[今月のエッセイ]
日本を滅ぼすLGBT
二〇二三年二月、SNSではこんなハッシュタグがトレンドになった。「#日本を滅ぼすLGBT法案」。
きっかけは同月上旬、当時の首相秘書官・
あの時、私はシドニーにいた。世界最大規模のプライド・パレード「マルディ・グラ」に参加するためだ。街全体がLGBTのシンボルである虹色に彩られる祝祭的な雰囲気の中に身を置くと陶然とした気持ちになるが、しかしネットに繫がると、自分が住んでいる国で横行している差別のおぞましさに、心をじりじりと
日本はLGBTにとって住みにくい国かと言えば、そうとも言いきれない。日本は欧米に比べて、LGBTを狙った傷害や殺人といった物理的な
「いくつかの条件」とは何だろうか?
それはすなわち――存在を察知されないこと、息を潜めて生きること、権利を主張しないこと、声を上げないこと、抗議をしないこと、法的・社会的な不正義を甘受すること、などである。「日陰で生きていればどんな人とパートナー関係を結び、誰とセックスしようが自由だが、あなたたちの関係は
LGBTの人々が日本社会で安穏に暮らすには、これらの待遇を受け入れるよりほかはない。これが現実である。
社会が変化の兆しを見せたのは、二〇一五年頃のことである。いわゆる「LGBTブーム」が始まり、ビジネス誌が多様性の大事さを説き、大手企業がダイバーシティに取り組み、自治体がパートナーシップ制度を発足させ、さらには同性婚法制化を求める裁判も始まった。
もちろん、作用と反作用の法則により、これらとまったく逆の動きも顕在化した。保守系論客や自民党保守派の政治家から度重なる差別発言が噴出したのも、二〇一五年以降のことである。「LGBTには生産性がないから、彼らに税金を使うべきではない」「同性愛が広まれば足立区が滅びる」「LGBTばかりになったら国がつぶれる」「LGBTの権利を保障するなら痴漢の触る権利も保障すべきだ」――こんな言説がメディアを横行するようになった。
これが差別にNOを突きつける代償だ。差別を受け入れてでも安穏と暮らすことを望む人たちにとってははた迷惑なことかもしれないが、しかしだからといって、すべての人に差別を受け入れろと強要するのは、きっと間違いである。
良くも悪くも、日本のLGBTの人たちは、差別に抵抗することを学んだ。
そして、私もその中の一人だ。生活の安穏さを幾分か犠牲にすることで、私は自分の声を手に入れた。
『シドニーの虹に
時々、こうも思う。もし保守派が言い張っているように、LGBTの人たちが国を滅ぼすための不思議な力を持っていれば、どんなにいいだろうか。私たちは魔法使いであり、杖を一振りすれば国を崩壊させることができる。あるいは吸血鬼であり、
私は魔法が使えないし、人の血も吸わない。でも、言葉を綴ることはできる。私の言葉ごときで滅ぶような国だったら、一度滅んでしまうといい。
李琴峰
り・ことみ●作家・翻訳家。
1989年台湾生まれ。2017年、初めて日本語で書いた小説『独り舞』で第60回群像新人文学賞優秀作を受賞し、デビュー。著書に『彼岸花が咲く島』(芥川賞)『五つ数えれば三日月が』『ポラリスが降り注ぐ夜』(芸術選奨新人賞)『星月夜』『肉を脱ぐ』『言霊の幸う国で』等がある。