[受賞記念エッセイ]
第33回 小説すばる新人賞受賞記念エッセイ
二つの生きがい
二〇二〇年九月十六日。およそ八年ぶりに新しい内閣総理大臣が誕生した日、私は自宅で、
十六時過ぎに電話が鳴り、意を決して出たところに飛び込んできた「おめでとうございます」のひと言。とにかく信じられず、「ええっ」と叫んでしまいました。
「えっと、その、私ですか」
続けて発した声は、滑稽なほど震えていました。
自己紹介をする機会があれば必ずと言っていいほど、「大相撲が好きです」と語ってきました。ネット配信とテレビ中継を駆使して序ノ口から結びの一番までを視聴し、毎場所のように現地へ
当時、
家族が相撲好きだったため、家ではよくNHKの中継が流れていたのですが、その日私は、あー今日も相撲やってんな、と何気なくテレビ画面に目をやりました。すると次の瞬間、あの朝青龍関が、土俵際まで追い詰められ、そのまま寄り倒されたではありませんか。途端に会場は大きなざわめきに包まれ、座布団が一斉に宙を舞いました。それはまるで、世界がひっくり返ったような衝撃映像でした。
「大相撲って面白いんだ」と直感がはたらいたこの瞬間は、今でも胸に深く刻まれています。ただ、近年では座布団を投げるのは危険だと、さかんに呼びかけられています。もし座布団を投げようものなら白い目で見られるので、今となってはこのエピソードは、なかなか大きな声で言えません。
それからは、初めて本場所を観戦し会場の熱気に圧倒されたり、
たまたま受けた文章表現に関する講義で、夏目漱石の『吾輩は猫である』の冒頭部分を、江戸っ子口調、女子高生風など、自分の好きな語り口で書くという課題が出たのです。 最初は「小中学生の宿題みたい」と冷めた感想を抱いていたのですが、気づくと私は夢中になってペンを走らせていました。たとえパロディであっても、納得のいく言葉を選びだし、文章を組み立てていく行為が、たとえようもないほど面白かったのです。
それと同時に、小学生の頃は自ら物語を想像し、ノートに書き留めていたことを思い出しました。すでに大相撲にはまっていたけれど、当時は小説を書くことが何より好きで、将来は小説家になりたいと、臆面もなく口にしていました。
しかしいつの間にか、私は小説を書かなくなっていました。「中二病」と後ろ指をさされるのが嫌だったのです。今にしてみればくだらない自意識だなと思いますが、あの頃は世間体の方がよっぽど重要でした。その後は部活動や受験に追われるうち、小説家になりたいという夢を持っていたことも忘れていました。その日を境に、長い間埃をかぶっていた創作意欲が、蘇りました。
執筆を再開したとはいえ、何年も小説を書くことから遠ざかっていたので、最初は一時間経ってもほんの数行しか書けませんでした。全然ダメじゃんと頭を抱えていたとき、大好きな大相撲を題材にしてみようと思いつきました。そうして生まれたのが『
愛してやまない大相撲の世界を想像することはもちろん、小説を生みだすことがただひたすらに楽しく、書いている間は、時間も日頃抱えていた鬱屈とした感情も、何もかも忘れて没頭していました。
結局は自分の力量不足で、書き上げるまでに三年半以上の歳月を要しました。しかし諦めずに小説と向き合い続けた結果、昔よりもずっと、小説を書くことが好きになったのは間違いありません。
さて、冒頭で「怯えながら選考結果の連絡を待っていた」と書きましたが、その間も実は、新しい小説を書き進めていました。もし受賞できなくても、また一から小説を書けばいい。結果を出せなくても、何度だって書き続けよう。そう自分に言い聞かせ、どうしようもなくそわそわした心を落ち着かせていました。結果的に賞を
鈴村ふみ
すずむら・ふみ●1995年鳥取県生まれ