[本を読む]
なぜ高度な文化国家に
暴力性が定着したのか?
ナチズムへの関心は日本でも高い。私がSNSで発信する話題の中でも第三帝国ネタへの食いつきの良さは別格だ。ではワイマル時代への関心はどうか? 微妙である。「ナチズムを生んでしまった」面で興味の対象とならなくもないが、基本的に「ごちゃごちゃした極右極左のバトルと超インフレ」という、いまいち派手さに欠ける固定イメージに
今般の新刊『ナチズム前夜』はそんな状況に一石を投じうる社会史書の力作だ。本書の大きな特徴は、ワイマル期の政治的・社会的
ありていにいえば、ナチと共産党の激しい対立が民主主義の衰退をもたらしたという通説は誤りではないが魅力に乏しい通説であり、ナチと共産党の街頭暴力の日常化が「生活空間での暴力性への免疫」のようなものを広範に定着させたことこそ、その後の理性的な民主主義の敗北や、ナチ時代の大規模な「公的」暴力システムを成立させる下地として真に考えるべき重要性を持つ、ということが本書から読み取れる。これは見事だ。
また、そもそもなぜ高度な文化国家の日常マインドに暴力性が定着したのか? その根源的理由のひとつとして「社会・政治状況が目まぐるしく転変し、情報量が莫大となってついていけなくなり、より直接的にわかりやすい打開策を求める」一般人が増えたため、という力学が本書で窺える。これと現在のネット情報洪水社会の問題を隔てる壁は、思いのほか薄い。
巨大な悪のシステムを育んだのは、その中核となった「悪の党派」だけではないのだ。やはりナチズムの歴史には拾い切れていない教訓がまだ大量にある、と痛感せずにいられない。
マライ・メントライン
文筆家