[今月のエッセイ]
憎まれっ子世にはばかる
前作『琉球建国記』を書いた際、このタイトルには作者である私自身、若干の違和感があった。みずからが付けたタイトルに違和感があるというのもおかしな話なのだが、前作の主人公である
では、真に建国記と呼べる作品の主人公たり得る者は誰なのか?
それが本作の主人公である
琉球史に多少なりとも触れたことのある方ならば、金丸という名前を聞けば、彼がどういう男なのかは語る必要はないだろう。それほど、この金丸という男は、琉球史にとってなくてはならない人物なのである。
しかし……。
そんな琉球建国の英雄を、私は前作では主人公のライバルという立ち位置で作中に登場させた。しかも、体格に恵まれ、武勇の才と人望をも手にした阿麻和利とは対照的に、体格と武の才に恵まれず、策謀によって王の側近になった敵役として描いたのである。
陽の阿麻和利と陰の金丸というコントラストによって、まばゆい陽光が紺碧の海に降り注ぐ琉球という国の歴史を描き出そうと思ったのだ。陰が濃ければ光が際立つ。金丸を陰湿にすればするほど、阿麻和利という男が光を放つ。金丸が策謀を巡らせれば巡らせるほど、阿麻和利とその仲間たちの熱が増し、戦いは激しくなってゆく。前作は、金丸という〝憎まれ役〟のおかげで、阿麻和利の凄絶な生き様を描くことができたと思っている。
さて……。
本作の主人公は、その〝憎まれ役〟の金丸なのである。
前作では、阿麻和利とその仲間たちが活躍した
前作に登場する金丸は、すでに王の腹心という王朝の高官であり、阿麻和利とも対等に接することのできる立場にあった。
だが、金丸という男は生まれた時から、王朝の高官という立場を保障された人物ではない。金丸は琉球本島ではなく、
首里へと移った金丸は、尚巴志が築いた第一尚氏に仕え、その才を見いだされて、彼の息子である尚
琉球史に明るい方々は、ここまでの文章を読まれて「なにをくどくどと遠回りなことを言っているのか」と、あきれていることだろう。
さて本題である。
この、伊是名島から命からがら琉球本島に逃れた男。王の腹心のままでは終わらない。
王になるのだ。
明治まで続き、いまなお血統が残る第二尚氏の初代の王になるのである。
まさにこの金丸こそが『琉球建国記』という名にふさわしい主人公なのである。
そんな琉球屈指の英雄を、私は先にも書いた通り、前作で〝憎まれ役〟として描いた。前作を読んでくださった方のなかには、金丸という男が嫌いになったという方もおられるかもしれない。
『琉球建国記 尚円伝』は『琉球建国記』の続編である。つまり、本作の主人公である金丸は、前作の金丸と地続きの存在である。
〝憎まれ役〟のまま主人公として、彼は王になる。ネタバレである。だが、歴史小説は常にオチがわかっている。
阿麻和利と出会う前の金丸はどうやって尚泰久の腹心になり得たのか? 阿麻和利が死した後、金丸はどう生きたのか? いかにして王になったのか? 前作で生き残った者たちの運命も、本作では明らかにしている。
憎まれ役が王になる。前作を読まれていない方も、そんな主人公に興味を持たれたならば、ぜひとも本作を手に取っていただきたい。
矢野 隆
やの・たかし●作家。
1976年福岡県生まれ。2008年「蛇衆綺談」で第21回小説すばる新人賞を受賞。09年、同作を『蛇衆』と改題して刊行。著書に『慶長風雲録』『斗棋』『山よ奔れ』『戦百景 長篠の戦い』(細谷正充賞)『至誠の残滓』『琉球建国記』(日本歴史時代作家協会賞作品賞)『覚悟せよ』『とんちき 蔦重青春譜』等多数。