[連載]
第2回 狐と猫の境界線
昨年夏、ポルトガルの山奥での夫婦ふたり暮らしに、突如として猫が一匹加わった。若いオス猫で、私がテルと名付けた。見つめ合っていたら「照」という漢字がふと頭に浮かんでとっさに名付けたので、UとOの発音が曖昧になりやすいドイツ人の夫が呼ぶと「テロ」と物騒な響きになることまでは想定していなかった。後の祭りである。
テルはある日突然うちの庭に現れた。私たちから十メートルは距離を取り、近づけば逃げる慎重さだったが、夫が手に持っていたチーズを投げてやったら味をしめたようで、それから日参するようになった。のちにわかったことだが、もとは山向かいのS村で山羊と羊を放牧しているアデリア宅の家畜小屋で飼われている大勢の猫の一匹だった。このあたりの犬猫はみんな自由気ままにあたりをうろついている。テルも好きなときに、まるでうちの飼い猫のような顔で我が家に通ってくるようになった。テラスに一日中座り込んで、私たちが出ていくと体をこすりつけて甘えるかと思えば、何週間も姿を見せないこともある。もとの(または真の)飼い主アデリアによれば、姿が見えないときは女のところに通っているらしい。実際、心配していても毎回なにごともなかったかのように太った姿のまま戻ってくる。通い猫という言葉があるそうだが、テルはまさにそれだ。
我が家に通ってくるのは猫だけではない。ありとあらゆる鳥たちはもちろんのこと、泉にはイモリが、家事室にはヤモリが
それに山奥暮らしの宿命として、
猪は庭を滅茶苦茶に荒らす。我がC荘には一家で出没する。昼間に子供も含めた五、六頭のグループに遭遇すると、固まってトテトテ歩いている姿をついかわいいと思ってしまうのだが、それは世を忍ぶ仮の姿、彼らは夜に
野外カメラを取り付けて後から見てみたら、夜中に鹿たちがうちの泉で水を飲んだり、果物を食べたり、好き放題しているのが映っていた。夜の庭では私たちのまったくあずかり知らない世界が展開しているようだ。
村の住民たちにとっては被害はさらに深刻だ。なにしろ皆が広大な畑で野菜を栽培している。猪は畑を荒らし、作物を食べてしまう。
村人たちも負けてはいない。
「猪だ」
どのみち私たち以外誰もいないというのに、アントニオは顔を寄せ、声を潜めた。禁猟期だったからだろうか。捕えた猪を近所の皆でさばいたのだという。
アントニオは何度か自作の料理をふるまってくれたことがあるが、毎回、どうにもそそられない見た目とは裏腹に、食べると大変美味なのである。猪シチューもニンニクがきいていながらさっぱりした味で、しかしコクがあり、自家製ワインによく合った。見た目から想像した闇鍋とはまったく違う、どこか上品な味わいさえあるまっとうな料理だった。
我が家には狐もやってくる。彼らは猪や鹿とは違って人間をまったく怖がらない。だから夜ばかりでなく、昼間も平気でやってくる。こちらが近づいても逃げず、猫や犬と同じ姿勢でテラスにお座りして、賢そうな目で見つめてくる。
初めて庭に狐がいるのを見たときは、かわいいと思った。なにしろりりしく美しい顔だ。野生の動物とすぐ近くで目が合っているという事実に高揚感を覚えた。
そんな私の感覚がここでは特殊であることを知ったのは、足が一本ない狐の死骸を見たときだ。C荘を手に入れ、年に数回通うようになって三年目のことだった。死骸はブルーノの家にあった。ブルーノはリスボン育ちの三十代だが、両親の故郷であるS村が大好きでほぼ毎週末やってくる、半分村人のような人だ。あるときうちを訪ねてきて、家と畑を案内するよと誘ってくれた。ブルーノの家はうちとS村を隔てる小川沿いにあって、やはりうちと同様の孤立した農家だ。ついていくと、家の物置の前に三本足の狐の死骸が転がっていた。うちの敷地でもたまに見かける狐だった。
「この狐、知ってる! どうしたの?」と訊くと、「あ、それ、親父が罠にかけて殺した」と、ブルーノはあっさり答えた。まるでなんでもないことのように。私は死骸を見て残酷だと思った。夫が写真を撮っているのを見て、無神経なことをすると腹が立った。
数日後、グラシンダとアントニオ夫妻のS村の家で夕食をごちそうになっていたとき、夫が狐の死骸の写真を見せた。するとなんと、ふたりとも顔を輝かせて「わ、死んだんだ! よかった!」「あいつらよくやった!」と喝采するではないか。私は
いま思えば、当時の私はまだポルトガルには休みのときに訪れるだけで、自然のなかの暮らしにナイーブな幻想を抱く都会暮らしの人間に過ぎなかった。それから数年たち、こちらに完全に居を移して生活するようになって、私の狐に対する見方は変わった。我が家に家畜はいないが、村の人たちは皆、山羊や鶏を飼っている。貧しかった昔は、家畜の肉と鶏卵は売って現金収入を得たり、物々交換するための大切な財産で、普段は病人しか口にできない
その闘いが、こちらに暮らしているうちに身近に感じられるようになった。なにしろ私たちも被害を受けている。我が家の玄関前にはガラス張りのポーチがあるのだが、天気のいい日にそのポーチのドアを開けっぱなしにしておくと、狐はいつの間にか侵入してきて、そこにあるゴミ袋を
なにより、我が家にはいま通い猫テルがいる。そもそも狐がうちに頻繁にやってくるようになったのも、テルが現れてからだ。テルの食べ残しがよく庭にあることを学習してしまったのだろう。
村の人の話では、猫も狐の餌食になるという。テルにめろめろの夫は当初、狐がやってくると雄叫びをあげ、石を投げ、木の棒を振り回して追い払おうとしていた。ところが狐はいったん逃げても、庭をぐるりと一周して、すぐにまた涼しい顔で戻ってくる。どうやら狐にとってはそれが楽しい遊びらしいことに気づいたのは、雄叫び、石、棒、を四回くらい繰り返した後だった。狐は毎回、ボールを投げてもらうのを待つ犬のように期待に満ちた顔で戻ってくる。夫のほうが遊ばれていたのだ。美しいと思っていたしゅっとした顔が、邪悪に見えてくる。エキノコックスを持っているかもしれないと思うとなおさら不気味だ。テラスで
この狐、あるときまたしてもゴミ袋を漁っていた。追い払おうと近づいても逃げようとしない。そのとき、狐に気づいていないテルの鳴き声がした。私の背後のどこか遠くから近づいてくるようだ。血の気が引いた。テルがやってくる方を私が見れば、狐が気づくかもしれない。私は仁王立ちで狐をにらみつけたまま、背後のテルに「逃げて!」と叫んだ。狐の視線で、テルに気づいたのがわかった。狐の気をそらすためになにか餌を与えたほうがいいのだろうか。判断に迷って立ち尽くしているうちに、近づいてきたテルが狐を認め、即座にきびすを返して逃げ出した。狐がそれを追って走った。夫が狂ったように怒鳴りながら石を投げたが、届かなかった。
テルはそれからしばらく姿を見せず、私たちはずっと、テルが逃げ出したときの狐との距離を推測したり、二匹の足の速さを比べたりして、心配していた。夫はもしテルが殺されていたら猟銃を買って狐に復讐すると誓いを立てた。
しかし結局、これまでと同様に、テルは数日後、なにごともなかったかのようにまたテラスに座っていた。心配するだけ損な猫なのだ。
同じように家にやってきて、同じ姿勢でテラスに座っても、猫のことはかわいがり、狐は追い払う。人間なんて勝手なものだ。S村の人たちも同じで、飼っている犬や猫はかわいがるのに、狐にも猪にも容赦がない。とはいえ、対策を施しながらもある程度の被害は甘受する。畑の作物も、諦めの境地で一定量は進呈することにしているようだ。
「たくさん作ってるし、少しくらいしょうがない」とアントニオは言う。野生動物たちといがみあいながらも、そうやってなんとなく共存しているのだ。私たちも、テルの食べ残しはすぐに屋内に戻し、ポーチのドアは閉めておくようになったが、フラストレーションをためた狐が木から落ちたオレンジを食べ散らかすのは放置している。そもそも動物たちにとっては私たちのほうが
あの三本足の狐の死骸を思い浮かべると、いまでも残酷だと思う。それでもいまは、手を叩いて喜んだグラシンダとアントニオに憤ることはない。
野生動物を保護するのも、狐や猪を敵視するのも、どちらも人間の勝手な理屈だ。どちらが正しくて、どちらが間違っているという次元では語れない。ただ、食料を手に入れて生き延びようとするのは人間も含めた動物の本能であり、そこから生じる葛藤や
そういうわけで、夜中に庭で鹿が鳴く声を聞いた夫が、追い払おうと裸でベッドから飛び出し、寝室の窓を全開にして、ウォー! フゥー! と謎の雄叫びをあげながら足を踏み鳴らしたり手を叩いたりする姿も、生きるために闘う人間の尊い姿なのだ――と、おおらかに受け止める度量を持ちたいものである。
浅井晶子
あさい・しょうこ●翻訳家。
1973年大阪府生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程単位認定退学。2003年トーマス・ブルスィヒ『太陽通り』でマックス・ダウテンダイ翻訳賞、2021年ジェニー・エルペンベック『行く、行った、行ってしまった』で日本翻訳家協会賞翻訳特別賞受賞。訳書にイリヤ・トロヤノフ『世界収集家』、トーマス・マン『トニオ・クレーガー』、エマヌエル・ベルクマン『トリック』、ローベルト・ゼーターラー『ある一生』、ユーディト・W・タシュラー『国語教師』『誕生日パーティー』、ユーリ・ツェー『メトーデ 健康監視国家』ほか多数。