素晴らしすぎて。69歳とは思えぬ桑田佳祐くわたけいすけさんのパワフルな歌声にシビれながら、「沖縄まで来て良かった!」と心から思いましたからね。ただ、そこで改めて痛感したのが自分のひねくれた性格です。基本的にはしゃぐのが苦手。簡単に「イエーイ!!」と拳を上げたりはしない、自分の脇の下をそう易々と見せたりもしない。そんな私には、近くにいる人のテンションが上がれば上がるほど自分のテンションが落ちていくという謎の傾向があって。この日も、コーラ片手に大きな歓声を上げるあさこさんのことを、どこか冷めた目で眺めてしまう自分がいたりして。
 今思えば、子供の頃から感情を表に出すのがあまり得意ではありませんでした。そんなに怒ることもなく、キャッキャとはしゃぐこともなく、たまにハハッと小さな笑い声を上げる、私のテンションは常に低め安定。クラスのボス的な存在の女子から「これやってよ」と命令されれば、抵抗することなくヘラヘラと笑いながら対応する、小学生の頃はそんな女の子だったので。まるで外気温で自分の体温が変わる、変温動物のイモリやヤモリのように、あの頃は自分の気持ちよりも周りの顔色を気にしながら生きていたような気がします。
 そんな私が思い切り素直に感情を出せるようになったのは中高時代。“男子と喋らない同盟”の仲間達に出会ってからなのかな。大勢の前ではおとなしいけど、グループの中ではいつも大騒ぎ。今でも忘れられないのが学校の休み時間に盛り上がった“うすのろばか”です。トランプの手札を配り、参加人数から一人を引いた数のコインを中央に置き、同じ数字が四枚揃った人が現れた瞬間にコインの奪い合いがスタート。コインを取れなかった人が“うすのろばか”になるっていうゲームなんだけど。私達はコインじゃなくマッチ棒を廊下の先の遠いところに置いてね。数字が揃った瞬間、それを奪いに全員がダッシュ。廊下にいる全員が振り返るくらい、ギャーギャー笑い叫びながら走っていましたからね(笑)。  高校時代は友達のはしゃぐ姿を冷めた目で眺めたことなんてなかったし。渥美あつみ半島にいた頃は今よりもきっと純粋だったんだと思う。そんな私がひねくれてしまったのは、やっぱり東京に出てきてからなのかな。大学の新歓コンパではビックリするくらいチヤホヤされず、男子たちから残酷なほどに背を向けられ、居酒屋の座敷の隅っこに追いやられた……あの頃から少しずつ心が曲がり始めたというか。東京で生まれた「私なんて」の思いが、渥美半島では高く上げていた拳を、少しずつ引き下げていったような気がします。
 そんな私が、また拳を上げることができるようになったのは芸能界に飛び込んでから。はしゃいだり、大きな声で笑ったり、現場を盛り上げるのもひとつの“仕事”ですから。仕事という大義名分ができたおかげで、思い切り脇の下を見せることができるようになったんですよね。ただ、自分がそんなんだから、今度は他人のことまでを疑って見てしまうように。特に私が引いてしまうのが涙ですよ。たとえば感動VTRとかを見て泣いている女性タレント。ああいうのとか見ると、つい思っちゃうんですよねぇ。「噓だろ?」って、「その涙、ビジネスだろ?」って(笑)。噓をつくのが苦手な自分の性格もきっと影響しているのでしょう。自分の噓に厳しいぶん、他人の噓にもつい厳しくなってしまうというか。こないだも、テレビに川村かわむらエミコちゃんが出ていたんですけど。「へぇ! セロリって生で食べるものだと思っていたけど、炒めることもできるんですね!」なんて、噓みたいな相槌ばかり打つもんだから。「噓つけよ、知ってんだろう! 中華屋で食べたことあるだろ!」って、気づけばずっと、テレビの前で悪態をついている自分がいましたからね。
 無邪気にはしゃぐ人達を疑って見てしまう。私は本当に性格がひねくれていると思う。でもね、自分でもわかっているんですよ。絶対に無邪気にはしゃいだほうが楽しいってことを。周りからどう見られているのか、こんな私がはしゃいでいいのか、この気持ちは噓なのか本当なのか……私の感情はいつも無駄な回路を通過してばかりだけど。そんなことをせずに感情を表に出せたほうが絶対に楽しいし、自分も心地よいと思うしね。年齢を重ねると、周りの目を気にせずに思い切りはしゃげるオバサンと、「大人なんだから、はしたない」と気取るオバサンに分かれると思うんだけど。私が目指すのは完全に前者。バスツアーに参加して大騒ぎできるようなオバサンに私はなりたいんです。50代に突入してから、地元の友達と遊ぶのがすごく楽しくなった、その理由もきっとそこ。東京でひねくれてしまった私だけど、中高時代の同級生達に会うとあの頃の自分にスンッと戻れるというか。地元の友達の前では妙な回路を通過させることなく素直に感情を表に出すことができるから。まるでリハビリをするかのごとく、私は地元の友達に会いに行っているのかもしれない。
 その成果か、最近は少しずつプライベートでも脇の下を見せることができるように。サザンのライブでも、最初はあさこさんを冷めた目で見ていたくせに、最終的には自分も拳を振り上げて大盛り上がり。喉が枯れるほど歓声を上げましたからね(笑)。
 街ロケをしていると「あら、大久保さん、何やってんの?」なんて、カメラに入ってくるおばあちゃんによく出会います。そんな無邪気なおばあちゃんを見ていると思うんですよね、人間は老いるにつれて子供に戻っていくのかもしれないって。見栄や体裁やプライド、余計なものを抱える体力や気力がなくなり、どんどん素直に純粋になっていくのかもしれない。ならば、私もそうなりたい。脇の下をしっかり見せることができるおばあちゃんになりたい。で、いつかまたみんなで“うすのろばか”をして、大騒ぎしながら走りたいよね。今度は学校でなく高齢者施設の廊下を、ヨボヨボと、しわがれた大きな声で笑いながらね(笑)。

聞き手・構成=石井美輪
イラストレーション=中村桃子

大久保佳代子

おおくぼ・かよこ●タレント。
1971年5月12日生まれ、愛知県出身。千葉大学文学部卒業。1992年、幼なじみの光浦靖子と「オアシズ」結成。「めちゃ×2イケてるッ!」でのブレイク後、バラエティ番組にとどまらず、コメンテーターや女優としても活躍している。近著にエッセイ集『まるごとバナナが、食べきれない』(集英社)、『パジャマあるよと言われても』(マガジンハウス)。

『まるごとバナナが、食べきれない』

大久保佳代子 著

単行本・発売中

定価1,540円(税込)

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