シェイクスピア作品の凄みは、人類が永遠に解釈しつづけられるという、懐の無限の広さにある。リメイクやアダプテーション(脚色)は通常その解釈の提示になるが、このアトウッドによる『テンペスト』の書き換えは、それらとは一線を画す。「好きな作家はシェイクスピア」というアトウッドならではの深い理解と愛情、そしてその才能によって、ここに類たぐい希まれな傑作小説の現代版『テンペスト』が誕生したことを、評者は自信を持って宣言する。
演劇フェスティバルの芸術監督だったフェリックスは、部下の奸計により職を奪われ、失意のどん底に陥る。生ける屍として暮らすこと十二年、素性を隠して刑務所の囚人矯正プログラムで演劇を教えていた彼に、ついに復讐の機会が訪れる。原作はこの主筋のなかに驚異的に忠実かつフィットしたかたちで現代に移し替えられている。解釈の部分は登場人物の談義のなかに入れ子にして区別し(それ自体とても深くてタメになる)、劇中劇構造や、夢と演劇と人生の融合といった原作のもつエッセンスを反響板のように増幅させる。もちろん優れたリメイクの常として、本書も原作の知識いらずでべらぼうに面白い。全員キャラ濃すぎな登場人物同士の掛け合いの楽しさといったらない。シェイクスピアの言葉遊びや罵倒語と現代口語とがハイブリッドに入り乱れ、人種も年齢も階級もごちゃ混ぜの囚人たちがまくしたてる超絶ラップに目を奪われる。
だが、芝居の幕はいつか下りる。読み終えて、いつまでもこの本の中に留まっていたいという激しい渇望に胸を鷲摑みにされた。だが、囚人たちが一刻も早く釈放されて自由になりたいと願うように、別れたくないというこちらの未練も彼らの足枷にすぎない。結末の書き換えには大きな驚きと感動があったが、シェイクスピアの遺作であり、魔術師プロスペローに作者自身の姿が重ねられることも多い『テンペスト』へのこのはなむけは、八十代に差し掛かろうとするアトウッド自身が至った境地でもあるだろう。プロスペローと魔女シコラクスをひとり二役でこなしているようなアトウッドがどんな文学的落とし子を生んだのか、是非身をもってその魔術に囚われ、そのスピリットに酔いしれてもらいたい。