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浅井晶子『ポルトガル限界集落日記』
[第5回]郷愁の栗、奇観のキャベツ

[連載]

[第5回]郷愁の栗、奇観のキャベツ

 ポルトガルの山奥にあるC荘を手に入れて二年目の秋だっただろうか。ベルリンから飛行機とレンタカーでたどり着き、やれやれと居間のソファに腰を下ろしたとたん、遠くから「おおおう」と呼びかける声が聞こえた。インターフォンなどないから、このあたりの人は男も女も皆「おおおう」と叫んで訪問を知らせる。
 窓からのぞいてみると、眼下に広がる段々畑状の敷地の下のほうで、小柄な老女が手を振っていた。山向かいのS村に住むルシンダおばさんだ。七月に村の夏祭りで知り合い、熱烈な歓迎のキスを受けていたので、よく憶えていた。
 私たちがC荘に到着した瞬間に、どこで見ていたのか隣人がやってくる――これが噂に聞く田舎の距離感のない近所づきあいというやつかと、正直震えあがった。
 夫は見るからに腰が引けているので、仕方なく私ひとりで庭に出て、ルシンダおばさんのいる場所まで下りていった。おばさんが立っていたのは栗の木立だった。私が下手なポルトガル語で「ボ、ボン・ディーア。ええと、コ、コーヒーでも……?」ともごもご言うのを遮るようにして、おばさんは真剣な顔で地面を指し、なにやら説明を始めた。聞き取れた単語から想像力をめいっぱい働かせてなんとか理解したところでは、いまちょうど栗が食べごろであり、早く拾わないといのししに食べられてしまうという趣旨のようだった。ルシンダおばさんはすでにバケツに半分ほど栗を拾い集めており、それを私のほうに差しだした。さらに拾うことを求められている模様だ。
 なんだかわけがわからないまま、地面にこれでもかと落ちているイガ付きの栗を拾おうとかがんだところ、ルシンダおばさんは「違う違う!」と言って、五メートルほど先を指した。「こっちの木の栗のほうがおいしいのよ」。我が家のどの木の栗がおいしいかをご近所さんが知っている。私はますます震えあがった。
 ところがルシンダおばさんは私が軍手をしていないのに気付くと、「イガが危ないから」と身振りで私を制止した(おばさん自身も軍手をしていなかったのだが)。そして自分で拾った栗の入ったバケツを私に手渡すやいなや、くるりときびすを返し、段々畑を飛ぶように下ってあっさりと姿を消した。ルシンダおばさんは自分で食べるつもりでうちの栗を拾っていたのではと少し疑っていた自分を、私は恥じた。
 翌日、バケツは誰のものなんだろう、返しにいくべきか、などと首をひねりながら夫とふたりで栗を拾い、薪ストーブの上で炒って食べた。私にとっては日本での子供時代以来数十年ぶり、ドイツ人である夫にとってはなんと生まれて初めての焼き栗だった。
 夫がたくさんの果樹を植える前は、オレンジ、レモン、オリーブと常緑樹ばかりだった我が家の庭で、ブドウと並んで秋に葉が色づく栗の木々には季節の情緒があって、私は好きだった。だがその栗の木立は、二〇一七年の山火事でほぼすべて焼けてしまった。ルシンダおばさんが教えてくれた一番おいしい栗のる木も燃え落ちた。同じ場所に夫が新しい栗の木を何本も植えたが、どういうわけか一本も根付かず今日にいたる。
 当時すでに八十歳を超えていながら、オリーブの木に登って収穫をしたりと怖いほど元気だったルシンダおばさんは、ある年に夫を亡くし、さらに数年後、木から落ちて骨折したのを潮時に(だから言わんこっちゃないと村の皆が口をそろえた)、リスボンで暮らす息子一家のもとに引っ越していった。いまでも夏祭りなどで村に帰ってくるたびに、私に熱烈なキスをしてくれる。

 ルシンダおばさんのおかげで初めて栗を食べた夫は、そのおいしさにいたく感激した。そんな夫を見て私は初めて、ドイツには食用の栗がほとんどないのだと気づいた。栗ばかりではない。枇杷びわも柿もイチジクもオレンジも、ドイツでは育たない。二十年以上もドイツで暮らしていたのに、一度も意識したことがなかった。オレンジはスーパーに行けば外国産のものが一年中安く買えるから、自国産のものがないと頭でわかってはいても、ことさら考えてみたことはなかった。
 一方、柿は数年前からスペイン産のものがKaki(発音は「カーキー」)という名で出回るようになって知られるようになってきたものの、それまではドイツでは未知の果物だったし、イチジクといえばトルコなどから輸入した乾燥させたものだった。それなのに、どちらも本来ドイツにはない果物であることを意識したのは、皮肉にも、どちらも庭先で実るポルトガルに来てからだった。
 ドイツになくてポルトガルにはある果物のハイライトといえば枇杷だろう。枇杷はアジアにしかないと思い込んでいたため、ポルトガルでは一般的な果物だと知ったときは驚いた。ドイツではいまでもほとんどの人がその存在を知らないので、夫にとって枇杷は自慢ポイントのひとつ。本人もポルトガルに来るまで知らなかったのだが、こちらであちこちの庭にある枇杷の木を目にして、その姿の美しさに惹かれた。言われてみれば、枇杷の木にはどこか熱帯の植物を思わせる野性的なおもむきがある。熱帯好きの夫にはたまらない。枇杷の果実が好きな私の勧めもあって、夫は小さな苗木を買って庭に植えた。そして数年後に実った枇杷を食べてその薫り高い味に悶絶したという経緯がある。ドイツの家族や友人に「枇杷っていう果物があってね、おいしいんだ、ドイツにはないから知らないよね」などと話しては悦に入っている。とはいえ自慢されるほうは知らないものの話を聞いても羨ましがりようがないので、反応はいまひとつ薄い。
 枇杷と違ってドイツ人の羨望を確実に集められる最大の自慢ポイントは、やはり十四本もあるオレンジの木だ。五十年前の住人たちが家をぐるりと取り囲むように植えた木々がいまでは大きく成長して、夏には木陰を、そして晩秋から初夏まではたくさんの果実をもたらしてくれる。あまりに多すぎて、毎日搾って一リットル以上のジュースを作っても追いつかない。
 身も蓋もない自慢なのは承知だが、ドイツのスーパーで買うオレンジとは香りも味の密度もまったく違う。今年ドイツに車で帰省したときにバケツ三杯分持っていったら、家族や友人にこちらが驚くほど大歓迎された。古いオレンジの木々は放っておいても勝手に実をつける。だから我が家のオレンジには化学肥料どころかどんな肥料も使われていない。「有機」「自然」という言葉に弱いドイツ人は皆いたく感激して、皮さえ捨てずに乾燥させて大切に使ってくれた。
 そんな反応に慣れているため、夫は日本の友人や同僚にもつい同じ自慢をしてしまう。うちにはオレンジもブドウも枇杷も柿もイチジクも栗もあって……と得意げに話すと、心優しく礼儀正しい日本の人たちは皆、「それはいいですね」とにっこりしてくれる。だが内心どのあたりを羨ましがればいいのかと戸惑っているのが伝わってくる。考えてみれば、名古屋市内の住宅街にある私の実家の庭にも、柿や枇杷やイチジクの木がある。ドイツでありがたがられる南国の果物が当たり前に育つ日本の恵まれた気候をいまさらながら実感する。日本人にインパクトを与えるには、次からはオリーブの話をするべきだと夫にはアドバイスしている。

 我が家では昨年から、こぢんまりと野菜も作り始めた。広い敷地はあるものの、耕運機の手配と、なにより猪対策が間に合わず、夫が古い雨戸を再利用して作った一メートル四方のプランターふたつで細々と始めた。
 ポルトガルの家庭菜園の定番中の定番といえば「コーヴ・ガレガ」だ。「ガリシア地方のキャベツ」という意味だが、「キャベツ」と言われて私たちが想像する葉が重なった球状の野菜ではなく、形はむしろ木に似ている。高さは一メートルから一メートル半ほどで、うちわのような巨大な葉が枝のように広がっている。幹がごつごつしていてちょっとシュールな見た目のこの野菜は、ポルトガルの家庭菜園で必ずと言っていいほど見かける。都会の住宅の小さな庭にもよく植えてあるし、田舎の広大な畑には、こんなにたくさんどうするんだろうと心配になるほどの量が栽培されている。近所のS村のアントニオも、独り暮らしだというのに、畑には、ゆうに百本くらいこのコーヴ・ガレガが植えられている。いくらなんでも食べきれないだろうと心配になって訊いてみたところ、この野菜はヤギや鶏の餌でもあることがわかった。畑のキャベツをヤギに与え、そのふんが畑の肥料になる。コーヴ・ガレガは昔から変わらない循環構造の一部を担う野菜なのだ。「ガリシア産キャベツ」という名ではあっても、この野菜は実はケールの一種。「キャベツ」という語の適用範囲がポルトガルでは日本より広いのだろう。また、地方によってほかにもいろいろな名前があり、我が家のあたりでは「コーヴ・カルド・ヴェルデ」と呼ばれている。
 カルド・ヴェルデというのはジャガイモのポタージュに千切りにしたこの緑の野菜をたっぷり入れたポルトガルの典型的なスープ。ポルトガル人はスープ好きで、食事の際も、メインの前にほぼ必ずスープを飲む。スープは日本人にとっての味噌汁のような、欠くことのできない食事の一部だ。なかでもカルド・ヴェルデは、言ってみれば豆腐とワカメの味噌汁のような、定番のスープである。
 カルド・ヴェルデに入れる野菜だから「コーヴ・カルド・ヴェルデ」。ひねりもなにもない。とはいえ、この野菜の用途はスープ以外にも幅広い。煮ても茹でても炒めても、ご飯とともに炊きこんでもおいしい。日本の「キャベツ」よりも歯ごたえも味もしっかりしているが、素朴で癖や強い香りはない。冬も夏も一年中庭から採ってきて食べられる優れものだ。華やかでもおしゃれでもないが、栄養があって堅実、いかにもポルトガル料理にふさわしい野菜だ。
 しかもこの野菜は順応力に優れており、育てるのも楽だ。五センチほどの大きさの苗を買ってきて植えたら、あっという間に根付き、ぐんぐん育った。旅行などで数週間留守にしていて水をあげられなくても、平気な顔で生き延びる。順応力があってたくましい、そんなところもなんとなくポルトガルの人たちに重なる。
 逞しいといえば、昨年、生ゴミからカボチャが勝手に育った。我が家では庭に堆肥づくりのための大型容器を置いて、生ゴミはそこに捨てている。その容器が嵐で傾き、堆肥になりかけだった底のほうの中身が露呈した。ある日気づいたら、そこからカボチャのつるが伸びていた。買ったカボチャを料理したときに捨てた種が芽吹いたようだ。面白いので特になにも期待せずに毎朝水をやっていたら、どんどん蔓が伸びて、最後には立派なカボチャが四つもできた。
 全部こうだと楽なのだが、もちろん自然とは無情なものだ。今年の八月、所用で二週間半ドイツにいた。プランターには科学者の夫が自作した自動水やり装置が付いているから、留守のあいだも水の問題はないはずだった。ところが戻ってきたら、一メートル四方のちっぽけなプランターのなかは雑草が伸び放題、オクラもネギも姿が見えなくなっていた。ススキのようなものまで繁栄を謳歌していて、完全に野生に返ってしまっている。もはやなんの箱だかわからない。私は性格が大雑把で面倒くさがりなので、それまでも決して丹念に雑草を抜いていたわけではなかった。「雑草という名の草はない」などとうそぶいて、見えないふりができるうちは放置していた。けれど適当にであれ、目につくものを少しずつ抜いていたから、ここまでの惨状にならずに済んでいたのだと気づいた。陳腐な言い回しながら、積み重ねの偉大さを実感する。
 木々もやはり積み重ねで育つ。最近気づいたことだが、野菜にしても樹木にしても、日々の水やりの際、私はたいてい根本しか見ていない。水は足りているか、モグラや虫に土を荒らされていないか、我が家に通ってくる猫のテルが転がっていないか――ずっと下を向いてばかりだ。暑いし面倒くさいし原稿の締め切りもあるし、早く家に入りたい、と思いながらおざなりに水をやる日も、やはり下を向いている。けれどある日ふと視線を上げると、夾竹桃きょうちくとうのピンク色の花が青い空に映えている。ほんの二、三年前にはまだ私の膝にも届かなかった木が、もう頭をそらせなければ先端が見えないほど大きくなっている。梅や梨やサクランボの木も、九年前に夫が植えたときには支柱がなければ立っていられないほど頼りなかったというのに、気づけば幹は太く逞しくなり、枝を広げて快適な木陰を作ってくれている。そこまで育てば、もう毎日水をやる必要もない。嬉しさの反面、私の助けはもういらないんだなと、どこか寂しさも感じる。人にしろ動物にしろ植物にしろ、なにかを育てるとはそういうことなのだろう。

 この夏、忙しい左官のジョゼとジョルジェのスケジュールを押さえて、玄関前のテラスに屋外キッチンを造ってもらった(夫が何年も前から欲しがっている四輪バギーがまた遠ざかった)。ところが、念願だった石窯を設置するためにはブーゲンビリアをどうしても抜かなければならないと言われて、私は自分でも意外なほど動揺した。ブーゲンビリアは、南欧といえばこれ、という憧れがあって植えたものの、当初うまく根付かず、一度は葉をすべて落としてしまった。諦めた夫を横目に見ながら私ひとりで茶色い棒にしか見えないひょろひょろの幹に懸命に水をやり続けた結果、ある日再びちっぽけな葉が芽生え、ついには赤い美しい花が咲いた。だからブーゲンビリアには、一緒に危機を乗り越えたという強い絆を感じていた。いまはまだ一メートルほどの頼りない木だけれど、このまま大きく育ち、石窯に覆いかぶさるようにして赤い花を咲かせる姿を思い描いていたのに。
 ジョゼたちが苦労して運び込んだ窯はもうそこにあり、いまさら「それならいらない」とは言えなかった。結局ジョゼの提案で、ブーゲンビリアは別の場所に植え替えられた。だが怖れていたとおり、花は数日で落ち、その後葉も萎れてやはり落ち、健やかだった木は再び茶色い棒だけの姿になってしまった。けれど以前も一度、ここから一緒に持ち直したことがある。そう思って懸命に水をやっているのだが、隣に謎の木が生えてきただけで、ブーゲンビリアのほうはいっこうに復活する気配がない。今度ばかりは駄目かもしれない。人間の勝手な都合で殺してしまったのだろうか。それでも私は毎日、根本を見つめて水をやり続けている。ある日目を上げたら、茶色い棒からちっぽけな緑の葉が生まれていることを願って。

イラストレーション=オカヤイヅミ

浅井晶子

あさい・しょうこ●翻訳家。
1973年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程単位認定退学。2003年トーマス・ブルスィヒ『太陽通り』でマックス・ダウテンダイ翻訳賞、2021年ジェニー・エルペンベック『行く、行った、行ってしまった』で日本翻訳家協会賞翻訳特別賞受賞。訳書にイリヤ・トロヤノフ『世界収集家』、トーマス・マン『トニオ・クレーガー』、エマヌエル・ベルクマン『トリック』、ローベルト・ゼーターラー『ある一生』、ユーディト・W・タシュラー『国語教師』『誕生日パーティー』、ユーリ・ツェー『メトーデ 健康監視国家』ほか多数。

『誕生日パーティー』

ユーディト・W・タシュラー 著/浅井晶子 訳

単行本・発売中

定価2,860円(税込)

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