[本を読む]
沼る、とはこの作品のことを言う
新庄耕の同名小説を、
語義矛盾と知りつつ表現するならば本書は、読むオーディオブックだ。カギカッコのセリフを目にするたびに、ドラマの俳優たちの声が脳内でありありと再生される。法律屋の後藤を主人公にした「ランチビール」では、ピエール瀧のエセ関西弁が。なりすまし役のキャスティングを担当する手配師・麗子が主人公の「天賦の仮面」では、異様に強気でツンツンした小池栄子の声が。二人の短編にはハリソン山中から地面師にスカウトされる場面があるが、そこではハリソン山中を演じた豊川悦司の低音ボイスが聞こえてくる。
そのような現象が起こる理由は、小説家がキャラクターたちの言動をドラマ寄りにチューニングしているからだ。不動産情報に精通し、詐欺プランを提案する図面師の竹下が主人公の短編「ルイビトン」は、彼が放つこんな絶叫から始まる。〈「ルイビトンっ!」〉。これはもちろん、ドラマの第三話で竹下役の北村一輝が発したドラマオリジナルのセリフだ。そのセリフから、全く新しい物語が生み出された。小説家がドラマを愛しリスペクトしている
ドラマがきっかけで原作小説を読み、小説とドラマの違いを知ることで、もう一度ドラマを観たくなったという人が大挙出現している。『地面師たち アノニマス』を読めば必ず、またドラマが観たくなるし、原作小説を読み直したくなる。沼る、とはこの作品のことを言うのだ。
吉田大助
よしだ・だいすけ●ライター