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受賞記念エッセイ/本文を読む

第37回柴田錬三郎賞
佐藤 究「幽玄と雷鳴」
受賞作『幽玄F』(河出書房新社刊)

[受賞記念エッセイ]

幽玄と雷鳴
佐藤 究

『幽玄F』が第三十七回柴田錬三郎賞に選ばれ、自分がこのように「青春と読書」誌にエッセイを寄稿するとは思ってもみなかったですし、つまり受賞そのものが私にとって〈青天の霹靂へきれき〉でした。常套的な比喩かもしれませんが、ほかに言いようがありません。もちろん同賞は、候補に挙がっている作品が公開されず、受賞作のみが発表されるため、受賞すればどなたでもおどろかれるとは思いますが。
 受賞の連絡があった日、私は『幽玄F』の版元ではない、別のある出版社に、ある新作の校正ゲラを届けに行き(その日が締め切りでしたので)、編集者に加筆修正箇所の説明をしてから、しばらく話をしました。そこはあちこちで社員たちがノートパソコンに向かって作業したり、あるいは打ち合わせをしている共有スペースでした。そんな場所で、ふいに私は、去年に刊行した『幽玄F』の執筆がいかに大変だったかを思いだしました。世界が認める圧倒的な小説家だった〈三島由紀夫〉をモチーフにと依頼された小説を、自分自身が三島さんの享年である四十五歳のうちに書き終えて発表する、それは途方もなく困難な挑戦でしたし、おそらく失敗する可能性の高い仕事でした。
 テーブルに置いた新作のゲラを見ながら、私は前作の『幽玄F』の執筆がもたらしてくれた得がたい経験への感謝と、〈三島由紀夫〉という強大な重力圏を脱して、ようやく新たな作品に踏みだせた安堵とともに、「グッバイ、三島さん」と誰ともなく言葉を発したのを覚えています。
 私は徹夜明けでその社に出向いていましたので、あとは帰って寝るだけ、そんな解放感に浸っていました。そういう状況でしたから、帰宅直後に『幽玄F』の受賞を電話で知らされたとき、最初に頭をよぎったのは「夢ではないのか?」という疑念でした。人が「夢ではないのか?」という言葉を用いる場合、たいていそこには大きな喜びが秘められていたりしますが、その日の私は、ものの喩えではなく、本当に「夢ではないのか?」と思ったのです。くたびれはてて家に帰り、自分でも気づかぬうちに寝落ちして、そこで見ている夢じゃないのか、と。私が考えたのは「これが夢だとしたら、河出の担当編集者に伝えるわけにはいかないな」ということでした。
 睡眠不足の頭でも、どうにか受賞が現実だと認識できたあとは、遅まきながら、とにかく衝撃を受けました。三島さんの重力圏から脱したと思ったわずか数時間後、たった半日にも満たない自由の感覚ののち、ふたたびその領域に引きずり戻された心地になったのです。
『幽玄F』は三島さんの作品や生涯をモチーフにしつつ、第五世代戦闘機のパイロットを主人公に据えた小説ですが、刊行から約一年が経った時点での柴田錬三郎賞の受賞は、私には戦闘機が超音速飛行したさいに生じる衝撃波ショック・ウェイブのように感じられました。空を揺るがす轟音であるその現象は、本質的に〈青天の霹靂〉と同じものです。〈霹靂〉は〈へきれき〉と読む以外に、〈かみとき〉〈かむとけ〉といった読みかたがあり、いずれも雷鳴を指すそうですが、ようするに〈青天の霹靂〉とは、晴れた空に突然鳴り響く雷鳴を意味します。
『幽玄F』には、私が長年にわたり文学や芸術について教わってきた詩人、河村悟氏の遺稿となった詩集『裂果と雷鳴』の一節を、同書の刊行前にご本人の許可を得て、エピローグのエピグラフに引用しました。また『幽玄F』の主人公、易永やすながとおるの搭乗する戦闘機はF‑35BライトニングⅡといって、その〈ライトニング〉は言うまでもなく〈稲妻〉の意味です。〈青天の霹靂〉として轟いた受賞の知らせを受けた私は、この小説はつくづく雷鳴や稲妻に縁があるんだな、という思いを強く抱きました。
 二〇一八年、河出書房新社の阿部晴政氏と坂上陽子氏との会合の席で、三島さんが超音速戦闘機の搭乗体験を書いた「F104」(いまでは『太陽と鉄』のエピローグとして知られています)への偏愛を私が口にし、その結果、「三島由紀夫をモチーフに」という長編小説の執筆を依頼され、のちに私が陥った苦境は、『幽玄F』刊行後に受けた複数のインタビューで語りましたので、ここでは言及しませんが、過去の取材ではおそらく触れなかった事柄もいくつかあります。そのうちの一つを、ここに書きとめておきます。
 二〇二一年七月、拙著『テスカトリポカ』が直木賞候補になった折、私はNHKの「決戦!タイムリミット」という番組の取材を受けました。「芥川賞・直木賞の舞台裏」のサブタイトルがついた同番組は、作品が賞の候補になった作家、編集者、書店、印刷・製本会社などを、十四ヵ所、三十三台のカメラで追いかける大がかりな企画でした。
 選考会当日、作品が候補になった作家は、いわゆる〈待ち会〉と称して、編集者と同じ部屋で待機するのですが、番組の制作陣はできればそこにもカメラを入れたいという要望で、私はそれを了承し、NHKのカメラが回っている喫茶店の会議室で、選考結果を待ちながら編集者とあれこれ話していました。
 当然、文学賞の〈待ち会〉ですので、編集者は作品が受賞するか否かに意識をフォーカスして、表向き歓談しつつも相当に気を揉んでいたわけですが、私自身に関して言えば、つぎに「三島をモチーフに」した小説に取り組まなくてはならないため、そちらのプレッシャーのほうが大きかったのです。三島さんの存在を念頭に置き、エッセイや批評ではなく小説を書くというミッションは、私が一人の三島ファンであるがゆえに、とてつもなく危険な賭けに思えました。そんな心境で日々をすごしていたので、私は〈待ち会〉のテーブルの上で、『幽玄F』に登場させる予定の第五世代戦闘機F‑35を特集した航空雑誌をひらき、その機影をじっと見つめていました。いまでこそ思い出話として打ち明けられますが、あの場の張りつめた空気のなかでは、ひたすら次作について考えているなど口が裂けても言えませんでした。しかもテレビカメラが回っていますし。
 結果的に『テスカトリポカ』は、澤田瞳子さんの『星落ちて、なお』とともに第一六五回直木賞を受賞したのですが、連絡を受けた瞬間は、私にとって、注目される状況下で「三島さんをモチーフに」した小説を書かなければならなくなった瞬間でもあり、正直に言って喜ぶどころではありませんでした。
 三年前の夏に味わった、あの冷や汗が出てくるような追いつめられた感覚を、今回の受賞は思い起こさせてくれました。プロとして書きつづけるというのは危機の連続である─遠い雷鳴の轟きを聞きながら、あらためてそう実感するしだいです。


撮影=西田香織

佐藤 究

さとう・きわむ●作家。
1977年福岡県生まれ。2004年、佐藤憲胤のりかず名義で執筆した「サージウスの死神」が第47回群像新人文学賞優秀作となりデビュー。16年、佐藤究名義の『QJKJQ』で第62回江戸川乱歩賞を受賞。18年『Ank: a mirroring ape』で第20回大藪春彦賞と第39回吉川英治文学新人賞を、21年『テスカトリポカ』で第34回山本周五郎賞と第165回直木三十五賞をそれぞれダブル受賞。他の著書に『爆発物処理班の遭遇したスピン』がある。最新作は『トライロバレット』。

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