[対談]
システムの中で生きる「個人」の苦しさや淋しさを書く
2019年2月、JA対馬の職員で、“日本一の営業マン”として知られた西山
第22回開高健ノンフィクション賞を受賞した窪田新之助さんの『対馬の海に沈む』は、西山の不可解な死を追いながら、JAの構造上の問題に切り込んでいきます。窪田さんの地を
刊行にあたり、作家の塩田武士さんとの対談をお届けします。元新聞記者で、実際に起きた事件を基にした小説を書かれている塩田さんは、この作品をどのように読まれたのでしょうか。
構成=砂田明子/撮影=徳山喜行
衝撃的なつかみに
やられました
塩田 ご受賞、おめでとうございます。まず一言言わせてください、お見事です。
窪田 ありがとうございます。
塩田 第一に、構成が素晴らしいです。車ごと海に、ゆっくりと沈んでいく男の顔を見ている人の証言から始まる……この衝撃的なつかみにやられてしまいました。よほどのことがないと、こんな亡くなり方はしないはずです。いったい彼――西山に何が起きたのか。この作品全体が、ミステリーのような構成になっていますよね。つかみが強烈で、伏線が巧みに張られ、「何かあるぞ」と思わせる不穏な筆致で引っ張っていく。その先に、想像を超える結末をきっちり用意している。いわば人間が一番のミステリーなんだということが明かされるわけで、これは僕の小説にも通ずるテーマです。普通はフィクションでしかできないようなことを、ノンフィクションでやってしまっている、と思いました。
窪田 うれしいです。
塩田 内容に関して言えば、これほど多くの人を告発する書って、あまりないと思うんです。大変勇気の要ることです。関係者一人ひとりの証言を引き出すために、どれだけ歩き回って取材し、裁判などの資料を読み込み、そして考えられたのだろうと想像すると、フィクションの人間ですが僕も取材をするだけに、しびれました。
同時に、取材で得た情報だけを書いたノンフィクションは読まれないですよね。情報を作品に昇華できているかが問われるわけですが、本作は、非常に高いレベルでの作品化に成功していると思います。
窪田 当初は、ラストの内容を、早い段階で明かすような構成にしていたんです。そのほうが書きやすかったので。それではダメだと担当編集者に言われ、苦労して書き直しました。実は今もまだ改稿中で、もう20回近く、書き直しています。選考委員の堀川惠子さんが選評に書いてくださった「よりスケールの大きな作品にするため、出版までもっともっと苦しんでほしい」という𠮟咤激励を呪文のように唱えて頑張っています。
塩田 そうでしたか。「書き直し」と言われたときの絶望、これは僕もよくわかります。僕の編集者も容赦のない人ばかりなので。でも作品のことだけを考えて助言してくれる存在のおかげで、面白い作品が出来上がる。窪田さんのこの本も、構成を変えて大正解だったと思います。
ノルマは人を
数字に変えてしまう
窪田 私は大学卒業後、JAグループの「日本農業新聞」に就職し、その後フリーになって、日本の農業の仕組みの問題を追究してきました。前作の『農協の闇(くらやみ)』(講談社現代新書)を書いたときに、農協のシステムに苦しむ人がいることに気づいたんです。構造的な腐敗があり、厳しいノルマがある中で、しかし苦しまなかった人がいた。それがJA対馬の西山です。JAの共済(保険)事業の営業マンをLA(ライフアドバイザー)というのですが、LAとして日本一の実績を誇り、年収は4000万を超えることもあったという。人口約3万人の離島でなぜそれほど圧倒的な実績をあげられたのだろうか、という疑問が、取材の出発点でした。
それで彼の死後、現地に行くんですが、まず長崎地裁に行って裁判資料を読んでいると、義理の母親のことがけっこう出てくるんです。
塩田 ああ、第一生命のトップセールスレディーだった人ですね。
窪田 そうです。彼女が西山に営業の仕方を教え込んだと書いてあって、何か怪しいなと。で、対馬に行って実際にお会いしてみると、とんでもないオーラを持ってらっしゃる方で……。
塩田 彼女が車椅子で出てくると、周りはぴたっとしゃべるのを止める。あの場面、すごく印象的でした。
窪田 そうなんですよ。家族に何かあったのかな、というところから始まり、取材を進めると行く先々に興味深い方がいらっしゃる。気づいたらこの事件にどんどん入り込んでいたという感じですね。
日本農業新聞という組織で記者をし、その後独立した私は、システムと個人という対比をずっと考えてきました。長年、農協のシステムについて勉強してきて、この本でようやく、システムの中で生きる「個人」の苦しさや淋しさを書けたかなと思っています。
塩田 本当にそうですね。この本をどう読むかを考えたときに、大きく6つのポイントがあると思ったんです。第一に、最初にお話しした構成の魅力ですね。それからJAという組織やシステム、数字と金、不正の手口、西山義治という人間、そして、個人とシステムの崩壊について。
まずJAの構造的な問題があります。その一つがノルマで、自身や家族を必要以上の共済に加入させる「自爆営業」が日常的に起きていたと書かれている。ノルマというのは人を、数字に変えてしまうものです。人間性を奪い取って、人を単なるデータとして見てしまう。西山は職場で「西山軍団」を結成していましたが、死後、みんなすごく冷たいですよね。
窪田 そうなんです。
塩田 数字と金でつながる人間関係はそうなってしまうんですね。仕事というのは、やはり人と人でするものだと感じました。それから「LA甲子園」。全国の優秀なLAが都内のホテルに集められ、女優さんはじめ著名人が集まる華やかな会で表彰される。この仕組みも危ないと思いました。LAたちは個人にかかるノルマに加え、「地方」を背負わされるわけですよね。
窪田 そうなんです。システムが人間を、家族を、地域社会を狂わせていく恐ろしさは、この本で伝えたかったことの一つです。
塩田 周辺からお金を吸い上げて、一部の人だけが潤うJAのシステムって、今の日本社会の縮図のようにも感じます。
西山に安眠できた日は
あったのか
塩田 西山義治という人についても話したいですね。彼、ハンサムだったんですよね。その上、人たらしで、虚言癖がある。良い車に乗って、高い時計をして、毎晩飲み歩き、社員旅行で豪勢にチップをはずむ西山を、窪田さんは本の中で「田舎のヤンキー」と表現されています。ただ、恐るべき偏食で、タコとカップラーメンしか食べない。そういう人間が虚勢を張って生きていたことに、僕はもの悲しさを感じました。10年にわたって不正を働き、引き返せない地点まで行ってしまった西山に、安眠できた日はあったのかなと。
窪田 先日もまた対馬に取材に行き、西山軍団の一人に話を聞いたんです。彼が言うには、「西山さんは毎晩飲まずにはいられない人だった」と。みんなそんなに飲みたくないんだけど、西山さんが飲まないと気が済まなかったと。「西山軍団」というのも、彼一人が言っていたことだと聞いたときに、淋しい人生だったのかなと僕も思いましたね。
塩田 西山の人生って、不安を覆い隠すための人生だったように思います。でも何かを隠そうとすると、何かが過剰になります。西山の場合は、ある臨時職員の女性が西山軍団に入らないから意地悪をしていましたよね。放っておくこともできたのに過剰な反応をしたことが、崩壊の引き金になった。西山に内緒で開かれた彼女の送別会をきっかけに不正が明るみに出ていくくだりを読みながら、この長期にわたる犯罪は、西山の死によって一気に爆発したように見えますが実はそうではなく、少しずつ状況が裏返っていったことがよくわかりました。ここに組織の中で個人が崩壊していく一つの型を見て取って、「崩壊」を考えたというわけです。
取材の神様が
出会わせてくれた人
窪田 不正の手口という点では、自然災害の被害を捏造したり、顧客から通帳や印鑑を預かって勝手に口座を作ったり、顧客が知らない間に契約を結んだり……あらゆる手口を駆使して西山は不正を働いていました。ただ、彼に協力した人がいた一方で、不正を告発したかった人もいて、その一人が、元上司の小宮
塩田 小宮さんの存在に、この本は救われていますよね。
窪田 はい。小宮さんは2011年の上対馬支店長時代、西山の不正に気づいて内部告発文書を作成したのですが役員らに黙殺され、左遷されました。小宮さんの存在を知って連絡をとったとき、九州大学病院に入院されていたんです。病状がわからないのでためらったものの、会いたいと告げると「わかった」と。その「わかった」が、何でも話すよ、と言ってくれているように聞こえたんです。すぐに病院に会いに行き、西山の手口や組織ぐるみの隠ぺいの実態について聞きました。2か月後にもう一回お会いし、それが最後になりました。小宮さんと会えたのも奇跡ですし、タイミングもぎりぎりのところに滑り込んだ感じです。
塩田 窪田さんが会いに来てくれて、話をすることができて、小宮さんもうれしかったんじゃないかな。最後が泣かせますよね。西山のことを一番思っていたのは小宮さんだったと……。
窪田 西山によって痛い目にあっていたのに、西山が亡くなった後、真っ先に西山のお母さんに会いに行って、何かあったら言ってくださいと伝えていた。小宮さんはよくわかっていたんだと思います。農協のシステムが西山をおかしくしていったことを。そういう広い視野を持っていた人だから告発ができたのだと思うし、僕は小宮さんの視点を受け継いで、この事件を見てきたところがあります。
塩田 この本はしんどい話ですが、たった一人の思いから波紋が広がっていくところに、僕は希望を感じました。一人の人間が勇気ある行動を起こし、その思いをくみ取るジャーナリストがいて、ジャーナリストの本を読んだ読者が思いを共有していくことで社会が変わっていく。ノンフィクションの力を実感します。
窪田 一人の良心が世の中を変えていくことそのものが希望なのではないか。それはこの本に込めたかった一つのメッセージです。
同時に、小宮さんが亡くなったとき、やり切れなさを感じました。というのは、西山も、小宮さんも亡くなった。結果、圧倒的多数の、いわば小悪党だけが残った……。本をいったん書き終えた今も、その事実を消化できないでいます。
塩田 白と黒はわかりやすいけど、グレーはわかりにくいんですよね。SNS時代で、タイパやコスパが求められる今、白か黒ばかりが見られるようになっていますが、だからこそ、作家はグレーゾーンに潜むものを言語化し、作品化していくことが大事だろうと思います。窪田さんのこの作品はまさにそういう本で、ゆえに、ざらつきが残るんです。ざらつきが残る本を、僕は読み返したくなります。
窪田 ありがとうございます。グレーゾーンにいる多数の人というのは、自分であり、あなたでもあると思います。本を読んでくれた人に、何かを感じ取ってもらえたらいいなと思っています。
実名報道と“澤イズム”
塩田 先ほどノンフィクションの力という話をしましたが、僕はフィクションを書くからこそノンフィクションの重要性を感じています。虚と実は表裏一体で、「実」の足場なしに、「虚」を作り上げることはできません。今、「調査報道大賞」の選考委員をしているのですが、この賞の実行委員長であり、早稲田大学教授の澤康臣さんが、『英国式事件報道』という本で、実名報道について書かれています。英国では実名報道が基本だと。一方、僕も元記者なのでよくわかりますが、日本では難しい。でも、本作には実名が多く登場しますよね。すごいことだと思いました。取材していくうちに諦めて匿名にしたり、功を焦って手を抜いたりしがちなんだけど、窪田さんは粘って粘って実名にされたんだろうと。窪田さんのような足腰の強い信用できるジャーナリストが、日本には必要だと思いました。AIやメタバースなどが広がるテクノロジー時代には、対照的な「実」の価値がますます高まるはずだとも、僕自身は考えています。
窪田 ありがとうございます。実は最初の段階で参考にしたのが澤さんの本でした。僕が読んだのは幻冬舎新書(『事実はどこにあるのか』)でしたが、一つのベースになりました。
塩田 “澤イズム”があったんですね。それはうれしいですね。
窪田 実名を出すにあたっては公益性を考えましたし、この作品が評価されるにはどうするべきかも考えました。それから今振り返ると、自分自身に課した厳しさでもあったと思います。
塩田 ジャーナリズムの目的っていろいろありますが、一つには記録性があると思います。優れたジャーナリズムは後世の人の役に立ちます。この素晴らしい本をたくさんの人に読んでもらいたいし、同世代としては、これからの活躍も楽しみにしております。
窪田 今日はお話しできて光栄でした。ありがとうございました。
窪田新之助
くぼた・しんのすけ●1978年福岡県生まれ。
明治大学文学部卒業。日本農業新聞で国内外の農政や農業生産の現場を取材し、2012年よりフリーに。著書に『GDP4%の日本農業は自動車産業を超える』『データ農業が日本を救う』『農協の闇(くらやみ)』『誰が農業を殺すのか』(共著)など。
塩田武士
しおた・たけし●1979年兵庫県生まれ。
関西学院大学卒業後、神戸新聞社に勤務。2010年『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞を受賞し作家デビュー。著書に『罪の声』(山田風太郎賞、週刊文春ミステリーベスト10第1位)『騙し絵の牙』『歪んだ波紋』(吉川英治文学新人賞)『デルタの羊』『朱色の化身』『存在のすべてを』(渡辺淳一文学賞)など。