[今月のエッセイ]
神様に「書きなさい」と
言われました
イクイノックスが驚異的なレコードで圧勝した二〇二三年十月二十九日の天皇賞・秋は、令和初の天覧競馬となった。
天皇、皇后両陛下は、天皇賞発走の二時間半ほど前に東京競馬場に到着され、JRA競馬博物館で、競馬法百周年記念特別展「伝統の天皇賞 ~日本競馬のあゆみとともに~」をご覧になった。
その競馬博物館で二〇一二年から一三年にかけて行われた特別展「わが国の偉大なる種牡馬たち」で、私は「
競馬史に関する文章をたびたび書いている身として、この牧場を知らずにいたことを半分悔しく、半分恥ずかしく思った。そんな思いを抱きながらリサーチを進めるうちに次々と重大な新事実を突きつけられ、私にとっての廣澤牧場は、「書きたい対象」より遥かに格上の「書かざるを得ない対象」になった。
そうして本作『ブリーダーズ・ロマン』が生まれた。
戊辰戦争で薩長ら新政府軍に敗れた会津藩士は北奥羽の地に移り住み、「
ここには開牧当初から「ローザ」という名のサラブレッド種牡馬がいた。往時は毎年二十頭以上のサラブレッドを生産していたのだが、一九八五(昭和六十)年に閉場。百十三年の歴史に幕を下ろした。経営が厳しくなって閉場に至ったわけだが、あと数年踏ん張ることができていれば、日本は
全盛期には三沢市の五分の一ほどの広さという規模を誇りながら、その始まりにも終わりにも悔しさと悲しさがついて回る。そうしたところにも私は惹かれてしまった。
廣澤牧場にいた種牡馬ローザの血も、繁殖牝馬の血も、すべて途絶えてしまった。それを物語のなかで蘇らせたい、新選組のフィクサーまでつとめた大物でありながら、北奥羽の地でブリーダーの走りとなった安任の思いを受け継いだ人物を描きたい、と思った。
『ブリーダーズ・ロマン』には、トナミローザという名の競走馬が登場する。安任らがつくった「斗南藩」の「トナミ」と種牡馬「ローザ」から命名した。おかしな表現になるが、トナミローザの存在は、私からの廣澤牧場と安任への敬意そのものであり、ラブコールにもしたつもりだ。
もうひとつ、廣澤牧場について書くことを決定づけたのは、私にとって衝撃的なある「発見」であった。
詩人・歌人・劇作家として、さらに競馬コラムニストとしても活躍した寺山修司の没後三十年の特別展が二〇一三年に青森県近代文学館で行われた。その図録を眺めていると、次のような記述があった。
「寺山家のルーツは薩摩だが、剣術の達人だった祖父寺山芳三郎はなぜか斗南藩士と共に
寺山は、母とともに「寺山食堂」となったそこの二階を間借りしていたことがあった。青森大空襲で焼け出された一九四五年、九歳のときだった。
私は、早大に籍のあったころから『競馬への望郷』『馬敗れて草原あり』などの寺山の競馬エッセイを夢中になって読んでいた。大学を中退したのも、憧れた寺山を真似たようなもので、寺山作品に触れていなければ、私はこの仕事をしていなかったと思う。
それほど大きな存在である寺山と安任がつながっていたのだから、これはもう、文章の神様も競馬の神様も、私に書きなさいと言っているのだ、と解釈した。
かくして本誌二〇二一年一月号から「ザ・ブラッドメモリー ~血統の記憶~」というタイトルで連載を始め、それを改題、加筆・修正して本作『ブリーダーズ・ロマン』となった。
視点人物である競馬記者の小林真吾は、私の競馬ミステリーシリーズ第一作『ダービーパラドックス』と第四作『ノン・サラブレッド』にも登場している。プロフィールやルックスはともかく、中身は私そのもので、寺山作品の影響を受けて記者になった男だ。
シリーズ第六作となるこの『ブリーダーズ・ロマン』が、「寺山修司没後40年記念認定事業」のひとつとなった。寺山修司記念館館長で詩人の佐々木
寺山修司没後40年記念認定事業 公式サイト
https://www.terayamaworld.com/40th/
島田明宏
しまだ・あきひろ●作家。
1964年北海道生まれ。競馬関連のノンフィクションを手がけながら小説を執筆、2009年「下総御料牧場の春」でさきがけ文学賞選奨、2012年『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』でJRA賞馬事文化賞受賞。著書に『絆 走れ奇跡の子馬』『ダービーパラドックス』『ノン・サラブレッド』『ファイナルオッズ』等。