[特集]
誰か一人にとって
大切な作品になってくれたら
霧に覆われた灰色の町、チェリータウン。この町に暮らす十三歳のソフィアの日常は父親に支配され、酷使され、暴力を受けても耐え忍んで生きている。その夏、向かいの家にやってきたのはナタリーという風変わりな人物。ナタリーは記憶が一週間しか続かず、毎週がらりと人柄が変わるという。そんなナタリーと親交を深めるうち、ソフィアの心の中に大きな変化が生まれていく。第37回小説すばる新人賞を受賞した須藤アンナさんの『グッナイ・ナタリー・クローバー』は、寓話的世界観の中で、現代社会に通じる切実な痛み、かけがえのない友情と成長を描き出す一作。選考委員の村山由佳さんが感じた作品と作家の美点、そして須藤さんの執筆の背景にあったものとは。
構成=瀧井朝世/撮影=冨永智子
これは普遍的な
フェアリーテール
村山 『グッナイ・ナタリー・クローバー』を読ませていただいた時、舞台となる架空の町、チェリータウンにすーっと入っていけたんです。遠くの山に至るまで町の風景が頭の中に広がりました。それってすごいことです。私たちが今生きているこの時代の日本から遠いところを書く時、説明しすぎる人、あるいは描写が足りない人もいる。でもこの小説は、少女たちが地図を作るために町を歩き回ることで、読者が自然とチェリータウンを知るように書かれていましたね。
須藤 ありがとうございます。この物語を思いついたのは高校に入ったばかりの頃でした。うまくいかないことばかりで孤立していた時期に、いろんな物語を見たり読んだりするうちに、自分が書くならどんな感じにするだろうと想像したんです。なのである種、自分が自分を助けるために書きました。
海外を舞台にすることは、アメリカの「フルハウス」というドラマが好きで繰り返し見ていたので、自分の中で自然だったというか。それに国内を舞台にするにしても、東京都港区みたいに限定すると逆に読む人にとって身近な感じが薄れる気がしたんです。どこでもない町、でももしかしたら隣町かもしれないくらいの温度感にするため架空の町にしました。
村山 高校一年生の時に、もう今の形があったのですか。
須藤 辛い思いをしている主人公が、向かいの家に越してきた特殊な事情を抱えた子と交流するうちに変わっていく、というプロットはありました。冒頭部分は高校生の時に書きましたが、まだうまく書きあげられないと思い、ずっと自分の中で寝かせていました。
大学三年の時に一か月、デンマークに留学したんです。そこで海外の空気を吸って、今ならいけるかもしれないと思って三年の終わりに書き、児童文学の賞に応募しましたが、一次にも引っかからず。でももったいないなという思いがあって書き直したら、ちょうど小説すばる新人賞の募集があったので駆け込みで応募しました。応募した後に、今までの候補作を見たら自分が書いたものと近い作品がないので、応募先を間違えたかもしれないと思いました。就職した後に、受賞の連絡をいただいたんですけれど。
村山 応募先、間違っていないです。選考委員はみんな今までにないものを読みたいので、小説すばる新人賞とはこういう賞、という色がつくことは望んでいないんですよ。
選考会ではやはり、なぜ日本の話ではないのかという指摘もありました。それで私は、「これは一種のフェアリーテールだと思う」と言ったんですね。その時に例に出したのが「フォレスト・ガンプ一期一会」でした。
須藤 大好きな映画です。
村山 あの映画は冒頭をはじめ、随所で白い羽根がひゅーっと舞うじゃないですか。「これはフェアリーテールですよ」という象徴なんですよね。フェアリーテールだけれども、普遍的なことを描いている。『ナタリー』もフェアリーテールであり、主人公がアメリカ人であれ宇宙人であれ、書きたいことが一番気持ちよく書ける設定が選ばれているという印象でした。
チェリータウンに、「壊れていないなら直すな」というモットーがあるのも象徴的ですよね。主人公のソフィアがどんなに傷ついていても、完全に壊れているわけではないから直してもらえない、ということと二重写しになって効果的でした。あと、選考会ではみなさん、ソフィアが空想するお話や、書く詩がいいと褒めていました。
須藤 私はいつも授業を聞かずに空想ばかりしていた人間ではあるんです。でもソフィアの空想を書く時は我が出ないように気をつけました。その場面からソフィアにはどういう景色が見えるか、視点と意識を飛ばして、できるだけ自分から離れていくようにしました。
村山 すごく俯瞰する目を持っている。
須藤 以前、村山さんがエッセイで、自分の上に「3カメ」がある、と書かれていて、すごく分かると思ったんです。私も喋ったりしている時に、その私をすごく冷静に見ている自分がいます。
自分の小説を
俯瞰できる能力
村山 書籍化にあたって、応募時からかなり改稿されましたよね。たとえば、選考会では「主人公にとって耐えられない状況の描写がもうちょっと入ったら、説得力が増すんじゃないか」という意見が出たんですよ。そうした声を踏まえたのかは分からないですけれど、ソフィアが父親の経営するバーの仕事を手伝わされている時に、客たちから笑いものにされる場面が加わっていますよね。
須藤 あそこは書き足しました。
村山 本当は父親の暴力によって負った傷なのに、まるで彼女がドジっ子だからできた傷かのように扱われ、笑われて、でも彼女は何も言い返せない。あの場面が入ったことによって、主人公にとっての耐えられなさが何倍にも増していますよね。助言を自分の中に落とし込んで、それをどうアウトプットすれば求められていることを実現できるのか、ちゃんと分かっている。それはもしかしたら、応募作が優れていた以上にすごいことじゃないかなと思いました。
須藤 選考委員の方々から指摘を受けて書き直してみた時、なんで最初からこれを書かなかったんだろうと思いました。的確なアドバイスがありがたかったです。
村山 私は今度『PRIZE プライズ』(文藝春秋)という小説を出すんですが(※対談時は刊行前)、あれに、受賞作は一文字たりとも直しません、タイトルも変えません、みたいなことを言う新人作家が出てくるんですよ(笑)。
須藤 このあいだ新刊情報を見て、題材からいってこれは読まなきゃって思っていました。
村山 そういう人って、なんて損しているんだろうと思う。それもあって、『ナタリー』の改稿を読んで、なんて柔軟に、効果的に直してあるんだろうと思いました。それはつまり、自分の小説を俯瞰できる能力なんですよね。そういえば、授賞式のスピーチも立派でした。
須藤 あれはちょっと格好つけすぎたので、恥ずかしくて……。
村山 滑舌もよかったしね。
須藤 会社の休み時間にカラオケボックスで練習していました(笑)。
―― どんなスピーチだったのですか。
須藤 『ゲド戦記』を書かれたアーシュラ・K・ル゠グウィンの「孤独」という短篇に、孤独とはそれ自体で満ちたりている自我のことだ、というような一節があって。初めて読んだ時にとても心に残ってメモしていたんです。それを引用しました。よく「書いている時は孤独な戦い」と聞くけれど、でも楽しいからやっているので、孤立とは違って孤独はいいものだ、というような話をしました。
―― 須藤さんは、いつから創作を始められたのですか。
須藤 幼稚園の時に文字が書きたくて折り紙の裏に書いて、「折り紙は折れ」と周囲から怒られていました(笑)。中学一年生の時に読書感想文のコンクールで佳作をいただいたんですけれど、その時は感想文の書き方に従って書いたんです。大賞の作品を読んだらフォーマットと全然違う書き方で、めちゃくちゃ面白くて。こうやって自由に書けばいいのか、と思って童話を書くようになり、中三の時に何かの童話賞で奨励賞をいただきました。どうにかお金を稼ごうという
村山 これまではどんなものを書かれていたのですか。
須藤 ジュブナイルだったり、児童文学が多かったです。もっぱら中・高・大学生くらいが主人公の話です。一番多感な時期にいる人に読んでほしいし、誰か一人にとってすごく大切な作品になってくれたらいいな、という思いがあります。
村山 私も三十年前に受賞した時、すべての人を感動させられなくていい、たった一人でいいから、これは自分事だと思ってくれるような話を書きたい、と言っていたんですよ。私が『ナタリー』をすごく好きだと思ったのは、これを書いた人の中にきっと同じような思いがあると感じたからなのですが、今お話をうかがって、やっぱりそうだったんだなと。
須藤 それでいうと、私は村山さんの『放蕩記』がすごく好きです。一ページ目から、これは私の日記じゃないかなと思い、夜中の三時まで泣きながら読みました。と同時に、これを理解できない人もいるんだろうなと思ったんです。
村山 あれを単行本で出した時は、「村山さんは子供がいないから母親の気持ちが分からないんだ」といった感想が多かったんです。でもその後、毒親や毒母という概念が世の中に認知されて、文庫を出した時には「私も同じでした」という感想が多かったんですね。
そんなふうに、まだ認知されていないものを送り届けることも小説の役割かなと思います。『ナタリー』でも、たとえばソフィアのお兄さんのエディの「許さなくていい」といった言葉で救われる人は多いと思います。
就活で袖にされた
集英社にリベンジ
―― 須藤さんは今、お勤めされて一年目ですよね?
須藤 はい。去年の就活では出版社も受けたんです。それこそ集英社も受けたんですけれど、袖にされて……。
村山 今回、リベンジしましたね(笑)。
須藤 力試しで今の会社を受けたら、提出した企画を社長に気に入ってもらえた感じです。今回の受賞のことを伝えたら、「僕は千分の一の才能を見つけたんだね」ってホクホクしていました。
村山 それはよかった。いい社長さん。
須藤 すごく読書する人で、「今日は村山さんと対談です」と言ったら、「僕は『天使の卵』と『星々の舟』が特に好きです」って。
村山 絶対いい人だ。よろしくお伝えください(笑)。
―― プロの小説家になって、緊張や不安や期待など、どんな割合ですか。
須藤 私はプロになったんでしょうか……。みなさん「自分は小説家だ」ってどのタイミングで言うんでしょうか。
村山 今また、すごいなと思いました。私は恥ずかしい思い出があって。五作目の『青のフェルマータ』を出した頃に「プロとしては」と言ったら、当時の担当者に「まだ自分からプロとは言わないほうがいいですよ」と言われたんです。穴掘って隠れたいくらい恥ずかしかった。須藤さんはちゃんと自分を俯瞰できていて、偉いなあ。
須藤 私は今まで人にがっかりされることが多かったので、期待に応えられるんだろうかという不安があります。ちょうど編集さんに次の作品のアイデアを渡したところなんですが、何を言われるか戦々恐々としています。
村山 物事を悪いほうに考えるタイプ?
須藤 ノーガードで刺されるくらいなら初めから刺されるポーズをとっておこう、みたいな感じです。それに、これまで書いてきたものは日本の女子高校生が主人公だったりで、『ナタリー』はむしろ自分の中で異質寄りなんです。文体も今回は児童文学っぽいですが、普段はもうちょっと喋り言葉ばかりの、自分ではユーモアがあると思う文章を書いていて。そのふたつくらいしか文体の選択肢がないので、今後、文体をどう選んでいくかが課題だと思っています。
村山 私は、文体はその作品が望むものに沿っていくという感覚があります。今回も、チェリータウンという町の少女が主人公だからこの文体になったわけで、最初にこの文体で書いてやるぞ、と決めて書き始めたわけじゃないですよね?
須藤 はい。
村山 須藤さんはいろんな文体で書けると思う。というのも、『ナタリー』の終盤の一連のシーンなんて、一行一行、すごく大事に丁寧に、書き手の頭にあるものを読者にイメージさせる順番で描写していると分かるから。おそらく一人称でも三人称多視点でも、書こうと思ったらお書きになれると思います。文体のことは、ご自身の生理感覚に任せるのが一番いいですよ。
須藤 ありがとうございます。不安になっても仕方ないので、とにかくどんどん書き続けられたら、と思います。
村山 二作目も楽しみにしています。
須藤アンナ
すとう・あんな●2001年東京都生まれ。
『グッナイ・ナタリー・クローバー』で第37回小説すばる新人賞を受賞。
村山由佳
むらやま・ゆか●作家。
1964年東京都生まれ。立教大学文学部卒。会社勤務などを経て作家デビュー。93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ』で小説すばる新人賞を受賞。2003年『星々の舟』で直木賞、09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞、21年『風よあらしよ』で吉川英治文学賞を受賞。エッセイ『命とられるわけじゃない』『記憶の歳時記』、小説『二人キリ』『PRIZE―プライズ―』など著書多数。