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北村浩子 <ナツイチ>読みどころ

[書評]

〈ナツイチ〉読みどころ

 まずは夏にじっくり長編を読みたいという方へ。今村翔吾の直木賞受賞作『塞王の楯』は石垣職人・飛田匡介とびたきようすけが主人公の、静かな熱を孕んだ小説だ。
 戦国時代。家族を失い孤児になった匡介は、石積みのプロフェッショナル集団「穴太衆あのうしゆう」のリーダー・源斎げんさいに拾われ手ほどきを受ける。〈石垣の美しさは堅さ〉と述べる源斎に導かれ、城を守るための強固な石垣を作る天才として名を知られるようになる匡介。そんな彼の前に立ちはだかったのは、鉄砲製作の技術を持つ「国友衆くにともしゆう」の若頭、同年代の彦九郎げんくろうだった。
 二人が地元・近江国の大津城で対峙する場面の緊張感は凄まじい。敵同士であるにもかかわらず、お互いがそれぞれの理論で戦のない世界を心底願い、自らの職務に命を懸けていることがひしひしと伝わってくる。平和は何によって作られるのか、保たれるのか、読後考えずにはいられない。
 戦後から約八十年間のファッション業界の変遷を実名を交えて描いた黒木亮『アパレル興亡』は、ダイナミックなビジネスノベル。大手婦人服メーカーのワンマン社長の人生を軸に、社員たちの奮闘が臨場感たっぷりに綴られる。時代を彩ったスタイルやブランド名に懐かしさを覚える読者も多いだろう。流行の最先端をめぐる、ライバル達とのしのぎの削り合いにはゾクゾクさせられる。
 徹頭徹尾冷徹な悪の存在に圧倒されるのは、新庄耕『地面師たち』。地面師とは不動産専門の詐欺師のことだが、地面師の大物の手駒として数々の仕事をこなしてきた拓海は、仲間とともに時価一〇〇億円の東京の一等地を狙う。周到に準備された計画を進めてゆく先に待ち受けていた事実とは――。質量のある哀しみが押し寄せる後半の展開は、読んでいて呼吸が荒くなるのを抑えられなかった。解説を担当されている大おお根ね 仁ひとし氏が監督・脚本、主演は綾野剛と豊川悦司という豪華さで映像化され、Netflixでの世界独占配信が決まっている。
 スリリングな長編をもう一作。知念実希人『真夜中のマリオネット』は、救急医の小松秋穂が、重傷を負って搬送されてきた十九歳の石田涼介の命を救うところから始まる。彼は警察に追われていた。猟奇的連続殺人事件の犯人ではないかと目されていたのだ。涼介の魅力に心奪われた秋穂は彼の嫌疑を晴らすため奔走するのだが……。ネタバレ厳禁のクライムサスペンスだ。
 虐待、外国人差別、老親と家から出られない中年の子供――薬丸岳『ブレイクニュース』は、耳目を集める事件や出来事の当事者に体当たりで取材し、動画配信する野依のより美鈴を中心に据えた社会派小説。常に危うさと隣り合わせの彼女のやり方に疑問を覚える週刊誌記者の真柄まがらは、美鈴に関する情報を集め始める。彼女はなぜ、時に自らを進んで傷つけるような無鉄砲な方法で配信を続けるのか。
 美鈴が追いかけ、世に問う様々なトピックは私たち読者の現実を詳細に写し取って生々しい。決して他人事ではない、切実な問題が詰まった小説だ。
 現実を映し出す作品といえば、NHKでドラマ化され話題を呼んだこちらの長編も強烈な印象を残す。生殖医療ビジネスを扱った桐野夏生の『燕は戻ってこない』。北海道から上京し、派遣で病院事務の仕事をしている二十九歳のリキは生活苦に喘いでいる。どんなに節約しても金は貯まらず、満足に食べることもできない。ある時リキは友人が見つけてきた「卵子提供」のアルバイトに興味を持つ。恐る恐る面接に足を運んだリキが提案されたのは、代理母という大仕事だった――。
 リキにも、彼女に子産みを託す夫婦にも共感はできないのに、登場人物それぞれの心情に見え隠れするエゴに「思い当たる節」を発見してたじろいでしまう。持たざる者と、富裕層の間にある果てしない距離。現代日本の構図を背景に描き出される容赦のない物語だ。
〈この社会で男性が優位でいられる構図や、それを守り、強制するための言動の総称〉としてマチズモを論じ、女性を抑圧していることに男性が気付かない・気付きづらい日常の場面を丁寧に洗い出した武田砂鉄『マチズモを削り取れ』は、武田さんという書き手がいることの心強さを再確認させてくれる一冊。思考の中に入り込んで固着したマチズモは私たちのふるまいを実に自然に司っていて、その存在を意識することは難しい。様々な場所にはびこる不均衡を可視化したフィールドワークの集大成とも言えるこの論考、老若男女問わず手に取ってほしい。
 潔いまでに絶望を前面に出し、誰しもが抱えている闇のバリエーションを見せつけるのは深緑野分の短編集『カミサマはそういない』。友人に対する拭えない妬み、終わらない戦争、SNSから個人を特定しようとする執拗な欲望――時にSFの味付けを施しつつ、著者は人間の醜さを暴いていく。ラストに置かれた「新しい音楽、海賊ラジオ」は、陸地のほとんどが海に沈んだ世界を舞台に、聴いたことのない音楽を求めてちいさな冒険をする少年少女の物語。ほのかな希望の光を感じながら読者は本を閉じることができる。
 四十代の男が少年だった頃の同級生たちを思い出し、一人一人の記憶を蘇らせる爪切男の『クラスメイトの女子、全員好きでした』は、過去へのラブレターとも言えるキュートな一作。ヘンなあだ名、ヘンな癖、ヘンな趣味。ちょっぴりおバカで間抜けなエピソードの数々がなんとも愛おしい。木村昴、新川優愛主演でドラマ化され、日本テレビで七月十一日から放送される予定だ。
 恋心を寄せていた女子が突然事故で死んでしまうという出だしに、ここからどうやって話が進むんだろう? とドキドキしながら読んだのは乙一『一ノ瀬ユウナが浮いている』。幼なじみのユウナを失った高校生の大地は、彼女が好きだった線香花火で魂を送ろうとする。そこにゆらゆらと、まるで水に浮いているみたいにユウナがあらわれて――繰り返される、楽しくも短い再会はいつまで続くのか。不安と笑いが入り混じるせつなさがページ毎に高まっていく。
 どこか浮世離れした大学生・片井海松子みるこの一人称で綴られる綿矢りさの『オーラの発表会』は、彼女の生真面目さが生む周囲とのズレを笑いに昇華した手練てだれの長編。海松子をはじめ、人の外見をコピーせずにはいられない友人の萌音もねや海松子にアタックする二人の男性など、皆それぞれに変わっているのだが、おそらく誰も「自分は変わっている」と思ってはいない。その普遍的な事実が持つ面白さに改めて気付かされる。
〈夫が風呂に入っていない〉という不穏な一文から始まるのは高瀬隼子『水たまりで息をする』。水道水が嫌だと夫は言い、シャワーすらも拒絶。体臭が濃くなる速さは社会性を手放す速度と重なり、妻は不安を募らせる。体を洗わない、それだけのことが生活のすべてを侵食し、夫婦の日常を変えてゆく。夫を嫌悪するのではなく〈許したくてしんどい〉と思う妻。二人はどこへ行きつくのか。ラストシーンに漂う不思議な清々しさは忘れられない。
 過去と現在を行き来する老女の脳内世界を言語化して大きな話題となった永井みみ『ミシンと金魚』は、語りのすばらしさに耽溺たんできさせられる中編。ブラックなつぶやきに笑わされ、深い悲しみを背負った壮絶な人生に胸打たれ、徐々に明かされるタイトルの意味に深い感動がわきあがる。死は恐ろしいものではないのかもしれないとも思わせてくれる、まがうかたなき名作だ。
 意味合いの違った幾つもの死を点在させた道尾秀介『N』は、本そのものに驚きの仕掛けが施されている。収録されている六つの章が一章ごとに上下逆さまに印刷されていて、読者はどこからでも読み始められる。つまり読み手が物語を構築できるようになっているのだ。ペット捜索専門の探偵、異国でターミナルケアに従事する看護師、謎めいた漁師などの登場人物が、背景を持った人間として徐々に輪郭をあらわしてゆく。彼らが交錯するストーリーをぜひ自分の手で編み上げてほしい。
 旅先でも、もちろん家でも。本と共に素敵な夏を!

※ナツイチ作品全82冊の詳細は、フェア参加書店で配布されるナツイチ小冊子、またはナツイチ特設サイト(https://bunko.shueisha.co.jp/natsuichi/)をご確認ください。

北村浩子

きたむら・ひろこ●フリーアナウンサー、ライター

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