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今月のエッセイ/本文を読む

西山ガラシャ『おから猫』(集英社文庫)刊行に寄せて
盆踊りの過去と未来

[今月のエッセイ]

『おから猫』刊行に寄せて
盆踊りの過去と未来

 江戸中期から明治時代までの名古屋が舞台の短編を、六編書いた。現在の地下鉄の駅名で言えば、名古屋城から、栄、上前津、東別院までのエリアだ。一編だけ名古屋を飛び出していった登場人物たちの江戸での出来事を描いているが、あとは名古屋の城下町での話である。
 第一話「盆踊りは終わらない」を書いているとき、脳裏には一九七〇年代の子どもの頃の記憶が何度も甦った。
 小学生の頃、盆踊りほどわくわくする行事はなかった。子ども用の簡易な浴衣だったが、絞り加工のしてある薄手の帯を腰に巻いてうしろで結び、ふわふわでくしゅくしゅとしたピンク色の蝶結びができあがるだけで心が躍った。
 小学校の隣の大きな公園にやぐらが組まれ、赤白の提灯が明るく周りを照らしていた。子ども会や町内会など現在では消滅しかかっている組織がまだ活発に機能している時代だったから、盆踊りに行くと近所の顔見知りの子どもたちがみんな集まっていた。
 盆踊りの曲は地域によって異なるだろう。名古屋の場合は「炭坑節」のほかに、「名古屋ばやし」や「大名古屋音頭」が繰り返し流れていた。会場には屋台が出ていて、金魚すくいも毎年あった。一匹も金魚がすくえなくても、最後にはお店の人が水の入ったビニール袋に二、三匹の金魚を入れて持たせてくれる。持ち帰って数日で死んでしまった金魚も少なくなかったが、中には何年も生きて大きくなった金魚もいた。色とりどりの水ヨーヨーが、水に浮かんで売られている光景も子ども心に綺麗だと感じていた。小さな風船には絵具を垂らしたような線の模様が入っており、風船が透明だと中の水が揺れるのが見えていた。水風船から長く伸びるゴムを中指にひっかけて、てのひらにボンボンと当てて遊ぶ。今思えば、何が楽しいのかわからない部分もあるが、ずっと手に当て続けながら盆踊りから帰宅したこともあった。
 小学生の頃に大好きだった盆踊りも、中学生になってからは出掛けた記憶がない。仲のよかった幼馴染みが引っ越してしまったり、少し飽きてしまったのもあっただろう。さらに大人になると盆踊りを開催する運営側の大変さも垣間見えてくる。騒音や子ども会の消滅など、いろいろな問題があると知ったし、開催しない学区も次第に増えた。
 だが、名古屋の盆踊りは淘汰されずに今も残っている。二〇二三年の夏、名古屋の中心街にある矢場公園や久屋大通公園でも開催された。数年のあいだ感染症の流行で町がひっそりとしていたので、盆踊りの光景が平和の象徴にも感じられた。その矢場公園で開催された盆踊りを道すがら眺めたとき、参加せずとも「ああ、盆踊りをやっている」と思うだけで、じわりと幸せな気持ちになった。大人になっても絵本『ぐりとぐら』や『おしゃべりなたまごやき』の世界観をいつまでも覚えているのと同じように、盆踊りも、水ヨーヨーや金魚すくいの記憶とともに半世紀が過ぎようとも忘れることがない。
 昨年の盆踊りを垣間見て印象的だったのは、踊りの輪の中に明らかに外国人とわかる人達が数人いて、浴衣を着て楽しそうに笑っていたことだ。曲は「ダンシング・ヒーロー」から昔懐かしい「炭坑節」へ変わっていくところだった。観光客なのか名古屋に住んでいる外国人なのかはわからないが、大いなる国際交流の場だと感じた。予約も不要で、好きなときに輪に入り、疲れたら人の輪から外れることができるし、踊りは正確さを求められない。国籍も年齢も関係なく、みんなで一緒に踊ればいいだけの盆踊りの未来は、さらに初音はつねミクなどデジタルな人の形をした幻も加わって、少しずつ変化しながらこの先も続いていくだろうと推測している。
 遡って江戸時代の盆踊りは、男女が出会える数少ない機会だった。尾張の場合は、徳川宗春という尾張藩七代藩主が盆踊りを奨励していたこともあり、現代の何倍も盆踊りには特別感があっただろうと思う。
 盆踊りのほかにも、からくり人形や名古屋発祥の百貨店の前身を扱った物語なども書いたので、歴史時代小説で読む名古屋旅をお楽しみいただけたら嬉しいです。

西山ガラシャ

にしやま・がらしゃ●作家。
1965年名古屋市生まれ。2015年『公方様のお通り抜け』で第7回日経小説大賞を受賞しデビュー。著書に『小説 日本博物館事始め』がある。

『おから猫』

西山ガラシャ 著

集英社文庫・発売中

定価 770円(税込)

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