[本を読む]
過去を「知る」ことの大切さを描く
両親の離婚以来、長年没交渉だった父方の祖父母が亡くなり、家屋を相続することになった
物語は侑平が祖父母の過去を辿る現代パートと、寿賀子やその知り合いたちによる戦中戦後のパートが交互に綴られる。昭和二十年八月五日に松山へ移動したため難を逃れた寿賀子と、その船に乗り遅れたために命を失った兄。その兄を捜す友人。目の前で家族を亡くした寿賀子の幼馴染み。細部をゆるがせにしない描写は戦争小説として圧巻だ。
だが戦争や原爆の悲惨さを綴るのであればその当時の話だけで済む。本書は、それを現代の侑平が知る、という部分にこそ核がある。
その時人々は何を思い、何を体験したのか。それは知ろうとしなければどんどん消えていってしまう。あるいは誤った情報が受け継がれてしまう。知ることによって侑平に少しずつ変化が起きる過程こそが読みどころだ。過去を知り、向き合う大切さを描くために、本書は現代の話でなくてはならなかったのである。侑平は体験者の話を聞けたが、現実には当時を知る先人たちは減っている。その代わりを務めてくれるのが小説なのだ。
何より、ほんの些細な違いが生死を分けることや、せっかく命が助かったのにデマのせいで差別される被爆者の様子は決して過去の話だけではない。後半で東日本大震災やウクライナの戦争の話題が出たときに、著者はこれが言いたかったのだと腑に落ちた。ラストの幸せな奇跡まで、
大矢博子
おおや・ひろこ●書評家