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ナツイチインタビュー/本文を読む

道尾秀介『N』(ロングver.)
『N』は今まで自分が書いてきた中で一番の、究極の「体験型」かもしれません

[ナツイチインタビュー]

『N』は今まで自分が書いてきた中で一番の、
究極の「体験型」かもしれません

二〇二一年の刊行以来、TikTokを中心にSNSでクチコミが広がり異例のロングセールスを記録している、道尾秀介氏の新たな代表作『N』がついに文庫化された。〈あなた自身がつくる720通りの物語〉とオビに銘打たれた本書は、一章おきに上下を逆転させた状態で印刷することにより、章と章の連続性を分断。全六章、どの順番でも読める作りとなっている。そして、読む順番によって物語の色も展開もガラッと変わる。「体験型」と名付けた本書の発想はどのようにして生まれたのか? まさかの次回作予告も!?

聞き手・構成=吉田大助/撮影=神ノ川智早

前代未聞の「上下反転」印刷は
こうして生まれた

―― 本を開くと、「本書の読み方」というチュートリアルが目に飛び込んできます。冒頭の一文は、〈本書は六つの章で構成されていますが、読む順番は自由です〉。さらにページをめくると全六章の冒頭部分だけが一ページずつ現れ、読者は読みたいと思ったものを自由に選び、次に何を読むかをまた選び……。六章の組み合わせは実に七二〇通りに及ぶ。つまり、七二〇通りもの物語の形があるんです。チュートリアルには〈読む人によって色が変わる物語をつくりたいと思いました〉という一文もありますが、小説はこんなこともできるんだと驚きました。

 僕自身、「こんなことはできますか?」と編集者に確認するところから本作りをスタートさせました。一番ハードルが高いだろうなと思ったのは、本文を一章おきに上下反転させた状態で印刷すること。これができなければ、いくら「読む順番は自由です」とこちらから伝えても、前の章から次の章へと続けて読んでしまう人が多いと思ったんです。結果としては、編集者が印刷所など関係各所に確認を取ってくれて、できます、と。ただ、乱丁と誤解されないように、「上下反転印刷は標準仕様です」という断り書きは必ず入れたいと編集者に言われたので、著者から読者に向けた「本書の読み方」という文章を冒頭に置くことにしました。

―― 素晴らしいなと思ったのは、チュートリアルの直後に掲載されている章が、いきなり上下逆さまで印刷されているんです。

 それは絶対にやりたいと思っていたことでした。普通に印刷していたらおそらく半分ぐらいの人が一編目から読み始めてしまうよね、と。だったら、印刷をいきなり逆さまにしてしまえばいい。チュートリアルと本編の繋がりを物理的に分断させることで、「最初に何を読むかちゃんと選ぼう」という方向に促すことができたと思っています。

―― 六つの章は、一話完結型のミステリーとなっています。ところが、六編は見えない糸で繋がり関係し合っている。その関係性は読む順番によって変わっていくように感じられ、まさに「色が変わる」。印刷された書物なのでそんなことはあり得ないはずなのに、自分がこの順番で読むことを選んでしまったせいで、登場人物たちの運命を変えてしまったのではないか……と感じる瞬間がありました。

 罪悪感を抱いてしまう順番もあるかもしれないですね(笑)。順番によって大きく意味が変わる、と感じることは日常の中でも多々あります。特に日本語って、言葉の順番で随分印象が変わりますよね。たとえばフランス料理のレストランに入って、ウェイターの人に「当店、シェフは日本人なんですけれども、全て食材はフランス直輸入のものを使っております」と言われるのと、「当店、食材は全てフランス直輸入のものを使っておりますが、作っているのは日本人なんです」と言われるのとでは、伝えられている内容は一緒でも受け取り方が全く変わってしまうんです。そんな面白さもあって、僕自身、「この章とこの章の順番が入れ替わったらどうなるんだろう?」と考えながら書いていきましたし、細かい仕掛けをたくさん入れ込んでいます。同じ本を読んでいるのに、人が違えば、ほぼ確実に違う順番で六編を読んでいて、見えてくるものも違う。読んだ人同士で話し合ったりしていただいてもきっと面白いと思いますね。

本のライバルは
あらゆるエンターテインメント

―― 本作に収録された六編は、二〇一九年から二〇二一年にかけて「小説すばる」に掲載されました。これまで同誌で連載した作品は、「花シリーズ」としてまとめられてきましたよね(二〇一〇年刊『光媒の花』、二〇一三年刊『鏡の花』)。『N』にも同シリーズの共通モチーフである「花」や「蝶」が登場していますし、当初はシリーズ第三作という位置付けだったのでしょうか?

 もともとはそのつもりで始めた連載でした。それぞれの短編で起きたランダムな出来事も実は繋がり合っている、それを表現するモチーフとして「海面に咲く光の花」を出して……というイメージで、ほぼ見切り発車で二話ぐらいまで書いていたんです。ただ、その辺りで方向転換して、本自体に大きな仕掛けを盛り込んだ作品にしたいな、と。読者が自分で読む順番を決める物語、というコンセプトを固めたうえで、その後の短編を書き進めていきました。

――「花シリーズ」の過去二作は、各編の繋がり方にサプライズが仕掛けられた連作群像劇でしたよね。

 まず『光媒の花』は、リレー形式と言うんですかね。一章の脇役が二章の主人公、二章の脇役が三章の主人公、そして最後に円環をなすという作りでした。『鏡の花』は六つのパラレルワールドの話です。ある章である人は死んでいて、他の人は生き残っている。次の章では別の誰かが死んでいて、前の章で死んでいたはずの人がその世界では生きていて、最終章では……と。三作目ではどんな繋げ方ができるかなといろいろ考えてみたんですが、結局、前二作のアレンジ系しか思い浮かばなかったんですよ。同じことをやっても意味がないと思ったんです。だったら章と章を完全に切り離して、読者自身が素手とセロハンテープで繋いでいくような本にするのはどうだろう、と。

―― そういうことだったんですね!

 連載を始める直前に、『いけない』(二〇一九年刊)という本を作った経験も大きかったです。あの本は、各短編を読み終えたと思ったところで、最後にもう一ページをめくると一枚の写真が出てくる。その写真を見ることで、それまでにイメージしていた物語の意味が大きく変わったり、隠された真相が明らかになったりするという作りでした。『いけない』を出す時に、自分が書いているものを「体験型」と名付けたんですよ。

―― 特別な読書体験ができると話題を集めた「体験型」のミステリー『いけない』はベストセラーとなり、続編(二〇二二年刊『いけないⅡ』)も発表されました。この道には何かあるぞ、と思われたんですね。

 もともと僕は「リアル脱出ゲーム」などの体験型エンターテインメントが好きで、他にも体験型の犯罪捜査ゲームやストーリー仕立ての巨大なウッドパズルなども世界中から取り寄せて、片っ端から遊んでいます。今の時代、本のライバルは本だけじゃないんですよね。あらゆるエンターテインメントがライバルなんです。じゃあ、それらに負けないようなエンターテインメントを小説で表現するにはどうすればいいのか。本って結局、紙にインクで何かを印刷する以上のことってできないんですよね。だから小説家は、文字を読んでもらうことしかできないと思ってしまうんですが、他にもできるんですよ。たとえば『いけない』は、文字の代わりに写真を印刷しました。去年出した『きこえる』では作中に二次元コードを印刷して、それをスマホなどで読み込んで音声を再生してもらうことで、耳を使って体験するミステリーを作っている。工夫の余地はいくらでもあるんです。

――『N』も一連の試みの中に位置付けられるわけですね。

 結局のところ、『いけない』や『きこえる』は、体験をした後に行き着く先のゴールは決まっています。だけれども『N』の場合、ゴールは存在しない。読む人次第で物語の色が変わってしまうという作りですから、選択の重さという意味では、『N』は今まで自分が書いてきた作品の中で一番の、究極の「体験型」かもしれません。

この順番で読むと発動する
という仕掛けを無数に

―― ある章を読んでしまったら、その章の記憶が以降の話を読む際にどうしても関わってくる。読む前の自分には誰も戻れないという意味で、人生における「一回性」を痛感する体験でもあったなと思いました。

 好きな言葉があるんです。名言でもなんでもない当たり前の言葉なんですけども、「全ての出来事は一回しか起きない」。『N』に関しても同じで、初読は一回しかないんですよね。ただ、人って忘れるものなので、少し時間が経ってからもう一回読んでもらうのはいいかもしれません。なんとなくストーリーを覚えていたとしても、ディテールは忘れちゃうものですからね。ちょっとした描写にも注目していただけると嬉しいんですよ。たとえば「飛べない雄蜂の嘘」というタイトルの章と「眠らない刑事と犬」という章を続けて読むと、どちらにも除夜の鐘の描写があるんですね。そこには、どんな意味があるのか。「眠らない刑事と犬」と「名のない毒液と花」というタイトルの章のどちらを先に読むかによって、ある場面で見えるものが全く違ってくる。この順番で読むと発動する、という仕掛けを無数にちりばめているんです。

―― 本書を再読する楽しみは、格別なものがありそうです。

 一つの章を読んだ時に、「この男の過去が別の章に書いてあったな」と覚えているのも面白いですよね。僕、人付き合いが好きなんですけど、その人の過去を知っているかいないかで、その人の言動に対するイメージって随分変わるじゃないですか。他の人にとっては特別な意味が感じられない言動も、その人にとっては大きな意味があったんだろうなと感じる瞬間がある。そういう感覚もこの本で表現してみたかったんです。あるいは、近い未来にその人に何が起きるかを知っていて話すのと知らないで話すのとでは、話す内容が変わってきますよね。そんな状況は現実にはあり得ないことですけど、この本の中でならできるというか、起きる。その不思議な体験も含めて、読者それぞれが違う物語の色を見てくれたら本望です。

―― ちなみに、道尾さん的にトゥルーエンドと言いますか、この順番がベストという読み方はあるんでしょうか?

 それは全く考えなかったですね。僕の中に「正解」は何もないですけど、細かい話をすれば、この章の先にこっちの章を読んで欲しいな……という「希望」はあります(笑)。ただ、ここでは言わないようにしておきますね。

こんな本が読みたいけれど
売っていないから自分で作る

―― 今号は「ナツイチ」特集号です。感想文などの宿題もありますし、夏休みに新しい本や作家と出合ったという人は多いと思うのですが、道尾さんはどうでしたか?

 国語の教科書なんかは別にして、僕は長いことまともに小説を読んだことがなかったんです。ただ、高校二年生の時に、当時付き合っていた女の子が純文学マニアだったんですね。ティーンエイジャーの男の子なので、負けたくないって気持ちが出てきたんですよ。僕も何か読まなきゃなと書店に行ったんだけれども、何を買っていいかが分からない。棚にあった本の中で唯一、著者名もタイトルも知っていて、しかも薄い本が『人間失格』でした。

―― 道尾さんの作家人生は、太宰治から始まっていたんですね。

 当時は電車に乗ると、本を読んでいる人が多かったんですよ。みんなが読んでいる四角くて薄いモノの中には、僕は物語が入っているものとばかり思っていたんですけど、『人間失格』の中には全然違うものが入っていたんです。それは何かと言われても分からないんですが、もっともっと質量が大きいものが入っていて、ものすごく衝撃を受けました。そこからいわゆる純文系の本を読むようになり、だんだんとミステリー系も読むようになって、一九歳の時に作家になろうと思ったんです。自分が書いたほうが面白いんじゃないか、という気がしてきて。

―― 若さゆえの自信って、大事ですよね。

 クオリティで言えば、プロの作品と当時の僕の作品は一〇〇と一ぐらい違うんですが、趣味で言うと、自分が書いたものって一〇〇%自分に合っているわけじゃないですか。書いてみたら、やっぱり面白かったんですよ。そう思うのは世の中で僕だけなんだけれども、別にそれで問題はなかった。その感覚はデビューしてからもずっと続いていて、こんな本が読みたい、でも書店に売っていないから自分で作る、という自給自足的な発想で二〇年近くやってきたんです。

―― 先日、全作品の累計部数が七五〇万部を突破したという発表がありました。自分の趣味と合う人が、思いのほかたくさんいたという感じですか?

 まさにその感覚で、「あっ、こんなにいたの!?」と(笑)。自分がやりたいことをやっていたらこんなに読者がついて、びっくりしていますね。ありがたいし、心強いです。

―― 道尾作品でしか読めない「体験型」のミステリー、今後のトライアルも楽しみにしています。さすがに、『N』のコンセプトに直結するような作品は、これ以上、難しいと思うのですが……。

 いや、ありますよ。今、『I』というタイトルの小説を書こうとしています。Nと同じで、アルファベットのIは上下逆さまにしてもIですよね。その本は二章の小説からなるものなんですけれども、どらちも一人称で、I(私or僕)。やはり上下反転で印刷されていて、どちらを先に読むかで決定的に結末が変わる、となるものを目指しています。読む順番によって、作中の誰かが生き残ったり、誰かが死んでしまったりということが起きるんです。

―― 究極の二択ですね!

 Aの次にBを読んだ場合はバッドエンド、Bの次にAを読んだ場合はグッドエンド、という形にするつもりなんですが、めちゃめちゃ難しいなと思っているところですね。ただ、自分で自分を追い詰めるためにも、この記事に記録しておいてもらえるとありがたいです(笑)。

道尾秀介

みちお・しゅうすけ●作家。
1975年東京都出身。2004年『背の眼』でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞しデビュー。07年『シャドウ』で本格ミステリ大賞を、09年『カラスの親指』で日本推理作家協会賞を、10年『龍神の雨』で大藪春彦賞を、同年『光媒の花』で山本周五郎賞を、11年『月と蟹』で直木賞を受賞。その他の作品に『鏡の花』『雷神』『いけないⅡ』『きこえる』犯罪捜査ゲーム『DETECTIVE X』など多数。

『N』

道尾秀介 著

発売中・集英社文庫

定価 990円(税込)

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