[本を読む]
新しい視点の「日本文化論」論
モンタージュという言葉を聞いたことがあるだろうか。複数の映像や画像を組み合わせる編集技法のことである。映画の専門用語であったこの「モンタージュ」という語彙は、実は戦時下の日本において流行語になっていた。さらに実際に戦時下のプロパガンダ技術として、さらには「日本文化」そのものを語るための方法として、少しずつ社会に実装されていったという。その手つきを詳細に明らかにしたのが、本書である。
はじまりは、ソ連の映画監督・エイゼンシュテインが「漢字はモンタージュだ」と言い出したことにある。これに当時の人々は飛びついた。漢字だけでなく、浮世絵や俳句のような日本文化の本質にはモンタージュがあるのだ、と言い始めたのだ。さらにはこの外来の理論があたかも日本固有のものであるかのように受容され、モンタージュ=日本文化という思想は広まっていった。
本書の白眉は、モンタージュという映像手段が、いつしか日本文化そのものにすり替わってゆく過程を描き出したところにある。つまり、モンタージュという手法そのものが自己言及的に日本的だと評されるうち、語られるべき日本の中身―つまり国としての確固たる自画像を失ってゆく。
結果として、日本像としての「モンタージュ」は空虚な器として記号的に機能し、報道写真や演劇を通して戦時下のプロパガンダとして利用されることになる。
著者は、映画、写真、広告、民俗学、まんが・アニメといった複数の専門領域を横断し、一見無関係に見える事象を「モンタージュ」というキーワードで鮮やかに繫ぎ合わせる。そして一時は政治利用されたこの概念を、柳田國男と手塚治虫というふたりの巨大な才能が、たしかな表現をもって利用したところまで描き出す。モンタージュ概念の輸入は、けして空虚な手段のままでは終わらなかったのである。
戦時下のメディアや文化の力学に関心を持つ人に読んでほしい、新しい視点で日本文化論を読み解いた一冊である。
三宅香帆
みやけ・かほ●文芸評論家