[本を読む]
不幸語りではない幸せを探す「縁切寺」
二〇二二年、厚生労働省の調査により、婚姻件数に対しての離婚件数が三十五%に達したと公表され「三組に一組が離婚している」と大いに話題になった。
その詳細はともあれ、ひと昔前と比べて「離婚」が身近になった実感は誰にもあるだろう。しかし、これが江戸の世では、事情がまったく違った。本書は当時、妻から夫へ「離縁」の申し立てをすることができた二寺のうちの一つ、上州(現在の群馬県)の縁切寺・満徳寺を舞台とした物語だ。
亭主に手酷く裏切られた。出戻ってきた挙句、働きもしない
寺の尼住職である
となれば、女たちが抱えるそれぞれの事情、言い換えれば、どれだけ酷い仕打ちを受けてきたのかが読みどころだろう、と予想した。江戸の家長制度の嫌らしさを見せつけられれば、不満ばかりの現世も「まだマシ」だと思えるかも、と期待した。そして実際、その期待は外れはしなかった。でも、だけど――。
寺役人の添田が〈閻魔様〉と呼ばれるのは、女たちが離縁を望んでいるにもかかわらず、容易に許可しないため、という理由がある。何故なのか。添田の個人的な背景のみならず、読み進むうちに、この舞台で不幸な女たちを描くのではなく、個々の幸せの形を見つめ、新しい地図を広げ指し示す、作者の深い思慮と考察に何度も唸った。
徳川家と縁があると噂される慈白の過去をはじめ、まだまだ気になる種も蒔かれている。
本書が長く広く手に取られ、疲弊した令和を生きる人々を救う駆け込み本になって欲しいと願っている。
藤田香織
ふじた・かをり●書評家