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巻頭インタビュー/本文を読む

村田沙耶香『世界99』(上・下)
小説の中にある刃物を自分に向けていたい

[巻頭インタビュー]

小説の中にある刃物を自分に向けていたい

その場その場で人格を使い分けて生きる如月きさらぎ空子そらこ 。村田沙耶香さんの新作『世界99』(上・下)は、そんな空子の人生を追いながら、社会や人々の価値観、生き方の変化も描き込む長篇だ。想像を絶する展開が待つ本作の背景にあったものは?

聞き手・構成=瀧井朝世/撮影=露木聡子

性格を持たない空っぽな主人公

―― 『世界99』は村田さんにとって最長の小説ですね。一人の女性の人生が描かれますが、村田さんならではのSF的な設定と展開もあります。雑誌「すばる」に長期連載(二〇二〇年十一月号~二〇二四年六月号)されたものですね。

 これまで小説を発表する時は雑誌一挙掲載か書き下ろしだったので、今回が初めての雑誌連載だったんです。粗く書いたものが七割くらいできた段階で連載を始め、毎回リライトしていたら結局全部書き直すことになってしまって……。毎月、その時々に考えていたことが小説に流れ込んで膨れていきました。最初は一年くらいで連載を終えて一冊の本にする予定だったのですが、一生これを書くのかというくらい本当に終わらなくて(笑)、三年以上連載し、結局単行本も上下巻になりました。

―― 最初に七割書いたつもりだったのは、結果的に全四章のどれくらいのところまで?

 一章の途中くらいまでです(笑)。連載というものがこんなにコントロールできないものだとは思わなかったです。

―― 最初から、一人の女性の人生の話を書くことは決めていたわけですか。

 はい。以前出した短篇集『生命式』に収録した「孵化」で、バイト先や大学で別々のキャラクターを演じていた子が結婚式でみんなを招くことになり、どのキャラで式に出るか、という話を書いたんです。それと同じような、いろんな側面を持っている女の子の話を長篇で書きたいと思ったのが始まりです。『コンビニ人間』の主人公も、ちょっとだけ人の喋り方を真似たりするんですよね。その描写は数行しかないけれど、そこの部分の感想をくださる方が割といたこともあり、あの主人公のその側面を切り取って、結晶にして埋め込んで、「孵化」で書いたキャラクターのイメージがさらに膨らんでいきました。

―― 物語は、主人公の空子が10歳の頃から始まります。ニュータウンに暮らす彼女は定まった性格も喜怒哀楽も持たず、小さな頃からその場に応じて周囲が望みそうなキャラクターを演じている。〈プリンセスちゃん〉になったり〈おっさん〉になったり、振り幅があります。彼女はそれを「呼応」「トレース」「世界に媚びる」などと表現しますが、自分がより安全に生きるための手段でもありますよね。

 自分も昔から、場所やコミュニティによってなんとなく自分のキャラクターが違うなとは感じていました。たとえば初めてコンビニエンスストアで働き始めた時に、少し男の子ぶることで、男の子たちの中にいさせてもらえた経験がありました。私はえげつない下ネタには参加しなかったけれど、急にバックルームに入った時に「村田さんならいいや」みたいな感じがあって。そうした、自分の現場現場に媚びた振る舞いを思い出しながら書きました。

―― 空子と違い、友達の白藤しらふじさんは強い意志で正論を貫き通すタイプですね。

 白藤さんのイメージは最初から決まっていて、空子があまりにも空っぽなので、もっと感情移入できる人として考えていました。最初の頃は、これは空子と白藤さん二人の話になるのかなと思っていました。でも、二人がどうなっていくのかはまったく決めていませんでした。

―― 空子たちが暮らしているのがクリーン・タウン。父親は「過去がなくて公平な街」と表現します。その父親は海外赴任中で、空子は母親とペットのピョコルンという動物と暮らしている。村田さんの『しろいろの街の、その骨の体温の』の舞台となったニュータウンと重なりました。ご自身もニュータウンで育ったんですよね?

 はい。自分が幼少期にいた街が原体験として残っているんでしょうね。同じ形の家が並んでいて、工場っぽいような、動物が巣を作っているような印象がありました。
 みんな同じような形の建て売りを買うので、それぞれの家庭の経済状態も似ていたし、学校でも生徒はだいたいルーツは日本でした。ただ、どの家庭も過去が見えないというか。ニュータウンに越してくる前はどんな街でどんなふうに暮らしていたか、どんな先祖がいるのかといったことは互いに知らなかったんです。
 大人になってその頃の友達と会ったら、すごく差別をする人になっていて。どこかから植え付けられた、受け売りのおそろしいヘイトを口にするようになっていました。まっさらな場所で育ったはずの友達に刷り込まれているものを見て、ぞっとしたことが印象に残っています。

―― クリーン・タウンでも差別が生まれていきます。差別の対象となるのが、ラロロリン人です。人種や国籍に関係なくラロロリンDNAを持つ人のことで、空子が中学生の頃から彼らへの差別感情が高まっていく。

 まっさらなところから生まれる、人間の行動や感情の動きを見てみたかったんです。顕微鏡で覗いてみたいというか、水槽に入れて眺めてみたい、という感覚でした。

―― また、家では空子の母親に対する態度がひどいですよね。父親の態度をトレースしているのか、使用人のように扱っている。

 以前、子供がたくさんいる家のお母さんが、ご飯を作っても食べてもらえなかったり、子供に悪口を言われる様子が切り取られた映像になって流れて炎上しているのを見ました。SNSの散らかった言葉ですけれど、誰かが「母親が虐待されている」と言っていて。虐待の矢印って親から子供に向かうものだと思っていたので、その言葉に驚きました。
 私はもう実家を出ていますが、いまだに母の人生を利用している気がするんです。私の母は今も父と暮らしながら家事をしていて、自分はそこからのがれて母を見捨てている気がします。無意識のうちに、そういう自分を裁く手つきみたいなものが小説に出てくるんです。それと、自分に小説の書き方を教えてくださった宮原昭夫先生の「私小説を書く時は、刃物の刃先を必ず自分に向けるようにしている」という言葉が印象に残っていて。この小説は私小説ではないけれど、小説の中に刃物があるとして、自分もその刃を自分に向けていたいという無意識の願いがあるんでしょうね。母に対する罪悪感をナイフできれいに切り裂いて、その断面図を見なくてはいけない、という強迫観念みたいなものもある気がします。

―― 学校では女子生徒が、男子生徒や男性教師から性的な差別や偏見をまき散らされますが、空子はその場その場の空気に媚びていく。

 私は、自分を麻痺させることで生き延びてきた気がします。幼少期、自分を故障させずには生きてこられなかった。今回も一章を書きながら記憶が蘇り、なんならもっとひどかったなと思いながら書いていました。
 高校生の時ですら、痴漢にあっても「絶対勘違いだよ」「自慢?」みたいなことを言われたことがありました。幼少期はそういうことがもっとありました。空子たちと同じように、私も以前は「被害者」という言葉を使うには、誰がどう見ても明らかに「被害」という感じでないと、「自意識過剰だよ」と言われて逆に傷つけられるという恐怖がありました。でもそういう空子も、ラロロリン人が被害にあった時に被害者をジャッジする目で見るんですよね。その場面は、なぜかどうしても書きたくて。あの頃の、「私はきっと被害者検定に合格できない」と思って声を出さなかったことが、自分から自分への加害としてすごく残っています。なので主人公の加害は小説の中に存在させたいと思っていました。主人公は一貫して空っぽでありつつ、加害者でもあり被害者でもあるんです。

―― 大人になった空子は、地元の友人と繫がる「世界①」、豊かなライフスタイルを志向する人たちと集まる「世界②」、白藤さんたち〝正しく〞生きようとする人たちと繫がる「世界③」と三種類の世界で生き、さらに新たな世界も作っていく。空子だけでなく、白藤さんの状況も変化していきますね。

 私は白藤さんのようになりたくてなれなかったんですね。子供の頃、正義感に突き動かされて書いた小説がいくつかあるんです。差別はよくないとか、麻薬はよくないとか。でも調べも浅くて、正義感の気持ちよさだけで書いたため、結果的にかえってすごく差別的な小説になっていました。小中学生の頃にそういうものを書いてしまって、白藤さんのように清らかに生きることに挫折したんです。
 ただ、小説の中で、白藤さんはどんどん危うくなっていきました。幼少期に正しさに成功してしまったがために、大人になってひびが入っていってしまいました。

―― 一方空子は、自分と同じようにキャラクターを使い分ける、おとちゃんという年下女性と親交を深めていきます。

 白藤さんは空子とあまりにも気が合わないなと思っていたら、空子よりうまく分裂している人が出てきました(笑)。主人公の持っている何かをさらに凝縮して内包している人を出して主人公とその人に会話させるのは好きだと思います。
 音ちゃんは噓をつかないので書いていて心地よかったです。第二章で音ちゃんが出てきた時に、この勢いで小説を終わらせられると思ったのですが、まったく終わらず……。

不思議な生き物、ピョコルンの驚愕の変貌

―― ペットのピョコルンも非常に重要な存在です。可愛らしいこの動物が、人間の性処理の対象となっていくことにぎょっとしました。

 母親のことを考えているうちにああなったように思います。家庭の中で、搾取されていたり、性的に見られたりする生き物を見てみたかったんです。

―― ピョコルンはパンダとイルカとウサギとアルパカの遺伝子が偶発的に組み合わさって出来上がった生き物だとされています。村田さんの中で明確なビジュアルはあるのですか。

 一応あります。絵も描いたんですけれど、美人なアルパカみたいな感じです(と、創作ノートを見せる)。

―― ああ、確かに美人のアルパカですね(笑)。やがてピョコルンに人工子宮を与えて人間の子供を出産することが可能になり、ここからがもう、輪をかけてまさかの展開で……。

 自分は小学生の時から田舎に帰ると「安産型の腰だ」などと言われ、親戚のために子供を産む家畜みたいな目線を大人たちから常に注がれていた記憶があります。ああした眼差しがなぜ生まれるのか、見ている側の世界を知りたかったんです。

―― 人々はどんどん思考停止の方向へいっている印象でした。怒りが「汚い感情」とみなされて、避けられ、隠されているところとか。

 海外に行く機会が増えたことで、日本ほど怒りを表明することに批判的な国ってあまりないかも、と感じるようになりました。前に「変容」という、怒りが消えた世界の短篇を書いたことがあって(『丸の内魔法少女ミラクリーナ』所収)。その時に「怒りが消えるなんておぞましい」という感想の人もいれば、「アンガーマネジメントができていて素晴らしいですね」という感想の人もいて、意見がぱっくり分かれました。それも日本特有かもしれませんね。昨年半年間滞在したスイスなどは、自分の怒りや違和感を表明することを大事にする文化のような気が個人的にしました。
 さきほど水槽のお話をしましたが、この小説は、その水槽が抗いようもなく日本製であるというか。まっさらなガラスを用意したつもりだけれど、ガラスも中に入っている液体も日本という文化から発生したもので、だからこういう展開になったのかなと思います。スイス製のガラスと水だったらまた違った話になったのかも、と今思いました。

―― 他にもはっとさせられる要素がたくさんありました。これまで書かれてきたもののエッセンスが詰まっていますね。

 私はデビューからずっと、ひとつのすごく長いものを書いている感覚があります。ひとつ書き終えると、そこでちらっとしか出てこなかったものを、次に書きたくなります。基本的に書き終えたその日か翌日に新しいものを書き始めるので、結局繫がっていくというか。今回も、書き終えたことで書きたいことがむしろ増えました。

―― この長さだから書けたと感じるものはありますか。

 長さもありますが、連載だったからこそできたシーンがいっぱいあります。これまではある程度出来上がってから見渡して全体をカチカチ動かしていたんですが、連載ではそれができなくて。できないことによって発生した会話や出来事がいっぱいありました。

―― また連載をしてみたいですか。

 そうですね。長さだけは調節したいので(笑)、もうちょっと、連載前にちゃんと仕上げておこうと思います。

村田沙耶香

むらた・さやか●作家。
1979年千葉県生まれ。玉川大学文学部芸術文化学科卒。2003年「授乳」で群像新人文学賞(小説部門・優秀作)受賞。2009年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島賞、2016年「コンビニ人間」で芥川賞受賞。著書に『ハコブネ』『タダイマトビラ』『殺人出産』『消滅世界』『生命式』『変半身』『丸の内魔法少女ミラクリーナ』『信仰』などがある。

『世界99 上』

村田 沙耶香 著

発売中・単行本

定価2,420円(税込)

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『世界99 下』

村田 沙耶香 著

発売中・単行本

定価2,420円(税込)

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