[連載]
[最終回]オリーブオイルとともに生きる
ポルトガル人の生活に欠かせないオリーブオイル。聖書にも登場する由緒正しき食品だ。文字どおりオリーブの実から採取される油のことだが、ここポルトガルでは他の油とは一線を画す特別な地位を誇る。ポルトガル語で「油」はóleo(オーリオ)で、たとえばゴマ油ならóleo de sésamo(オーリオ デ セザモ)つまり「ゴマの油」と呼ばれる。ヒマワリ油でも菜種油でも同じだ。ところがオリーブオイルだけは「オリーブの油」ではなく、「Azeite(アゼイテ)」と一単語。つまりオリーブオイルはあまたある油の一種ではなく、「アゼイテ」という固有の食品なのである。
ポルトガル料理は、そんなオリーブオイルを絶対的な基盤としている。調理は基本的にすべてオリーブオイルとニンニクを炒めるところから始まるし、出来上がった料理にもソースやドレッシングの代わりにオリーブオイルをかける。サラダはもちろんのこと、魚の塩焼き、塩
私たちもいつの間にか、なんにでも自家製オリーブオイルをかけて食べるようになった。茹でたジャガイモに、茹で汁とオリーブオイルと塩だけを加えて潰したマッシュポテトは友人のグラシンダから教わったもので、いまでは我が家の定番だ。蒸し野菜や焼き野菜も、マヨネーズやソースではなく、オリーブオイルと醬油や塩、それぞれ好みのハーブで食べている。オリーブオイルは実は和食にもよく合う。醬油との相性が抜群だと個人的には思っている。たとえば焼き魚に醬油とともにオリーブオイルを垂らしたり、お浸しや煮物にかけるとおいしい。
また、オリーブオイルの用途は食べるばかりではない。一九八〇年代に電気が引かれるまで、村ではオリーブオイルに火をつけたランプが明かりだったという。また薬などなかったから、傷も
そんな生活必需品であるオリーブオイルを手にするために、私たちは晩秋に二日がかりでC荘のオリーブの実を収穫した。だが喜ぶのはまだ早い。夫と私の仕事はここで終わりだが、アントニオはその後さらに丸一日かけて収穫物から葉や砂利などを取り除く作業をする。近年では電動の機械があるが、アントニオが使っているのはもちろん古い手動器械。日本の商店街のくじ引きで、ぐるぐる回すと球が出るあの器械を巨大にしたような姿だ。投入口にオリーブの実を入れて取っ手を回すと、遠心力で葉などが飛んでいき、出口からオリーブの実だけが落ちてくる。
こうして余計なものを取り除くと、収穫物のかさは元のほぼ半分になってしまう。昨年C荘で収穫した十五袋半は、器械を通した後には、搾油所が指定する同じ大きさのビニール袋たった八つになってしまった。
次にアントニオはこの袋を四キロ先のO村にある搾油所まで持っていき、料金を払ってオイルにしてもらう。かつては我がS村も含め、どの村にも搾油所があった。人口の減少とともに搾油所も次々閉鎖され、いまは少数が残るのみ。そのなかでも、私たちのオリーブオイルを搾ってくれるO村の搾油所は、古い製法を堅持している少数派だ。
古い製法とは「コールドプレス製法」と呼ばれるもので、砕いてペースト状にした実に圧をかけて油を搾る。時間も手間もかかるが、栄養価が高く味も風味も豊かなオリーブオイルができる。新しい製法は機械による全自動搾油で、実を機械に放り込むだけだから簡単なうえ搾油時間も短いものの、搾油過程で実が加熱されるため、オイルの質は落ちる。最近は伝統的なオリーブオイルが再評価され、古い製法に戻す搾油所もあるという。
同じコールドプレス製法でも、かつてはいまより搾油に時間がかかった。電気がなかったため実を潰す作業を石臼で行っていたからだ。搾油所で自分たちのオイルができるのを待って、ときにはまる一日過ごすこともあった。そこで皆、待ち時間に食べるために、生のジャガイモとタマネギ、そして塩抜きしたバカリャウを持っていった。そして搾油所にある大きなボイラーからの熱でこれらを蒸し、搾油機から出てくる文字通り搾りたてのオリーブオイルをかけて食べた。あれ以上おいしいジャガイモは食べたことがないと、年配の人たちはうっとりした顔で語る。
こうしてついにめでたくオリーブオイルができあがる。搾油所指定の袋ひとつ分のオリーブから搾れるオイルの量は、七リットルから十二リットルほど。オリーブの実に油分が少ない年は四リットルということもある。昨年私たちが摘んだC荘のオリーブは八袋だったから、ざっと見積もると八十リットル前後のオリーブオイルができたことになる。このなかからアントニオが必要経費分を引いて私たちに手渡してくれたのは十三リットルだった。多いのか少ないのか正直よくわからない。だが器械もノウハウも持たない素人の私たちには、面倒なことをすべてアントニオに引き受けてもらって、労働者としてオリーブオイルの分け前だけをもらういまのやり方が気楽で、気に入っている。
とはいえ、我が家ではだいたい二、三週間で一リットルのオリーブオイルを消費するため、十三リットルでは一年もたない。そこで昨年百二十リットル作った友人エルサの一家から、一リットルあたり十ユーロで十一リットル売ってもらった。一昨年のオリーブオイルの残りと合わせれば、これで一年安泰だ。
生活に欠かせないオリーブオイルだが、ここ二年ほど製造コストが恐ろしい勢いで上がっている。まずEUがロシアに対して経済制裁を始めた二〇二二年以降、ロシア産の原料が主である肥料が一気に二・五倍に跳ね上がった。さらに燃料費の高騰に伴って搾油所の料金も年々上がっており、必然的に店で売られるオリーブオイルの値段も高くなる。以前はスーパーマーケットのオリーブオイルは一リットル五ユーロ(約七百五十円)前後だったが、いまでは十ユーロから十五ユーロだ。
それでも、オリーブ栽培と収穫を体験した身としては、以前が安すぎたとしか思えない。現在でも昔ながらの製法で時間と手間をかけて搾ったオイルもまた、店頭での値段は一リットル十五ユーロほどに留まっている。人件費を度外視した値段だ。さらに、オリーブが育たない北国の店で売られているオリーブオイルの値段には輸送費なども上乗せされているはずで、ドイツで一リットル七ユーロほどの格安オリーブオイルのラベルに「バージンエキストラ、コールドプレス」などと書いてあると、そんなはずはないと疑いの目で見るようになってしまった。
そんな疑念を抱くのは私ひとりではない。以前、近くに住むイギリス人夫婦にオリーブの収穫で疲れ果てた話をして、「買った方が楽だし安いよ」と愚痴をこぼしたことがある。するとオリーブ栽培をしていないその夫婦は興奮気味に「自家製の本物のオリーブオイルなんてすごい贅沢! 店で買うやつは混ぜ物!」と主張するではないか。そのときは、まさかと思った。
ところが、S村の人たちも同意見だった。彼らはスーパーのオリーブオイルは味がしないと口をそろえる。当初ポルトガルのスーパーで買った安いオリーブオイルがおいしいと感動していた私たちは、それを聞いて
実際、少し調べてみただけで混ぜ物疑惑は簡単に裏付けられてしまった。どうやら何十年も前から組織的に行われている詐欺のようで、一九八〇年代のスペインでは混ぜ物による死者まで出ていた。オリーブオイルの値段が大幅に上がったここ二年は、混ぜ物オイルも爆発的に増えているようだ。二〇二三年の秋にはイタリアとスペインだけで二十六万リットルもの混ぜ物オリーブオイルが摘発された。さまざまな商品を独自に品質検査するドイツの消費者団体〈商品テスト財団〉がドイツで販売されているオリーブオイル二十三商品を検査した結果、二〇二四年に「良」が付いたのはわずか四商品。合格水準に達しなかったもの、すなわち「純粋なオリーブオイルではない」と見なされたものが六商品もあった。
そんなことを言われても、いったい偽物はどう見分ければいいのか。エルサによれば、冷蔵庫で一日から数日置いて、固まれば本物だということだ。オリーブオイルが低温で凝固する性質を利用した見分け方だ。しかし敵もさるもの、同じように低温で固まる油を混ぜるなど、手口はどんどん巧妙化しているらしい。そうなると、もうなにを信じていいかわからなくなる。結局のところ、食べてわかる熟練の舌を持っている人以外は、自分で作るか、信頼できる生産者から買うしかないことになる。近所のイギリス人夫婦が言ったとおり、住民のほぼ全員が生産者というここ山奥のオリーブオイル事情は、やはりとんでもなく恵まれているのだろう。
最近、ドイツの都会ではコーヒーにオリーブオイルを垂らして飲むのが
南国の貴重な食材だったオリーブオイルは、いつのころからか、コーヒーに入れるなどという酔狂に消費できるほど、ドイツでも気軽に手に入る日常品になった。いまではワインと同様、食通のうんちくの対象だ。○○国の××地方産のオリーブオイルは製法が、味と香りが……と熱く語るオリーブオイル通も少なくない。
実際、オリーブオイルはワインやお茶と同じで、生産地、実の種類、収穫方法、搾油方法などによる違いがあって、実に奥が深い。だからオリーブオイルとともに生きてきたここポルトガルの人たちにも、もちろんうんちくはある。だがそれは食通のスノビズムではなく、日本人の米や味噌の好みと同じ、必須食品へのこだわりだ。本人たちにはさっぱり自覚がないものの、北国のスノッブとはうんちくの格が違う。特にここ山奥では、まずオイルが地元産、もっといえば自家製であるのは大前提。そのうえで、たとえばエルサはそのシーズンに搾られた新しいオリーブオイルが好きだ。文字通りオリーブ色で、香りも強く、苦みや辛み、えぐみがある。一方、九十五歳になったがいまだ健在のエルサのお母さんの好みは、一年くらい寝かせたオリーブオイル。そのころには色は薄まって黄色くなっており、味も雑味が抜けてまろやかだ。エルサの家の食卓には、そのシーズンの新オリーブオイルと前シーズンのオリーブオイルがともに並び、おのおのが好きな方を選んでかける。
さて、昨年の大晦日、我がS村では恒例の年越し行事が行われた。村の広場に薪を積み上げて巨大な火を焚き、すぐ隣にある「共生センター」の窓からその火を眺めつつ、皆で食事をするのだ。一昨年は日本で年越しした私たちにとって、村の焚火食事会に参加するのは二年ぶりだった。その前年である二〇二二年の大晦日には、マリアおばさんも、当時引っ越してきたばかりだった「移民」アレシャンドラもいた。翌年マリアおばさんは亡くなり、アレシャンドラは村人たちと道の所有権をめぐって争った結果、昨年大晦日の焚火には不参加だった。
人が減るほど残った者の結束も固くなるのか、今回は大晦日のみならず、翌日の元日の昼食も皆で食べることになった。大晦日の料理はニンニクとワインに漬け込んだ豚肉を素揚げした「フリターダ」、そして元日は猪肉の煮込みだった。村人たちが狩りをして仕留めた猪を自らさばいて作ったものだ。見た目はまっ茶色でなんとも肉臭そうだが、食べると意外なほど柔らかく、臭みもまったくない。塩茹でジャガイモを添えて、オリーブオイルをたっぷりかけて……となるはずが、なんと今回、テーブルの上にはオリーブオイルがなかった。その場で最年長のマリオが「オリーブオイル、誰か持ってきてくれないか」と一同に向かって声をかけたが、皆が聞こえないふりをして、猪の煮汁を黙々とジャガイモにかけていた。オリーブオイルは値段も高騰しているし、昨年は生産量が少なかったこともあって、みんな自分のものを出すのを渋ったようだ。そんなわけで、全員が生産者でありながら、私たちは今年最初の食事をオリーブオイルなしでとったのであった。
世界から隔絶されたかのような限界集落にも、世知辛い世間の風は吹いてくる。いや、そもそもS村がこの四十年で人口二百人を超す賑やかな村から猫しかいない限界集落へと没落したのは、世間の寒風を最前線で食らってきた結果にほかならない。それでも残った村人たちは、かつての村の繁栄を生き生きした瞳で語りながらも、いまの境涯を嘆くでもなく淡々と生きている。逆にここから盛り返そうという気概もなさそうなので、我がS村の第一級オリーブオイルが美しい瓶に入って粋な名前とともに高値で世界に羽ばたく日はまず来ないだろう。インターネット越しに見える世界は明るくのっぺりと
※長い間、ご愛読ありがとうございました。本連載は集英社より刊行される予定です。
イラストレーション=オカヤイヅミ
浅井晶子
あさい・しょうこ●翻訳家。
1973年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程単位認定退学。2003年トーマス・ブルスィヒ『太陽通り』でマックス・ダウテンダイ翻訳賞、2021年ジェニー・エルペンベック『行く、行った、行ってしまった』で日本翻訳家協会賞翻訳特別賞受賞。訳書にイリヤ・トロヤノフ『世界収集家』、トーマス・マン『トニオ・クレーガー』、エマヌエル・ベルクマン『トリック』、ローベルト・ゼーターラー『ある一生』、ユーディト・W・タシュラー『国語教師』『誕生日パーティー』、ユーリ・ツェー『メトーデ 健康監視国家』ほか多数。