[インタビュー]
全てはクライマックスの衝撃のために。
現役医師としてコロナ禍の最前線で戦いながら、作家として精力的な執筆活動を続ける知念実希人さん。本格ミステリーへの愛と批評精神が炸裂した『硝子の塔の殺人』、医療ミステリーの人気シリーズ最新作『久遠の檻 天久鷹央の事件カルテ』と、話題作を相次いで送り出した二〇二一年を締め括る一冊が、『真夜中のマリオネット』だ。自分は連続殺人鬼の命を救ってしまったかもしれない……。医師であるヒロインの揺れ動く心情にフォーカスした、サスペンス巨編となっている。
聞き手・構成=吉田大助/撮影=山口真由子
―― 島田荘司さんと綾辻行人さんが熱烈な推薦文を寄せた『硝子の塔の殺人』は、ミステリー界で大きな話題となりました。一方で、知念さんはこれまで『レフトハンド・ブラザーフッド』など、サスペンス色が強い作品も発表しています。サスペンスの語源は「宙吊り」ですが……最新長編『真夜中のマリオネット』の主人公の心情はまさに、「宙吊り」状態ですね。
最初から最後までどんどん話が転がっていって、主人公たちがそのつど窮地に追い込まれていきながら、少しずつ事件の謎が解けていく。そのプロセスをノンストップで読み進めていただくためには、主人公の心情をどう描くかを一番重視しています。今回であれば、目の前の少年が殺人犯なのか、それとも真犯人によってハメられた被害者なのか。信じる気持ちと疑う気持ちとの間で揺れ動く彼女の心情を、細部まで見逃さずに書いていったかたちです。
―― 主人公は、東京・豊洲にある総合病院で救急医として働く
読者をストーリーに引き込むためには、最初にだらだらと背景を説明してもしようがない。まず大きな事件を起こして、読者が興味を持つような始まり方をしなければいけない。そう考えた時に出てきたのが、最初の場面でした。僕は内科医になることを選びましたが、研修医時代は内科、外科、産婦人科、小児科、救急科……と、さまざまな科を回って研修を受けたんです。救急科に所属していた当時のことを思い出しながら書いていきましたね。手際良く判断する医師ではなく、あたふたする研修医の方が、当時の僕に近いです(笑)。
―― その後、少年は意識を取り戻し「ありがとう、助けてくれて。本当にありがとうございます」と告げる。少年は〈精巧に作られた人形と
ただ、医師というのは、命を救うのが仕事ですから。そこの揺れ動きは、何度も表現できるものではないなと思っていました。
―― 涼介自身の証言も重要です。「僕は先生の婚約者を殺していません。僕は『真夜中の解体魔』じゃありません」と。彼は四人目の被害者の殺害現場にいたところを警察に踏み込まれ、逃走中に事故を起こしたんですが、被害者である元恋人の雪絵に呼び出されたというんですね。そして、その証拠となる手紙が自分の家にあるから見て欲しいと頼まれる。
「どうか、僕のことを信じてください」というセリフを発する際に挿入される、〈涼介は妖艶な微笑を向けた〉という一文が効いていると思います。向き合う側の論理的思考を揺るがし、感情を強く搔き立てられる“魔性”の少年は、知念さんにとってこれまでにない人物像だったのではないでしょうか?
そうかもしれないですね。涼介は、秋穂にとってだけでなく読者にとっても、とにかく魅力的な存在でなければいけないと思っていました。殺人鬼であってもおかしくないと感じられる一方で、無意識のうちに惹かれてしまい、庇護したいと思える哀れな存在でもある。そういった雰囲気のキャラクターをどう作るかは今回、一番難しかったところかもしれません。
リアリティを出すうえで
知識と経験は武器になる
―― 物語は、涼介の言葉通り、元恋人から届いた手紙を秋穂が見つけたことから大きく動き出します。そして、病室で動けない涼介に代わり、秋穂は「真夜中の解体魔」事件の調査を始めます。初めて会うことになった事件関係者は、第四の被害者、雪絵の親友・
ありがとうございます。涼介を「信じるか、疑うか」という揺れ動きが秋穂の中で大きくなる最初のエピソードだったので、ちょっとしたセリフのやり取りも含め、慎重に書いていった場面です。全体を
―― 秋穂は揺れ動くたびに、ほんの少しずつ重心が「信じる」に傾いていくんですよね。終盤、秋穂が涼介を「信じる」にグッと傾くエピソードは、説得力がありました。
最終的にそういった気持ちに踏み出すには、エピソードの説得力であったり、心情の理由付けがしっかりしていなければ、読者の興味が離れていってしまう。かなり注意して書いていったところだったと思います。
―― 本作はいわゆる医療ミステリーではないんですが、ポイントポイントで、医療にまつわる情報がリアリティに貢献しています。例えば、秋穂は涼介の病状を偽り、面会謝絶状態を作っている。しかし、刑事たちは警察病院への転院を望んでいる。病院のお偉いさんに打診して半ば強引に、抜き打ちテストのように涼介の病室へ病状確認をしに来た時に、秋穂は点滴を意外な形で利用して、その場を切り抜けるんですね。一見するとシンプルなんだけれども、素人ではなかなか発想できないアイデアではないかと感じました。
あの場面では、患者や医師の証言といった
―― 秋穂が涼介の実父・
僕は医師になるまで十数年間、医療の専門教育を受けていますし、医師になってからも新しい知識のインプットは怠らないようにしていますから、そこは武器として身に付いている部分ですね。物語にリアリティの厚みを持たせるうえで、知識というものは医療に限らず全て武器になると思っています。想像力ももちろん必要なんですが、想像力の元になるものは、自分がそれまでの人生で得てきた経験であり知識であるのではないでしょうか。
最後の最後まで読者に
「確信」をさせない
―― 今回のようなサスペンス作品を執筆する際、構想はどのように固めていくものなのでしょうか? 主人公の心情を「宙吊り」状態で維持し続ける、出発点の設定が特に大事になってくるのでしょうか。
ミステリーと呼ばれるものであれサスペンスと呼ばれるものであれ、僕の場合、最初と最後を決めてから構想を進めるという手順は同じです。ただ、今回に関しては、とくにクライマックスを重視していましたね。どうやって終わらせるかという点をメインに据えて、そのために必要な題材を頭から積み上げていきました。
―― 納得です。すごくあざやかでした。
クライマックスに至る過程をどう演出していけば驚いてもらえるか、衝撃がもっとも高まるのかは、執筆中も常に考えていました。最低限実現しなければならないと思っていたのは、涼介が犯人なのかそうではないのか、どちらか分からないという状態を維持し続けるということ。最後の最後まで読者に「確信」をさせない、という点は特に意識して書いていきました。
―― 全体を振り返ってみた時に、この箇所は難しかったなと悩まれた場面はどこですか?
やはりクライマックスですね。構想段階から頭の中にシーンの映像は完璧にできあがっていたのですが、実際に書いていく時は、できる限りコンパクトに。書いてあることが一発でサッと分かるように、説明的な要素は削りに削って、読者が理解できる必要最低限まで持っていったつもりです。
―― 途中で少しリテイクが多かったな、といった場面はありませんでしたか。
僕は第一稿を書き上げた後で、この場面ではもう少し伏線を足そうとか、逆にヒントをあげ過ぎているからここは減らそうというふうに細かく直しを入れていくんですが、第一稿に関しては、リテイクは基本的にはないんですよね。最初から最後まで、とにかく一気に書くんです。プロット自体は最初と最後と、途中のいくつかのポイントしか思い浮かんでいないんですよ。「次の場面はどうするか?」という可能性を何個も考えて、それを自分の中でシミュレートしていって、一番いいと思うものを選んで書いていく。そのシミュレートは、パソコンに向かって実際に文字を打ち込んでいる時ではなく、それ以外の時間で常に頭の中でやっています。次はどの展開がベストかという結論を出してからパソコンに向かうので、基本的にリテイクは起こらないんです。
―― そういう書き方をされているんですね! 事前に物語の全体像をきっちり固めず、次の場面はどうするかをその都度考えていくからこそ、「疑うか、信じるか」の揺れ動きがさざ波のようにできあがっていくのかもしれないですね。
書いている時は、頭の中にできあがっている映像を単に活字に落とし込むだけなので、あまり面白い作業ではないんですよ(笑)。映像のディテールをどうやって言葉で表現するかのチェックをしながら書いていく、単純作業というか、職人芸みたいなものです。小説は、書いていない時間のほうが大事。書く時間がメインだと思われがちなんですが、ストーリーを考えている時間のほうがメインなんです。
エンターテインメントは
つらい現実の時ほど「必要」
―― 本作の続編、本作の世界観を受け継いだシリーズ化はあり得るのでしょうか?
それは絶対やらないですね。続編を、やっていい作品とやってはいけない作品があるんです。この作品に関してはやってはいけないし、やってしまったらもったいない。せっかく読者の方がいろいろと自分たちで考えてくれるであろうラストシーンにしているのに、続きを書いてしまったら、この作品の余韻を台無しにしてしまいますから。もうこの作品から僕の手は完全に離れました、読者さんに託しました、という感じですね。
―― 今、この作品がラストシーンで実現しているものの意義を、再認識するような言葉をいただけた気がします。最後に一つお伺いします。コロナ禍において、エンターテインメントは「不要不急」だと槍玉にあげられ、緊急事態宣言中は書店も臨時休業することになりました。しかし、エンターテインメントは、小説は、果たして「不要不急」のものなのか。知念さんはどうお考えですか?
エンターテインメントは、心の余裕があってこそ楽しめるものだとは思うんです。ただ、心に余裕がなくなってしまうような厳しい現実の中で、物語を通して違う現実、違う世界に入っていくというのもまた、エンターテインメントの力だと思うんですよね。束の間であれつらい現実を忘れて、楽しんだり、どきどきしたり、怖がったりと、いろいろな経験ができる。特に小説というものは、自分で文字を追いかけるし自分でページをめくる、つまり能動的に自己を物語に投影していくものなので、とても作品世界に入りやすいし、入り込んだ時に得られるものが大きい。
―― 現実に追い詰められると、一色の感情、一色の考え方に染まってしまう。しかし、『真夜中のマリオネット』を読むと、主人公の心情の揺れ動きとシンクロして、読み手の感情や思考回路もものすごく揺れ動く。おっしゃる通りその経験は、現実で凝り固まってしまっている自分を、ほぐしてくれる効果がある気がします。
つらい現実とはちょっと違う世界を見て、そこで楽しんで、ストレスを解消して、また現実に戻っていく。人間が精神的に安定するために、小説は、エンターテインメントは、とても「必要」なものなんじゃないかと思います。その選択肢の一つに『真夜中のマリオネット』がなってくれたなら、とても嬉しいですね。
知念実希人
ちねん・みきと●作家、医師。
1978年沖縄県生まれ。東京慈恵会医科大学卒、日本内科学会認定医。2011年、第4回島田荘司選ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を「レゾン・デートル」で受賞。12年、同作を改題、『誰がための刃 レゾンデートル』で作家デビュー(19年『レゾンデートル』として文庫化)。「天久鷹央」シリーズが人気を博し、15年には『仮面病棟』が啓文堂文庫大賞を受賞、ベストセラーとなる。18年『崩れる脳を抱きしめて』、19年『ひとつむぎの手』、20年『ムゲンの i(上・下)』と本屋大賞に3年連続でノミネートされる。『優しい死神の飼い方』『時限病棟』『リアルフェイス』『レフトハンド・ブラザーフッド』『誘拐遊戯』『十字架のカルテ』『傷痕のメッセージ』『硝子の塔の殺人』等、著書多数。