[本を読む]
「寂しさ」がへばりつく
新宿ゴールデン街の私小説
春の鼻水のような作家だと思った。
30歳の青年が新宿ゴールデン街で過ごす日々を、私小説として描いた本書で、著者は様々な人間と出逢い、酒を飲み、女とセックスする。新宿ゴールデン街を「互いをコンテンツのように」「消費し合う」空間であると明言しつつも彼は、口説き下手な飲み屋の男性客に傲慢な優越感を抱いたり、「相手のことが好きという気持ちと、自分のことを受け入れてほしいという気持ちと、セックスをしたい気持ち」が
自身の心の底も分からないくせに、たった数回会っただけの他人の気持ちまで推し量ろうとして、叶わなかったと気を落とし、それでも誰かと関係を築いては、些細な言葉のやり取りに一喜一憂する。人の影響を受けやすい善良な間抜けかと思えば、どこか他人を値踏みしているフシもある。そんな著者が描く新宿ゴールデン街を中心とした東京の風景には、どんなに鼻にティッシュを詰め込んでも染み込んで漏れ出し、思考を侵食する、花粉症の鼻水を想起させる寂しさが、ずっとずっとへばりついている。
モテるメンズのワンナイト実録などではない。不器用な男が失敗を繰り返しながらも人と繫がろうとする姿は、どちらかといえばダサい。私「小説」として脚色した部分もあるだろうが、実際にやっている場面も相当あるだろうなと感じる。それでも彼を惨めな奴だと、笑って切り捨てられないのは、自他の境界が溶けだしている著者の危うさと、寂しさが、私の中にもたしかに存在すると知っているからだ。
滑稽な自分から逃げ出すなよと、肩を摑まれるような想いがする。向き合いたくない、目を合わせたくないと固く蓋を閉め、心の奥底に沈めた箱に、山下素童の言葉は真っ直ぐ手をかける。
木村映里
きむら・えり●看護師、作家