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インタビュー/本文を読む

唯川 恵 『みちづれの猫』

[インタビュー]

いつもかたわらに猫がいた
─猫と女性の七つの物語

愛猫の死期が近づき、離れていた家族が再び集まることになる「ミャアの通り道」。
離婚以来、荒れ放題の生活を送っていた女性の家のベランダに現れた茶トラが、生活を思わぬ方向へ変えてゆく「運河沿いの使わしめ」。
唯川恵さんの新刊は、人生のさまざまな場面で、猫に寄り添われ、救われてきた女性たちを描く七編の短編集です。刊行にあたりお話を伺いました。新刊とともに、六十歳のときに訪れたという転機、趣味の登山についてもお聞きしています。

聞き手・構成=山本圭子/撮影=冨永智子

犬を亡くした私を救ってくれたのが猫だった

─ 『みちづれの猫』はさまざまな形で猫が女性主人公にかかわる短編集ですが、彼女たちの揺れ動く心理が抑えた筆致でリアルに描かれていて、読後に深い余韻を感じるものばかりでした。今回猫をモチーフにしたのは、どんなお気持ちからだったのでしょうか。

 私は十五年以上軽井沢で暮らしていますが、東京から引っ越したのは大型犬を飼うためでした。ところがその犬が九年前に亡くなってしまって。喪失感にさいなまれていましたが、その頃から、家に猫が来るようになったんです。犬がいなくなったとたんに。今は家の周りにやってくる十匹ほどの猫に餌や水を出していますが、すべて野生の猫。軽井沢には何代も人に飼われた経験のない猫がたくさんいるんです。野生だから家に入らないし、人に馴れない。触らせてもくれないけれど、つねに身近にいる存在になりました。それで「私にも猫のことが書けるかな」と考え始めたんです。

─ 唯川さんにとって、生活に生き物の気配があるとないとでは大きく違いますか。

 軽井沢の自宅そのものも好きですが、人を家にとどまらせるという意味では生き物の力ってすごいなと思います。生き物がいなかったら、何日家を空けようが何とも思わないけれど、生き物がいたら、一日家を空けただけでもあの子たちは大丈夫だろうかと考える。犬が亡くなって、もう好きな時間まで外出していていいんだと思ったこともありましたが、今は「猫が待っているからもう帰らなきゃ」。犬を亡くした私を救ってくれたのが猫だったんですね。

─ 以前「道連れの犬」という短編もお書きになっていますね。

 犬を連れて散歩しているとちょっと怖い場所に入っても大丈夫な気がするように、ある男を道連れにすることでちょっと怖い人生を選んでしまう女たちの話です。今回書いてみて思ったのは、猫だとまた変わってくるなということ。勝手なイメージですが、犬ってメスでも男っぽい感じ。対して猫はオスでも女友達みたいだから、女性にとっては共感するような関係性とか、深い関係性を築きやすいのかもしれません。

─ 猫が人生の危機を救ってくれたり、昔の縁を結び直してくれたり、気持ちに余裕を与えてくれたり。読みながら猫の不思議な力を信じたくなりました。

 かつて私は、誰にも言えないことを犬に話していたんです。今のところ猫とはそこまで親しくないけれど、彼らには口を割らないというよさがある。人に話して思うような反応が返ってこないと腹が立つから、むしろ動物相手のほうがいいのかも(笑)。植物に話しかけてもいいのかもしれませんが、やっぱり動物には、よりそうしたくなる存在感がありますよね。私の猫との付き合いは犬に比べればクールだし、猫から愛されようなんて思わない、ずっと片思いでいい、という考え方です。ただ私が猫たちの動向を気にしているように、向こうも私のことをちょっと気にしてくれているみたい。たまに寝坊すると、カーテンを開けたとたん窓の向こうに「遅いんだよ!」と言いたげな猫たちの顔が並んでいる。起きてくるのを待っていたんだと思うと、生活が変わってきますよね。

女性は猫に気持ちを探られるのが好き

─ ひとつひとつの作品について伺っていきたいのですが、最初にお書きになったのが「ミャアの通り道」だそうですね。

 猫が出てくる話を書こうと考えたとき、猫のために部屋のドアやふすまを少しだけ開けておくという習慣を思い出したんです。聞いた話なのですが、「いいな」と感じて、それを活かして家族のつながりを書きたいと思いました。

─ 主人公たちきょうだいが幼い頃「飼いたい」とせがんだ猫の死期が近づき、家族が久しぶりに集まります。猫の寿命は十五年くらいだそうですが、それと人の人生が重なって見えてきました。

 猫はあっという間に大人になるから、最初は飼い主にとって友だちだったのがメスならお姉さん、お母さん、おばあちゃんへと変わっていく。「私がいないとあなたはダメ」という関係から「あなたがいないと私はダメ」という関係に変わったり。そういう経験ができるのが、動物と生きる醍醐味ではないでしょうか。

─ 「運河沿いの使わしめ」は離婚後、半ば自暴自棄になった女性が猫を飼い始めて少しずつ変わっていくという、ちょっと不思議な話です。

 猫ってふいに現れてふいにいなくなる感じがしますが、その印象と「神の使い」というイメージが重なったんです。それに、ひとり暮らしの女性が生き物を飼うとしたらやっぱり猫。家で待っていてくれるし、散歩に行かなくてすむし、触りながら体温を感じれば、この子は私の寂しい気持ちを読んでくれていると思いそうだから。多分女性は、猫に気持ちを探られていると感じるのが好きですよね。こっちを向いて、という欲求が強い犬と違って、猫は勝手に人の心のすきまに入り込んでしまう気がします。

─ 「陽だまりの中」は突然息子を亡くした主人公の家に、彼と親交があったという若い女性が現れる話ですが、命をつないでいくことについて考えさせられました。

 主人公の家の庭にやってくる野良猫たちのエピソードが出てきますが、これは実話です。うちのテラスに遊びにくる仲のいい猫のカップルに実際に起きたことなんですね。猫ってすごいなあと思って、そこから人の血のつながりについても考えていき、この短編ができました。

─ 「猫のお面をつけている間はしゃべっちゃいけない」という決まりがあるお祭りを通して、主人公が祖父母の人生と自分の将来を考える「祭りの夜に」は切ないお話でした。実際にああいうお祭りはあるのでしょうか?

 猫を祀るお祭りは全国にいろいろあるようですが、これは私が創作したお祭りです。お祭りという設定なら、たとえ不思議なルールでも読者に疑問を持たれない。そこが小説のいいところですね(笑)。認知症のおばあちゃんの思い出が大きな意味を持つ話ですが、認知症のことを重く書きたくないという気持ちがあったんです。むしろちょっとロマンチックに、切なくていとおしい感じにしたかった。おばあちゃんに少しでも幸せな時間を過ごしてもらいたい、というおじいちゃんの気持ちを大切に考えて書いた話です。

─ 本書には人の死を感じさせる作品がいくつかあります。

 今回は書きながら、人の死の気配を入れておきたいとたびたび思いましたね。自分が年齢を重ねたからでしょうか。以前は上の年代の人を書くことに躊躇があって、私が八十歳の方を書くのは失礼かしらなどと思っていましたが、自分も六十歳を超えて、最近はあまりためらわなくなった。この年齢のメリットですね。

恋愛が絡むと人の心は理不尽になる

─ 「最期の伝言」は両親の離婚以来、父親と会っていなかった女性が、彼の再婚相手に頼まれて父親の入院先を訪ねる話です。物語の終盤、予想外の事実が待っていたことに驚きました。

 私もあの展開は予想していなかった(笑)。

─ 人には噓をつかなければならないときがある。秘密を守らなければならないときがある。そんな思いが押し寄せてきて、人生の苦みを感じる作品でした。

 一番罪深いのはやっぱり父親だと思います。でもああいう男っているし、恋愛が絡むと人の心は理不尽になってしまうもの。ただ、なんだかんだ言っても、主人公はお父さんのことが好きなんですよね。

─ 軽井沢でフラワーショップを営む女性の前に昔の男が現れる「残秋に満ちゆく」は恋のその後の物語ですが、美しい風景もとても印象的でした。

 軽井沢には長く住んでいるので、その魅力も書きたいなと思っていました。この短編に限らず、地方や田舎を舞台にした話がこの作品集に多いのは、金沢出身の私にとって猫はそのへんにいるもので、都会で飼う感覚を持たないから。猫は三、四日帰ってこないのが当たり前だと思っているし、自然の風景と猫を一緒に書きたいという気持ちもあったので、東京以外の場所が多くなりましたね。

─ 昔の男と食事をすることになった主人公は、身支度をしながら彼と付き合っていた頃とはメイクのしかたや髪型、服の選び方が変わったことを痛感します。あの女心はとてもリアルですね。

 女性誌での連載をたくさん経験したので、そういうところは鍛えられました。普段と変わらない日だったら、主人公はそんなことを考えない。昔の男が現れたことで、過去の自分が現れてきたんです。ある程度の年齢の女性が過去の自分の目線で鏡を見たら「なぜ、こんなことになっちゃった!?」と思いますよね(笑)。

─ 昔の男との再会を機に主人公は過去を見つめ直しますが、彼女のこれからを勇気づけるであろうと思われるのが、ある事情により飼うことになった猫。その猫の登場のしかたが、さりげなくてとても素敵でした。

 私が書きたかったのは、分別のある大人同士の交流。だからラストシーンも、あくまでさらっとを心がけました。

─ そして最後の一編が「約束の橋」。常に猫をかけがえのない存在と感じながら生きた女性の一生が描かれています。

 短編で女性の一生を書きたいと思ったんです。あらすじになるのではという心配もありましたが、人生を語ると、やっぱりあらすじになるんですね。細かく考えればきりがないので。書きながら自分を振り返るような感じもありました。彼女の「与えられた人生を生きればいい。ただひたむきに生きればいい」という思いは、私自身の考え方。結果がどうあれ、ひたむきにやれば、ある程度満足できると思うんです。そういう意味では私も、自分の過去をすべて肯定しているわけではないけれど、まあこれでよかったんじゃないかなと思っています。最近の座右の銘は「自業自得」。いい意味でも悪い意味でも、今までやってきたことがこれからに反映していくだろうし、だからこそ受け入れていかなきゃと思っています。

六十歳で訪れた転機「この小説で最後かもしれない」

─ 猫にまつわる作品を一冊にまとめてみて、改めて感じたことはありましたか。

 今までの短編集には、後味の悪い話をふたつくらい入れていたんです。そうじゃないと物足りないような気がして。でも今回は最初からすべてをいい話にしたいと思っていました。悲しい、悔しいという気持ちで話を終わらせるのがしんどい年齢になったのかもしれません(笑)。ただ結果的にいろんな人間関係を出せたし、いろんな年代の女性を書けたなと感じています。多分それは、猫が年代を問わず受け入れられる存在だからでしょうね。

─ 三十年以上書き続けていらっしゃいますが、これからはどんな小説を書いていきたいとお考えですか。

 六十歳になったときに、仕事のしかたを変えようと思ったんです。私より年齢が上でも、書きたいものがたくさんあって死ぬヒマがないとおっしゃる同業者もいますが、私はそうではない。がむしゃらにやる時期は終わったな、そろそろ生き方や生活を変えたいな、と自然に考えるようになったんです。「この小説で最後かもしれないと思って書こう」という気持ちも出てきましたね。

─ 最近のエッセイを拝読して感じたのですが、登山を始められたことも心境の変化に影響していますか?

 最初に犬が九年前に亡くなったとお話ししましたが、登山はその少し前から始めていました。山に登るようになって、精神的にも肉体的にもずいぶん変わりましたね。まったくの初心者から始めましたが、できなかったことができるようになるのがすごくうれしい。若い頃だったらこれくらいできて当たり前と感じたかもしれないことに、「ここまでできた!」と感動できるんです。年をとってから登山を始めたよさはほかにもあって、私の力ではこれ以上進むのは厳しいと感じたとき、同行者に迷惑をかけるし、命にかかわる可能性もある、ここまで登れてよかったんだ、と思って退けること、無理をしないこと。私にとって登山はたとえ登頂できなくても、たとえ小さな前進でも達成感を得られるものですが、小説もそうなってきたかもしれません。自分なりの達成感があればいいのかなと、思うようになりましたね。

唯川 恵

ゆいかわ・けい●作家。
1955年金沢市生まれ。銀行勤務を経て84年「海色の午後」で第3回コバルト・ノベル大賞受賞。著書に『肩ごしの恋人』(直木賞)『愛に似たもの』(柴田錬三郎賞)『手のひらの砂漠』『逢魔』『バッグをザックに持ち替えて』『淳子のてっぺん』等多数。

『みちづれの猫』

唯川 恵 著

11月5日発売・単行本

本体1,500円+税

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