[今月のエッセイ]
一人の人間に敬意を持ち、
作品に対峙すること
『百田尚樹をぜんぶ読む』という本を刊行した。
『永遠の0』や『海賊とよばれた男』などで知られる、平成で一番売れた文庫本の書き手である大ベストセラー作家を、全部読んだ。
杉田俊介と、藤田直哉という二人の批評家が、作品に対峙し、褒めるところは褒め、感動するところには感動し、怒るところには怒り、貶すところは貶し、そして総合的にこの怪物的な作家を明らかにしようとした。
なぜ、百田尚樹を論じるのか? 企画の始まりを思い出そうとすると、もう既にモヤがかかっているが……杉田さんも藤田も、現在の日本の状況を非常に憂慮していた。特に私藤田は、東日本大震災後に政治運動にのめり込み、ツイッターなどで怒ったり叩いたり攻撃したりを繰り返していた。震災後、ネットを中心に、日本の言論状況はそういう状況になっていた。
そのうちに、杉田さんがツイッターから消えた。思想がいくら「正しい」ものであったとしても、ひたすら攻撃と政治的な対立ばかりが繰り返される状況に参ったのだ。そのうちに、私藤田も、だんだんと嫌になってきた。思想的に共感し正しいと思っている側の
そんなときに、橋川
これを再読した杉田さんは、批評家が作品に接するにはこういう態度であるべきだろうと感じたようだ。つまり、単にイデオロギーで断罪するのではなく、その魅力に肉薄し、内在的なところから対象に迫るという方法論である。
現代日本の、政治と芸術、あるいは政治と美、政治とエンターテインメントが複合していく時代の、感性的・心理的な側面を分析するには、このような方法論が必要なのではないか、と話が盛り上がった。
そののちに、紆余曲折があり、平成で一番売れた文庫本の著者である大ベストセラー作家・百田尚樹の作品を本気で読むべきだ、と杉田さんが持ちかけてこられた。差別主義的で、歴史修正主義的な保守思想家だと言われ、リベラル・左翼からは批難されるその作品は、読んでみると胸を打つ部分があるのだと言う。こういうのを馬鹿にせず、ちゃんと理解し、味わわないと、現代日本に生きる大勢の心は分からないのではないか。杉田さんはそう仰っていたと思う。
闇雲に批判し糾弾するだけでは「分断」は激しくなる、であるならば、相手を一人の人間・作家として敬意を持ち、その作品に真剣に対峙する、そして、良いも悪いも正直に言う、そのことで「分断」や「友敵」の二項対立の構造を超えることができるのではないか。そんなことを、企画を始めるときに考えていたと思う。そして半信半疑で、百田尚樹の作品を、読んでいった。
確かに、面白いものは面白いのである。本人の人柄や発言を知らず、小説だけを読んでいたら、普通に楽しんで、いい小説だと感じたであろうものもたくさんあった。しかし一方で、エッセイや対談などでは、非常に差別的で
この「分裂」は、一体どういうことか。ベストセラー小説家と、保守思想家と、メディアイベンターのような三つの顔を、どう統合していいのか分からなくなった。そこから、俄然、百田尚樹という人物に興味が湧いてきた。
百田は、月に一度、安倍首相と電話で話す「友人」だという。二〇二〇年のコロナウイルスの騒動の渦中、二月二十八日という忙しい時に、わざわざ安倍首相は百田尚樹と会食をしている。安倍は、年末年始に読む本として『日本国紀』を写真付きでツイートしたこともある。百田には、なんらかの政治権力との密接なつながりが確かにある(個人的な推測で言えば、国民の支持を得なければいけない与党は、支持率を獲得するために、大衆の心を摑むに機敏なアンテナを持つ人物の知見を参考にするのではないか)。
だから、百田尚樹を読むことは、現代日本のこの奇妙な政治的な状態や、社会的な雰囲気を理解することにもつながっていくはずだ、と思えた。その分析の結果は、ぜひ実物を読んでほしい。
この本は、大袈裟に言えば、そんな「現在」を読みとろうとする大きな構えで作られた。異論や反論もきっとあると思う。それも含めて、多くの人が「この時代」を巡る議論に参加してくれたら嬉しく思う。
藤田直哉
ふじた・なおや●文芸評論家。
1983年北海道生まれ。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『シン・ゴジラ論』『新世紀ゾンビ論』『娯楽としての炎上』等。朝日新聞で「ネット方面見聞録」連載中。日本映画大学准教授。