[今月のエッセイ]
『命の教科書 東大クイズ王医師×聖 路 加 救急医療チームが伝える!
『もしも』のときの基礎知識』の刊行に寄せて
亀谷航平
この度、ずっと作りたかった本を、念願かなって世に出すことになった。
私は日本では数少ない、感染症専門の内科医である。救急や病棟の重症患者対応からほのぼのとした在宅医療まで、まるで人工衛星のように行き来している。その中で、私は幾多の「もしもの時」に立ち会ってきた。そして、およそハッピーエンドとは程遠い、悔しい思いをしてきた。
誤解を恐れずに言えば、そういった経験のほぼ全てに共通するのは、「家族や本人の知識」、もしくは「家族間での事前の話し合い」が不足していることである。
一度、胸に手を当てて考えていただきたい。お金の使い道は自分で決めるのに、お金より遥かに大事な自分や家族の命となると、その方向性を人任せにしていないだろうか。残念ながら、それは当事者で最終的に決めるしかない。みんな、頭のどこかではわかっているハズだ。そして、その時は往々にして、突然訪れることも。
自分や家族が、いつどうなるかわからないという不安は、特にここ数年増大するばかりである。この本は、そんな時代における一筋の光となるべく、丸一年をかけて完成させた我が子のような存在である。執筆陣は、認定看護師、リハビリ、栄養士、ソーシャルワーカーといった各分野のトップランナーである。手前味噌にはなるが、この分野で、こんなに豪華かつ読みやすい本を他に知らない。
この本は、家族の不幸など想像すらできない人にこそ、どうか軽い気持ちで手に取っていただきたい。家族にこういう話がしにくければ、机の上にこっそり置いておくのもよいかもしれない。まえがきだけでも、私の意図する「家族への究極の愛情表現」とは何か、立ちどころに共有していただけるだろう。
「納得は全てに優先する」―― これはある有名マンガの一節だが、医療の存在意義は、まさに「納得のいく人生を送る手助けをする」ことにあると思う。私自身も、この本を郷里の父母にそっと手渡すつもりだ。
白﨑加純
「先生、この先私は何を楽しみに生きていったら良いのだろう。仕事のこと、生活のこと、毎日が不安で眠れない。命を助けてくれた先生にこんなこと言うのは申し訳ないのだけど、生きる希望を失ってしまった」
ある日、病棟の回診をしている時に、受け持ちの患者さんからこう言われたことがあった。重病を乗り越え、集中治療室から退室した患者さん。しかし、治療の後遺症で元の生活に戻ることは難しく、今まで仕事を生き甲斐としてきた患者さんにとって、仕事ができないストレスは計り知れなかった。
私は一人でも多くの人の命を救いたいと思って、救急医を志した。今にも消えそうな命を繫ぎ止める、医療ドラマに出てくるようなカッコいい救急医に子供ながらに憧れていた。しかし、この言葉を受けて、命を救うことだけが果たして目の前の患者さんにとって幸せなことなのか、自問自答するようになった。そして、集中治療後症候群という概念を知った。
集中治療後症候群。それは、重病を乗り越えた後にも長期的に続く後遺症のことである。そして、患者さんだけでなく、主介護者である家族にも精神的なダメージを与えることが知られている。特に新型コロナウイルスのパンデミックの際には、一命を取り留めた患者さんやそのご家族をフォローしていく体制が今の日本に不足していることを痛感した。 体制がなければ自分が新しくシステムを作れば良い。そう思って、臨床研究を始めた。その研究の中で、こうした患者さんを減らすヒントを得るべく、毎日患者さんやご家族から生の声を聞いて発案したのが、この『命の教科書』の出版である。もっと事前に話し合えていれば……相談できる窓口を知っていれば……その悔しさの数々を本書にぎっしり詰め込んだ。あの時の患者さんに、ご家族に、この本を読んでもらいたくて。その一心で、業務の合間を縫って、ようやく書き上げることができた。
命の瀬戸際で何が行われ、どうしたら良いかを事前に知っておくことの大切さを、この本を通じて私はすべての人に伝えたい。本書の内容が「もしも」の時に誰かの役に立ち、同じように後悔をする人が少しでも減ることを願っている。
亀谷航平
かめがい・こうへい●医師。
愛知県生まれ。2016年東京大学医学部卒業、沖縄県立中部病院で初期研修を修了。沖縄県の病院での研修を経て、現在は東京都で感染症内科医として勤務。
白﨑加純
しらさき・かすみ●医師。
福井県生まれ。金沢大学医薬保健学域医学類を卒業後、沖縄県の病院での研修を経て、現在は聖路加国際病院で救急集中治療医として勤務。